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月も朧に  作者: 喜世
第一章
10/23

〈09〉 初役

「まずは演目から」


 藤右衛門こと、お藤が読み上げた。


「『壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき) 阿古屋琴責(あこやことぜめ)』、『身代わり座禅』『与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし) 源氏店(げんやだな)』以上」


 途端、戸惑いを見せる者が少なからず居た。

その中から声を上げたのは藤翁。


「ちょっと待った。『新口村』はどうした?」


 佐吉も、お永に聞いていた。

『新口村』を藤翁と藤右衛門で掛けるということを。

 しかし、発表された演目にそれはなかった。

 

「興行主に最後まで掛け合ったのですが、『源氏店』で行くと押し切られました」


 少し悔しそうに言う藤右衛門。


「そうか……」

 

 藤翁も残念そうにつぶやいた。

しかし、そうしてばかりもいられない。

 発表はまだ続きがある。


「続いて主な配役です」


「まずは『阿古屋』「傾城阿古屋」に山村藤右衛門。「秩父庄司重忠(ちちぶのしょうじしげただ)」に山村藤翁。「岩永左衛門(いわながさえもん)」に倉岡吉治郎。以上。

 続いて、『身代わり座禅』「山蔭右京(やまかげうきょう)」に石川雪(きよ)太郎。「奥方玉の井」に牧幸助。「太郎冠者(たろうかじゃ)」に倉岡吉治郎。以上。最後、『与話情浮名横櫛』与三郎に牧幸助。お富に山村藤右衛門。蝙蝠安(こうもりやす)に石川雪太郎。和泉屋多左衛門(いずみやたざえもん)に山村藤翁。以上」


 その後、細かな配役や興行日程等の通達が続いた。

そして最後に座頭から一言。


「今回の興行の目玉は「初役(※1)」です。私の「傾城阿古屋」に始まって、佐吉の「岩永」。雪太の「蝙蝠安」。身代わり座禅に至っては全員。大変ではありますが、その分稽古期間を長くとれましたので、みなさん精一杯頑張りましょう」


 佐吉は不安で不安で仕方がなかった。

両方初役である。観たことしかない。

 それなのにできるのだろうか。


 俯き加減の彼のところへ、初めて共演する牧幸助がやってきた。

彼は藤五郎の実の兄、将来義理の伯父となる可能性のある人だった。


「佐吉。初めて一緒に芝居できるな。二つも初役で大変だろうが、わたしも玉の井は初役だ。よろしく頼むよ」


「は、はい!」


 彼を見送ると、これまた初共演である「三河屋の兄」、石川雪太郎が挨拶にやってきた。


「改めまして、雪太郎です。先日は弟がお世話になりました」


 佐吉よりも年上にもかかわらず、腰が低い青年だった。


「雪太郎兄さん、こちらこそお世話になりました。これからよろしくお願いします」


「よろしくお願いします。お互い大変だけど、頑張りましょう」






 その日の夕方、佐吉は藤右衛門に一人呼び出された。


「二つも初役だけど、大丈夫?」


「……かなり不安です」


 座頭に包み隠さず打ち明けた。


「この前の南郷力丸が、初めての大きいお役でした。しかし、今回は二つも……」


「そうよね。でも、興行主様は貴方に期待している」


「そうなんですか?」


「だからこそだと思う。貴方を鍛えるために、お父さんの出番を削ったみたいだから」


「……え」


 いたずらっぽく笑いながら、藤右衛門は声をひそめた。


「……ほら、重忠は台詞少ないし、多左衛門も最後ちょろっと出てくるだけじゃない」


「はぁ、いわれてみれば……」


「でも、二つとも居なくちゃならない大事なお役。花を持たせることができるし、佐吉の指導に集中できる。一石二鳥」


 そこまで考えている一門の主と、役者のことをしっかり考えているとみえる興行主に佐吉は感服した。


 大阪ではすべてが金だった。

継母と継母の実家が金を積み、佐吉の出番を奪った。

 しかし今は違う。

 

 与えられた機会を、無駄にはしない。

藤屋の長と、興行主の期待に応えるべく、佐吉は精進する決心をした。

 

「まずは当代藤翁に、うちの芸の基本をしっかり教わりなさい。良いですね?」


「はい!」


「いい返事だ。安心した。……実を言うとね、わたし自身も不安でね」


「兄さんがですか?」


 佐吉は驚いた。


「阿古屋は大役。なのにわたしは今回初役。どんな役でも初役は怖い。でも、今回は特別に怖いの」


 無理もない。佐吉もそれは理解できた。

様々な傾城があるが、中でも阿古屋は難しい。


「大役ですもんね。大阪には、できる役者は三人しかいませんでした」


「さすがだね。でもやっぱり難役なんだね……」


「こっちには?」


「一人しかいない」


「一人!?」


 江戸にはもっとたくさんいるに違いないと思っていた佐吉には、衝撃的な事実だった。


「そう、鈴屋の兄さんだけ。去年、巽屋の九蔵兄さんが鈴屋の兄さんに教わってやったんだけど、恐れ多いって、封印しちゃってね」


 ため息交じりに話す藤右衛門の表情に、不安の色が見えた。


「そうですか…… でも、兄さんは挑戦するんですよね?」


「そう。鈴屋の兄さんが、危機感持っててね。このまま行くと、阿古屋は幻の演目になる。後継者が欲しいって。今回わたしが選ばれたの。そりゃ、兄さん直々に教えてもらえるのはありがたい。でも、怖いの……」

 

 佐吉はその言葉を聞き、しばらく考えた後、こう言った。


「未熟もんが何言ってる、って思われるかもしれませんけど、頑張ってください。私も、足引っ張らんように、兄さんが最高の芝居できるように、精一杯頑張りますから」


 一門の役に立ちたい。本当の意味で、一門の仲間になりたい。

佐吉はその思いを込め、力強く言った。

 その気持ちが伝わったのか、藤右衛門はほほ笑んだ。


「ありがとう。お互い、頑張りましょう」


 次の日、稽古が始まった。

(※1)初役≪はつやく≫

初めて演じる役。

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