〈07〉 しらざぁ言って聞かせやしょう
若手花形歌舞伎初日の朝、今回の世話役で鳴海屋の長である緒川清十郎は皆に向かって言った。
「一人一人、与えられたお役を全身全霊で演じなさい。そして、その日最低でも一つは課題を見つけなさい」
皆真剣な眼差しでその言葉を受け止め、噛み締めていた。
初日の幕があいた。
佐吉の最初の役は、浜松屋の場面は若旦那、宗之助。
稲瀬川の場面は忠信利平だった。
両方出番も台詞も少ない。佐吉は観る稽古と、自分の復習に専念できた。
「上手いなぁ。又ちゃんの力丸」
又蔵本人は苦手なようだったが、佐吉は又蔵の南郷力丸が好きだった。
佐吉は苦手な武家の役。彼の武家姿は品があった。
「可愛いですよね。弘ちゃんの弁天」
いつしか隣には、鳶頭清治役の永之助。
「あーぁ。永之助もべっぴんやろしなぁ。こんなぶっさいくなやつの弁天小僧きたら。かなわんわな」
「だよな。俺ら同い年三人組の弁天担当期間はぶさいく祭りだ」
「うける。ぶさいく祭り。てか、利ちゃんなんでここにおるん?」
なぜかそこには日本駄右衛門の仮の姿、玉島逸当の衣装の利三が居た。
彼は浜松屋の奥にいる人物。待機する場所はここではない。
「イカ頭巾(※1)参上! まだ大丈夫。それよりお永ちゃん、そろそろだよ」
「あ。ほんとだ。では兄さん方、お先に失礼しますぜ」
瞬時に江戸っ子に切り替えた永之助。
渋さや貫禄には欠けるが、若さあふれる鳶だった。
利三は舞台袖から離れず、あろうことか佐吉と話し始めた。
「しかし、弘ちゃん、可愛すぎるよな。まるで女の子だ」
「せやけど、女形一本なら問題ないやろ?」
「あぁ。全く。でもな、あれで最初は悩んでたんだ。立役の家系なのにどうしようって」
「へぇ……」
先日話した時、彼の表情にそんなことは微塵も感じられなかった。
どのようにその悩みから卒業し、女形を目指すようになったのか、佐吉は気になった。
利三は話を続けた。
「そこで、三河屋のお父さんが、江戸一の立女形の鈴屋のお兄さんに相談したんだ。
それで、女形の指導してみたらこれがぴたりとはまってさ。
いまや三河屋の面々が家宝と公言する女形の出来上がりってわけだ。
いけね。喋りすぎた。お互いそろそろ出番だ」
利三の話を反芻する間もなく、佐吉は舞台へ出た。
その日の佐吉の役は案外ウケが良かった。
和事(※2)が中心の上方出身。なよなよとした役には慣れていた。
それが功を奏したようだ。
忠信利平の役も問題なく、無事に勤めあげた。
数日後、役が変わった。
次は日本駄右衛門。浜松屋の場面では大変な不評だった。
少し大人しい性格が災いしてか、人一倍男勝りな弁天小僧、又蔵に負けてしまっていた。
しかし、稲瀬川の場面ではよく通る声のおかげか、たくさんの大向こうが掛かり、まずまずな出来となった。
いろいろ役代わりをこなしていくうち、ついに問題の弁天小僧をやる日がやって来た。
「佐吉さん、お世辞にもべっぴんとは言えませんわ」
その日も三太は弟弟子である佐吉の拵えを手伝いながらそう言った。
その声は少し震えていた。
なぜなら、今日は彼も大役をこなさなければいけない日。役は浜松屋の番頭。
これほど台詞が多い大きな役をもらったことなどなかったので、佐吉以上に緊張していた。
「兄さん、緊張しすぎや。俺が弁天小僧なんやから、そんなに緊張せんと」
「……あかん、余計緊張してきた。ぶさいく弁天とかみかみ番頭や!」
「あかんわこれ……」
グダグダやっていても幕は上がる。
力丸役は利三だった。佐吉の補佐してくれたが、全然役には立たなかった。
大真面目に芝居しているのにもかかわらず、登場するだけでなぜか客席からクスクス笑いが起こる。
そんな武士に付き添われてやってくる、どう見ても『男』なお嬢様。
そして、どう見ても『男装の麗人』な弘次郎の日本駄右衛門。
ちぐはぐな配役に、客席の笑い声は途絶えることがなかった。
一通り役替わりを終えた次の日、半日だけ休みがあった。
その日は残りの日程の配役発表の日でもあった。
早めに稽古場に集まった若手五人は反省会。
「面白かったが、キツかったな……」
「ほんとキツい……」
「疲れました……」
「しんどいわ……」
「誰も倒れなくてよかったです……」
反省以上に、皆の口を突いて出るのは疲労に関する事。
しかし、これで訓練していかなければ将来主役は張れない。
その日の午後、配役発表が行われた。
配役は、観客の入れ札で決めることになっていた。
一番多い意見を取り入れ、上演するのだ。
すでに集計は終わり、発表を待つのみ。
皆の前に立った緒川清十郎の言葉を、今か今かと耳をそばだてて待っていた。
「弁天小僧菊之助、山村永之助」
まずは菊之助の配役だった。
「永之助、男だとわかった後、もっと砕けていい。まだ品がよすぎる。励みなさい」
「はい」
永之助は望んでいた役を演じることができる喜びと、主役の責任、重大性をかみしめていた。
「南郷力丸。倉岡吉治郎」
次は菊之助の相棒、力丸役。
「佐吉、まだおとなしい。もっと強く堂々とやりなさい。武士はまだまだ勉強がいるな。精進なさい」
佐吉は思っても見なかった大役に選ばれ、喜び以上に驚きを隠せなかった。
しかし、この配役は、誰かが誰かの利益のために配役を決めたのではない。
客の意見、民意である。
この世界で、『倉岡吉治郎』という存在が少しではあるが、認められたということに喜びを覚えた佐吉だった。
「日本駄右衛門、大川虎三郎」
この発表に周りは「やはりな」という雰囲気であった。
五人の中でも一番貫禄がある又蔵の適役である。
「又蔵。この五人組の首領は日本駄右衛門だ。このお頭だからこそこういう仲間が付いてくるんだ。ということが分かるような人間味も大事だ。これからはそこを意識して精進しなさい」
又蔵は恭しくその助言を聞き。反芻していた。
「忠信利平、鳶頭清治。井上竜五郎」
「よっしぁ! 鳶頭きた!」
この反応にくすくす笑いが起きた。
緒川清十郎は少しため息をついた後、こう言った。
「利三、あまりふざけるな。ウケ狙いをするな。普段がそうだから、大真面目にやっても笑いが起きるんだ」
「はい。精進します……」
釘を刺された利三は大人しく頭を下げた。
「赤星十三郎、浜松屋宗之助。石川雪弥」
彼は菊之助の役を勝ち取ることは出来なかった。
しかし……
「弘次郎、女形を一生の生業に決めたおまえさんには、男しか出てこない今回の演目はきつかったかもしれん。だが、立役も勉強してほしいとの三河屋さんからの依頼だ。精進するように」
「はい!」
父と兄の期待に添えるよう励もうと、弘次郎は力強く返事をした。
「よし! 明日から千秋楽まで、頑張るぞ!」
盗賊団の首領である日本駄右衛門役の又蔵がそういうと、仲間たちだけでなく
浜松屋の番頭、店員、皆が答えた。
「おう!」
その日佐吉は、女形の姿をした永之助を、初めてまともに間近で見た。
「べっぴんやな……」
まるで女の子の弘次郎とは違い、どこか中性的な雰囲気を醸し出している。
立役もこなせる。そこが違うのだと納得し、じっと見ていると、
「こんなんでビビってちゃダメ。お永ちゃん、もっと美人だぜ」
利三がこそっと耳元で囁いた。
一度も見たことがない『お永』
しかし、彼はそんなこと今はどうでもよかった。
今自分は南郷力丸。弟分の弁天小僧菊之助と浜松屋に強請に行かねばならない。
チョンチョンと直しの柝(※3)が入った。
じきに幕が開く。
「……今日から千秋楽まで、よろしくな、菊之助」
「よろしくお願いします、兄ぃ」
鳥屋揚幕(※4)がチャリンという音を立てて空いた。
浜松屋の店先に、御供の若党、四十八を連れてやってきた武家のお嬢様。
出迎えた番頭はその美しさにデレデレ。
お嬢様所望の品を店の者たちが準備する間に世間話。
『さてまた本日はお日柄もよく、八幡様も大層な人出でございますが、人出と申せば当月は、若手花形歌舞伎が大層評判だそうで。お嬢様も、お芝居はお好きでございましょう?』
『ほいのぅ』
『さようでございますか。では一つこの番頭が、お嬢様のご贔屓のところを当てて御覧に入れましょうかな?』
この番頭と御客人二人のやりとりが観客の笑いを誘う。
『お嬢様の御贔屓は、何といっても今若い娘さんに一番人気の、美男。屋号は藤屋。山村永之助でございましょう?』
『あのような役者は大嫌いじゃわいなぁ』
『では、男前で芝居上手の大川虎三郎でございますか? でもございませんか…… では、石川雪弥? 井上竜五郎?』
お嬢様は頭を振るばかり。
『はてなぁ…… あ、今度は図星というところ! 最近上方から乗り込んできた注目株、倉岡吉治郎でございましょう?』
『あい……』
当たって恥ずかしそうに顔を扇で隠すお嬢様。
しかし、隣で控える四十八は仏頂面。
『拙者、あのような役者、大嫌いでござる』
そうこうしている間に、店の者が品物をお嬢様のところへ運んでくる。
帯地、襦袢地、鹿の子を次々に見せていく。
そしてそっとお嬢様は自分の懐から緋鹿の子の帯揚げを出し、紛れ込ませる。
そしてそれをまた懐に入れ、万引きと見せかける……
それを見ていた店の者が番頭に報告し、番頭は帰ろうとする御客人二人を止める。
そこへやってきたのは鳶頭清治。
万引きを察知した店の物が呼んだのである。
『振り袖姿のお嬢さんが、万引きするたぁ気がつかねぇ』
「待ってました」との大向うに、利三はキザって、
「待っていたとはありがてぇ」
捨て台詞(※5)を勝手に入れた。
若い客のウケは大変いいが、年配の目の肥えた客からは非難轟々である。
おそらく舞台袖では、世話役の緒川清十郎が天を仰いでいることだろう。
いきなりの捨て台詞にも動じず、佐吉は芝居を続けた。
『お嬢様を万引きなどと、当て事を申して、後で後悔致すまいぞ』
店の者は万引きしたと言い、客人二人はしてないと言い張る。
番頭は論より証拠と、お嬢様の懐から帯揚げを抜き取った。
そして算盤をお嬢様の額めがけて振り下ろす。
店の者たちが寄ってたかってお嬢様を打ちのめす。
そんなところへ帰ってきたのが、浜松屋の息子、宗之助。
「三河屋!」
店の中の大騒動に驚く宗之助。
『これはしたり、店先で立ち騒ぎ、静かにしたがよい』
しかし、若旦那の制止も聞かず、店の者は袋だたきを続ける
四十八がどうにかこうにか彼らを払いのけ、
『身に覚え無き万引き呼ばわり。盗んだというは、その布か?』
彼はその布は万引きしたものではない。ほかの店で買ったものだ。値札をよく見ろと確認させる。
確かにそれは他店の品物。そのうえ四十八はそれを購入した際の証拠の書付を持っていた。
驚き萎れる店の者たち。
『よも、万引きとは言われまい』
見得を切る佐吉に大向うが掛かった。
「芳野屋!」
店を代表して謝る宗之助。
『幾重にもお詫びをいたしまする。どうぞご料簡なされてくだされますよう。一同お願い申しまする』
しかし、謝罪を許さない四十八。
お嬢様の正体を明かし、婚約が決まっていたのだと怒り心頭。
主を出せと迫る。
奥から出てきた店の主、幸兵衛。
『なんとも申し上げようなき手代どもの不調法、お詫びの趣意は立てましょうほどに、どうか御了簡なされて下さりませ』
しかし、四十八は許さない。
なぜなら、大事な大事なお嬢様の額には大きな傷が……
四十八は面目が立たないから、浜松屋の面々の首をはね、自分も切腹すると言出だす始末。
お嬢さまはそれを止め、鳶頭清治が店と客の間に入る。
『ここは一番、道でお転びなすったとか、屋根から瓦が落っこって額をつっけぇたとか。
そこは貴方のお口先で、なんとか言い繕っちゃくださいませんか?
その代わりにゃお礼はしっかり致しますから』
お嬢さまは許しなさいと言うので、四十八は落ち着くのであった。
それをうけ、鳶頭清治は店の主に金を用意させる。
十両の金を包み、四十八に差し出したが、彼はその金額に不満を示す。
気に喰わない鳶頭。百両なら許すと言う四十八。
鳶頭は暴言を吐く。
『二本差しが怖くて焼き豆腐や田楽が食えるかい! 斬るなら俺から斬りやがれ!』
威勢よくそう言った彼に向って四十八は刀に手をかける。
あわてた店の者たち。鳶頭を店の外に連れ去る。
主の幸兵衛は百両を出し、問題は解決したかに見えた。
しかし……
『お侍。ちょっと待ってもらいたい』
店の奥から侍が出てきて、今にも帰ろうとする二人を呼びとめる。
「巽屋!」
玉島逸当と名乗る男は、二人の素性を怪しんで声をかけたのだった。
お嬢様は二階堂信濃守家中の、早瀬主水の息女だと名乗り、
玉島逸当は自分はその家に出入りしている者であると名乗り……
『早瀬主水と名乗る者、我が屋敷に覚えない。ことには縁組定まりし娘というも、まさしく男!』
『え、なんで私を、男とはいぇ……』
お前の正体は男だと言われ、うろたえるお嬢様。
しかし、玉島逸当は責めることをやめない。
『女というても憎からぬ姿なれども、二の腕にちらりと見たる桜の彫物。なんと男であろうがな』
さらにうろたえるお嬢様。
『さあ、それは……』
『ただし女と言い張らば、この場で乳房を改めようか?』
さぁさぁと二人は押し問答。
『騙りめ、返事は! なな、何と!』
俯いていたお嬢さまの花簪が、ぽとりと落ちた。
ゆっくり、悔しげな表情を浮かべた顔を上げるが、その顔はすでに女の顔ではない。
「藤屋!」
『兄ぃ。もう化けちゃいられねぇ。おらぁ尻尾を出しちゃうぜ』
弁天小僧菊之助の化けの皮が剥がれた。
完全に男の声音と口調でそういうと、客席からドッと笑いが起きた。
正体がばれたのは武士の四十八、実は南郷力丸も同じ。
『えぇ、尻腰(※6)のねぇ。もうちっと我慢すりゃいいのに』
もう武士のふりをしなくても良いのでべらんめぇ口調。
上方での佐吉にはかなり難しい。
『べらぼうめ。男と見られたうえから、窮屈な思いをするだけ無駄さぁ。もしお侍さん。お察しの通り、わっちゃあ、男さぁ。どなたもまっぴら。ごめんね!』
またまた客席からドッと笑いが起こる。
中には永之助の正体を知っているものも居るだろう。
本当は女なのに、男の格好をし芝居をしている。それが女に化けているが、男だとばれてしまった。
滑稽極まりない。
武家の女の衣装は窮屈だと、菊之助は着物を脱ぎ始める。
力丸もそれにならって身なりを楽にする。
菊之助の下帯まで見えるだらしのない光景に皆笑う。
それは楽屋さながらの光景だった。
最初、永之助の正体を知らないうちは楽屋での着替えや風呂に、何とも思わなかった佐吉。
しかし、彼の正体は女の子だと分かったとたん、気になるようになってしまった。
そして先日、とうとう聞いてしまった。
稽古後の風呂場で……
「……無理してないんか?」
「無理って、どういうことです?」
「楽屋、みんなと一緒やろ? こうやって風呂も一緒やし。菊之助は下帯見えるし、半分裸やし……」
「え? 初舞台から一日の半分以上は男です。平気っていうより、当たり前です」
「へぇ……」
「それに、男でお風呂のほうが楽。皆で入れるから楽しいし。あ、又蔵兄さん、お疲れ様です!」
「おう、お疲れ」
「兄さんが初めてです。気にしてくれたの。でも、心配無用です。ね?」
「わかった」
それ以降、気にすることはなくなった。
この身形を崩す場面は、終演後の楽屋のつもりでやることにしていた。
芝居が無事に終わって張りつめていた気持ちが緩む。
家に帰る前の一時そのものだった。
二人の盗賊の着替える光景を、傍で呆然と見るしかない番頭。
彼に菊之助は煙草を所望する。
番頭はどう見てもお嬢様だったのに、騙りに来るとは太いやつだと文句を言う。
玉島逸当はこの肝の太い二人組に問う。
『巧みし騙りが顕れても、びくとも致さぬ大丈夫。ゆすりかたりのその中でも、さだめて名ある者であろうな?』
その言葉に菊之助は驚く。
この俺様達を知らないのかと。
店の者も、口々にどこの馬の骨だか知ったことかと言う。
むっとした菊之助。ここからが聞かせどころである。
「待ってました!」「藤屋!」
『知らざぁ言って、聞かせやしょう!』
「たっぷり!」「藤屋!」
『浜の真砂と五右衛門が、歌に残した盗人の、種は尽きねぇ七里ヶ浜。
その白浪の夜働き、以前を言やぁ江ノ島で、年季勤めの児ヶ淵。
百味講で散らす蒔銭を、当てに小皿の一文字。
百が二百と賽銭の、くすね銭せえだんだんに、悪事はのぼる上の宮。岩本院で講中の、枕捜しも度重なり、お手長講と札付きに。
とうとう島ぁ追い出され、それから若衆の美人局。
ここやかしこの寺島で、小耳に聞いた音羽屋の(※7)、似ぬ声色で小ゆすりかたり。
名せぇ由縁の弁天小僧菊之助たぁ。俺がことだぁ!』
「藤屋!」「よくできました!」
続いて南郷力丸の口上である。
「その相ずりの尻押は、富士見の間から向うに見る、大磯小磯小田原かけ、生まれが漁夫に波の上。
沖にかかった元船へ、その舶玉の毒賽をぽんと打ち込む捨碇。船丁半の側中を引っさらって来る利得とり。
板子一枚その下は、地獄と名に呼ぶ暗黒の、明るくなって度胸がすわり、櫓を押しがりやぶったくり。
舟足重き兇状に、昨日は東、今日は西。居所定めぬ南郷力丸。面ぁ見知って貰いてぇ』
「芳野屋!」
二人の名乗りにはっとした玉島逸当。
『さてはこのほど世上にて、五人男と噂ある日本駄右衛門が余類よな?』
『えぇ、その五人男の切れっぱしさ。先ず第一が日本駄右衛門、南郷力丸、忠信利平、赤星十三、弁天小僧。わっちゃほんの頭数』
とうとうすべて白状してしまった盗賊二人組。
潔く斬られようとするが、浜松屋の主が止めに入る。
命が助かった菊之助は、自分たちは万引きの罪を着せられた上に傷を負わされたと言いがかりをつける。
そして膏薬代をせしめるのであった。
菊之助は十両では少ないと文句を言うが、力丸が説得し帰ることに。
甲斐甲斐しく弟分の身支度を手伝う力丸。
菊之助の重い女物の着物を持ってあげる力丸。
額の傷がまだ痛いと言う菊之助を心底心配する力丸。
弟分を大切に思う気持ちが佐吉の芝居からにじみ出ていた。
客席からは温かみのこもった小さな笑いが絶えなかった。
そして花道引っ込み。
『おめぇ、何か忘れもんありゃしねぇかい?』
遠慮気味に聞く力丸。
『忘れもん? べつにありゃしねぇよ』
『そういわねぇで、何か忘れもんないか?』
『なにもねぇよう』
『それじゃ、すまねぇがな、胸に手ぇ当てて、よく考えてみてくれよ』
スパッといわず遠まわしにそう言って、菊之助に気付かせようとする。
『変なこと言うなぁ。胸に手を当てて? ……あ』
いたずらっぽく笑う菊之助。
それに微笑み返す力丸。
佐吉の少し大人しく遠慮がちな性格が、ここでは功を奏していた。
『思いだした。今日の立ち前だろ?』
『そうよ』
『そんならそうと、早く言やぁいいじゃねぇか』
『いや、いくらお前と俺の中でも。それは言えねぇよ』
『遠慮はいらねぇよ。よし、兄ぃ。いちいち勘定するのが面倒だ。たてんぼ(※8)だ。どっちかとりな』
二つに割った小判の塊を力丸が取った。
自分の分を数えた菊之助。
「いけね、兄ぃの方が一枚多い!」
「いいじゃねぇか、今日のところは辛抱しな。埋め合わせはきっとするからよぅ」
取り分を多くもらえてご機嫌な力丸。
しかし、ただ一つ不満が。手に持った大小とそれに巻き付けた菊之助の着物。重くてしょうがない。
お互い重いものは持ちたくない。
菊之助はひらめく。
『兄ぃ、坊主持ちってのはどうだい?』
『坊主持ちってのは、どうするんだい?』
『向こうから、坊主が来たら、この荷物の持ち手を変えるんだよ』
『じゃ、おめぇが言い出したんだから、おめぇから持てよ』
『え? 俺から持ってくの? ……しかたねぇな。わかってるだろな? 坊主が来たら、兄ぃが持つんだぜ』
『わかってるよ。でもな、坊主なんてそうざらに来るもんじゃねぇよ』
そういう力丸だったが、花道の向こうから按摩がやってきた。
『あ、兄ぃ、按摩が来たぜ。交代だ』
喜ぶ菊之助、がっかりする力丸。
しかし、按摩は鼻道を引き返す。
『按摩がひきかえしゃあ、荷物も逆戻りだ』
再び重い荷物が戻ってきた菊之助は見栄を切る。
『あ、いまいましい、按摩だなぁ』
「藤屋!」
意気揚々と歩きだす力丸だったが、再び按摩が戻ってくる、
荷物を持ちたくない彼は必死で菊之助に按摩が見えないようにする。
こうして遊びながら花道を去っていく二人に、たくさんの掛け声が掛けられた。
休む間もなく稲瀬川勢揃いの場である。
化粧を変え、衣装を変え、準備を整える。
「よし、みんな、あと一息だ。頑張るぞ」
頭領の駄右衛門を演じる又蔵が一同に気合いを入れる。
皆はそれにこたえる。
「おう!」
幕が開くとそこには浅葱幕(※9)。
それが切って落とされ、現れるのは稲瀬川の土手の景色。
桜が満開である。
花道から登場するのは盗賊五人組。
先頭から、弁天小僧菊之助、忠信利平、赤星十三郎、南郷力丸、日本駄右衛門。
彼らは捕手から逃れて、稲瀬川で集ったのであった。
花道で台詞を五人でつなぎ、どこをどのように逃げてきたかを説明する。
そこへ捕手たちがやって来て、彼らを捕縛しようとする。
そこで五人組は一人ひとり名乗るのであった。
『問われて名乗るもおこがましいが、生まれは遠州浜松在。
十四の頃から親に放れ、身の生業も白浪の、沖を越えたる夜働き。
盗みはすれど非道はせず。人に情けを掛川から、金谷を掛けて宿々に、義賊と噂高札に、
廻る配符のたらい越し。
危ねえその身の境界も、最早四十に人間の定めは僅か五十年。
六十余州に隠れのねえ、賊徒の張本。日本駄右衛門!』
「巽屋!」「お祖父さんそっくり!」
『さてその次は江ノ島の、岩本院の稚児あがり。普段着慣れし振袖から、髷も島田に由比が浜。
打ち込む波にしっぽりと、女に化けて美人局。油断のならぬ小娘も、小袋坂に身の破れ。
悪い浮き名も龍の口、土の牢へも二度三度。段々超える鳥居数、
八幡様の氏子にて、鎌倉無宿と肩書きも、島に育ってその名せえ。弁天小僧菊之助!』
「藤屋!」
『続いて次に控えしは、月の武蔵の江戸育ち。がきの時から手癖が悪く、抜け参りからぐれ出して、
旅を小股に西国を、廻って首尾も吉野山。まぶな仕事も大峰に、足をとめたる奈良の京。
碁打といって寺々や豪家へ押込み盗んだる、金が御嶽の罪料は、蹴抜の塔の二重三重。
重なる悪事に高飛びなし、あとを隠せし判官の、お名前騙りの忠信利平!』
「唐屋!」「若旦那!」
『またその次に連なるは、以前は武家の中小姓。故主のために切り取りも、鈍き刃の腰越えや。
砥上ヶ原に身の錆を、研ぎ直しても抜きかねる、盗み心の深みどり。
柳の都谷七郷、花水橋の切り取りから、今牛若と名も高く。
忍ぶ姿も人の目に、月影ケ谷、神輿ケ獄。
今日ぞ命の明け方に、消ゆる間近き星月夜。その名も赤星十三郎!』
「三河屋!」
『さてどん尻に控えしは、磯風荒れぇ小ゆるぎの、磯馴の松の曲がりなり。
人となったる浜育ち、仁義の道も白川の、夜舟に乗り込む舟盗人。
波にきらめく稲妻の白刃で脅す人殺し。背負って立たれぬ罪科は、その身に重き虎ヶ石。
悪事千里というからは、どうで終めぇは木の空と、覚悟はかねて鴫立ち沢。
しかし哀りゃあ身に知らぬ。念仏嫌れぇな、南郷力丸!』
「芳野屋!」「よくできました!」
五人は名乗った後、捕り手たちとチャンチャンバラバラ。
それぞれが見得をきったところで、幕が引かれるのであった。
(※1)イカ頭巾
もとは茶の錣頭巾。
後に歌舞伎役者の名前を取って宗十郎頭巾とも、鞍馬天狗頭巾とも、
形からイカ頭巾とも言われるように。
(※2)和事
上方で発展したやわらかで優美な歌舞伎の演技のこと。
江戸で発展した荒事とは対照的。
(※3)直しの柝
芝居の開始を知らせるちょんちょんという音。
(※4)鳥屋揚幕
花道のつきあたりにある小部屋が鳥屋。
そこに掛けられてる幕のこと。
普通のお芝居でも、チャリンというこの幕を開閉する音に反応して振り向いてるお客さんは、
歌舞伎ファンかもしれません。
(※5)捨て台詞
アドリブのこと
(※6)尻腰
意気地、根性のこと
(※7)音羽屋の
現実世界で音羽屋さん(尾上菊五郎家)と中村屋さん(中村勘九郎家)がやる時は「じいさんの」となり、
それ以外は「音羽屋の」となるそうです。
しかし、私は音羽屋さんでしか観たことが無いので、「音羽屋の」は聞いたことがありません。
(※8)たてんぼ
適当に分けて好きな方を取らせること。
江戸っ子は気が短かったようです。
(※9)浅葱幕
浅葱=ごく薄い藍色、もしくは薄い青緑
新選組の羽織の色。
ぱっと落とすので客席が「おぉ!」となるのですが、引っ掛かってうまく落ちず「あぁ……」となったのを見たことがあります。