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月も朧に  作者: 喜世
第一章
11/23

〈10〉 稽古

 『少し長い稽古期間』とはいうが、それはたったの十日。


 佐吉は稽古開始前に話の筋を頭に叩きこんだ。

 演ずる二役は台詞が少ないが、両方とも今回が初役である。


一番稽古時間を必要としたのは、『阿古屋』


 源頼朝を狙い、姿を消した悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)を探す源氏。

景清の恋人である傾城阿古屋が詮議のため、引き立てられてくる。

 詮議をするのは、二人。

一人は秩父庄司重忠(ちちぶのしょうじしげただ)

 分別のある正義感あふれる人物。

もう一人は、岩永左衛門致連(いわながさえもんむねつら)

 意地の悪い人物。 

 

 景清の詮議のため、岩永は拷問で阿古屋の口を割らせようと意気込むが、

一方の重忠はある意外な方法で詮議を始める……


 佐吉が演ずるのは、意地の悪い『岩永左衛門』

拵えは赤っ面。悪者である。

 この人物、台詞は自分では言わない。


「人形振り(※1)はやったことあるか?」


 人間が人間の動きではなく、人形浄瑠璃の人形の動きをする。


「いいえ。初めてです」

  

 そう答えたが、実際は少し違う。

自分が人形ではなく、人形遣いとして出たことはあった。


勿論、顔を見せない黒衣として……

 思い出したくないので、佐吉は言わなかった。


「早速竹本さん(※2)と黒衣達に挨拶に行って、稽古だ」


「はい」






「よろしくお願いします」


「よろしく頼みますよ。佐吉坊ちゃん」


 『岩永左衛門』を操る黒衣二人は藤翁の弟子だった。

慌てて佐吉は止めた。

 

「坊ちゃんはやめてください!」


「いいや。将来は藤屋のお嬢の婿殿だ。坊ちゃんだよ」


 冗談もそこそこに、早速稽古に入った。

初めての人形振り。動きを皆で確認しながらの稽古だった。

すると、熟練の黒衣二人はあることに気づいたようだ。


「……ほんとに初めてですか?」


佐吉は平静を装った。


「……何か気になりますか?」


「今まで人形振り初挑戦でここまでできる人、一人もいませんでしたからね。ねぇ?」


「あぁ。見たことない」


「そうですか……」


 理由を聞かれたくない。

その思いが顔に出ていたようだ。

 ずっと黙って見ていた藤翁が、佐吉に手招きした。


「ちょっといいかな?」





 佐吉を稽古場の隅に連れていくと、小さな声で聞いた。


「後見の経験は?」


「いいえ……」


少しの間ののち、低く彼は佐吉に言った。


「……黒衣の経験ならあるのか?」


 佐吉は腹をくくり、正直に答えた。


「……はい。でも、人形の方の黒衣の方が長いです」


驚く藤翁。


「なぜ後見でなくて、黒衣を? しかも人形の方に?」


「顔が見えんからです……」


「顔が見えんって……」


「舞台にどうにも立てんくなった時、こっそり黒衣にしてもらいました。

でも、すぐに弟にバレて、あかんようになりました」


 母に佐吉憎しで育てられた腹違いの弟。

兄が黒衣をやっているのを知ると、鼻で笑った。

さらに、一目も憚らず、舞台上で足蹴にした。


佐吉は耐えた。

しかし、最後の手段であった黒衣の地位を奪われ、舞台に立つことは出来なくなった。

さらに、手伝っていた裏方の仕事も禁じられ、どうにもならなくなった。


「人形遣いの家の友達が助けてくれました。そこで、基礎から仕込んでもらいました」


佐吉が着物の裾をぐっと握りしめたのを、藤翁はしっかり見ていた。

芝居が好きで仕方がない。それゆえ、御曹司でありながら黒衣に身を落としてまでも

舞台に立ちたかった。

 

「……もうその辛い思い出は忘れるんだ。お前さんを大阪に返すことは絶対にしない。

ずっとここにいるんだ。わかったな?」


「すんません……」


 同情を買いたくない。

憐れみで、置いてもらいたくない。

 己の芝居で、認めてもらいたい。

そう思う佐吉だったが、今は仕方ない。

 

「これで、お永が婿に選んでくれたら万々歳なんだがな…… 」


「それだけは何とも……」


 藤翁はふと何かを思い出したようだった。

笑みをこぼしながらつぶやいた。


「さては、先代の藤右衛門に似たかな、お永は」


「お祖母様ですか?」


 佐吉が江戸に来る二年まえに亡くなったという、先代藤右衛門。

藤翁の妻。


「あれはな、人生のほとんどを男で通したんだ」


「へぇ……」


「男としては、全然面白くなかった。寝る時しか顔を拝めないんだからな。だが、役者としては最高だった。心底惚れていた。藤右衛門に……」


 佐吉は感銘を受けた。

役者として惚れ、女として惚れる。

 はたして、お永はその対象になるのか。

そして、もしそうなったとき、自分は彼女に見合う男であり、役者であるのか。

 期待と不安が入り混じっていた。


「まぁ、お前たちはまだ若い。頑張れよ、まず第一の課題。お永の顔を拝めるように」






その日の夕方、稽古場に永之助が現れた。


「佐吉兄さん。お疲れ様です」


「お、どないした? 今日はもう終わったんか?」


「はい。出番最初の演目で終わりなんで。あ、そうだ!」


 風呂敷包みをごそごそと探し始めた永之助。


「どないした?」


「ちょっと待っててください…… あれ、どこやったかな…… 

あ! あった。兄さん、休憩行きません?」


 お誘いに、佐吉はすぐ乗った。


「せやな。行こか」


二人は稽古場を抜け出て、母屋の庭の縁側に腰掛けた。


「兄さん。はいこれ」


 永之助から手渡されたのはみかん。


「どないしたんや、これ?」


「三河屋のお瀧ねぇさんからもらいました。」


「お瀧さんって、雪太郎兄さんの?」


「そうです。新婚ほやほやの若奥さま」


「仲ええんか?」


「外に友達あまり多くないんで、仲良くさせてもらってます」


「この商売してると、遊べんもんな」


 忙しいということは、仕事が有るという事。

仕事が有るというのは、人気が有るという証拠。

 

「でも、外の友達、観に来てくれるんちゃうか?」


「はい。でも、若手花形の時くらいです。お父さんたちが出るのは難しいから嫌だって」


佐吉の口から大きな溜息が漏れた。


「『難しいから』って言うやつ、こっちにもおるんか?」


「え? 大阪もですか?」


 目を丸くする永之助。

どうやら西も東も変わらないようだ。


「年々増えて来よる。かなわんわ……」


「こっちもです。世話物なら簡単だから、そこから入ればいいのに、食わず嫌いな子も多くて……」


「『何言ってるかわからへん』やろ?」


「そうです。『意味がわからない』とか『眠くなる』とか言うのもいます」


 二人で溜息をついた。

いくら芸を磨いても、観てもらえなければ意味がない。

 客が減っては、芝居をやれない。


「なにがあかんのやろな」


「わたしたちには、当たり前で、難しいとかの次元じゃないですもんね」


「このまま首傾げててもあかん。かといって、客寄せでウケ狙いの演目ばっか掛けとったら、滅びる演目が出てくる……」


「危機ですね……」


「何か手を打たんとなぁ……」


 佐吉は何か言いたげな永之助の眼に気付いた。


「あ、その顔は、何か良い案があるんじゃねぇか?」

 

「はい、兄さん、最後もう一度」


 答えの代りに師匠から江戸弁の指摘が入った。


「あんじゃあねぇか?」


「はい、さっきより良くなりました」


「で、考えは?」


 なぜか渋る永之助。

佐吉は聞きたくて仕方なかった。


「聞かしてくれ。な?」


 不安げに永之助は言った。


「……笑いませんか?」


「わらわへん。言ってみ」


 その言葉に気を許したのか、永之助はやっと語り始めた。

 

「わたしたち若手で、一から十まで企画運営するんです」


「若手花形とは違うんか?」


「はい。掛ける演目、配役、指導を仰ぐ先輩方、すべて自分たちで決めます。

演目の世話物には新しい演目を作って掛けるんです。その新しい本は、若手の狂言作家に書いて貰います。背景画も、若手に頼みます。後見も、黒御簾さんも、すべて若手でやるんです」


 あっけにとられ、ポカンとする佐吉に、不安そうに永之助は聞いた。


「……やっぱり笑いますか?」


「いいや。一気に聞いて、驚いただけや。笑うヤツおったんか?」


「……はい」


 暗い顔が佐吉は気になった。

しかし、彼は全く笑えなかった。


「どこに笑える要素があるんやろな。それ、やりたいわ。いや、やれるで絶対」


「……そうですか?」


「手伝うさかい、やろうや」


「ほんとですか?」


「せやけど、まずは仲間増やさんとな。その笑ったやつにしか話してないやろ?」


「……はい」


「絶対みんな協力してくれるはずや。そんな笑ったやつはほっとけ。な?」


「……はい」


 苦しそうに返事をしたのが、またも気になった。

しかし、それ以上に彼女の計画の魅力が勝っていた。


「今すぐは無理やけど、今のうちから帳面にまとめて置くんや。永之助の考えを。

それにな、名簿も作ろ。賛同してくれる人。参加してくれる人。きっちり纏めるんや。

口だけやったらあかん。目に見える物をまず最初に作るんや」


 言い終えたとたん、今度は永之助がぽかんとしていた。


「兄さん、すごい……」


「なにが?」


「才能ありますね。兄さん中心にやれば、もう鬼に金棒です!」


「そうかい?」


 そうキザってみたが、またも師匠から指摘が入った。


「はい、もう一回!」


 



 佐吉が永之助に向ける感情。

それは『女』に対するものとはほど遠かった。

それは『自分になつく、可愛い弟』に対するものであり、

『志を同じくする者』に対するものだった。

(*1)人形振り≪にんぎょうぶり≫

人形浄瑠璃から歌舞伎になった演目=「義太夫狂言」の中で、俳優が人形の動きをまねて演じること。女形の方が多い。


(*2)竹本さん

竹本連中

歌舞伎の「義太夫」をする集団

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