第五話 牛頭の夜蛇神
残虐表現、官能表現在り。ご注意ください。
昭和初期。夜蛇神を祀っていた村の呪詛が崩壊し、夜蛇神が復活するいきさつのお話です。
昭和初期、早田のような軟弱な男は罵られる時代でもあった。
早田は、ひ弱な体をおして、カメラを片手にこの村へやって来た。
“郷土信仰と思想論”本を執筆したのは、明治の民俗学者、花村勇埜であり、全国の祭りの由来を調べていた。農耕、厄除け・・・ 花村は、特に厄除けに固執していた。地方には独特の信仰がある。天地災害や、事変は、祟り神の怒りに触れたものであるという考え方は、日本各地に古い風習として根強く残っていた。
この村も、祟り神を恐れ敬う独自の信仰を持っていた。
夜蛇神と呼ばれる御神体は、牛の頭に人型の体を持つが、青黒く黒衣を纏った鬼である。天地異変は無論、人の脳まで惑わす力を持つ神である。崇め奉れば、財を成し、豊饒の大地を与えてくれる。一度怒らせると、人肉を喰らう魔人と化す。と、深く信じられていた。
牛は豊饒の土壌を現し、黒衣の帯は蛇をしめ縄のように組んだものであり、財力と真贋を現す。日を嫌い夜現れるという、実在の神なのだ。
花村の記述の中で、村人の中に夜蛇神を見るものがある。神主と財や豊饒を望む男が願をかけるときに、稀に見るという。岩室の暗闇の中におり、口は利かぬが、妙力を使う様は見えるという。夜蛇神を見たものだけが、望みが叶うと言われている。
怒らせなければ、これほどの神を村の外には出せない。村を揚げての重要な神事は、村だけの隠匿しぬいた秘密でもある。
夜蛇神に会えるのは村の男で、祭り、沈め、奉っていた。
土地は栄え、潤い、村人は仲が良かった。
夜蛇神様に願えば、どんな望みも不可能ではない。
望みを叶えるには、相応の貢物を要した。貢物は、生き餌と決まっていた。魚でも獣でも良く、その貢物が、祈願者の宝物であるほどに、その祈願の成功は約束される。
本を読んで、早田は、望みを適えてもらおうと、考えた。
早田には、人間の友達がおらず、唯一の仲間は、母親だった。その母親も、死期を目前にしていたのだ。強い人間に生まれ変わりたい。死を望まなくてもいい生き方が出来るように。
早田は、しかし、心の底では、この信仰を信じていなかった。
もし、本当だったら、母を生贄にしてみよう・・・。
早田が、この村に来たとき、余所者の到来を拒む村人は、早田を無視した。全く話しが聞けぬ状態だった。もともと、人に好かれるタイプではない。早田は、村人の冷たい態度にも、攻めが加わらないことで親近感さえ覚えていた。
すべてに怖気づいて逃げてばかりいた早田にとって、ここは東京から遠く離れた四国の地の辺鄙な場所であり、人嫌いであり、出不精の早田が、一人で行こうと言う気になったことも、そしてここに居ることも不思議なことであるが、それに気付きもしていなかった。
早田は、一人で村の周囲を歩き回り、いつしか神社の裏山に彷徨い込んでいた。
案の定、村人たちの冷たい視線の中で、怯みもせずに、社周囲をうろついていた。
後で考えると、与弥太に呼ばれていたと、わかるが。このときは、何も考えていなかった。
社の表は豪奢な造りだが、奥は岩山にはまり込むように消えている。早田は、社の周囲を回っていた。
本に記載されている祭りの時期は不正確であり、早田がやって来たのは、祭りの終わった後であった。やはり、間が悪かったのだと、落ち込んでいた。
宿もなく、僅かな金は帰りの汽車賃程度では、どうにも動けぬ。
早田は、うら寂しい山郷で、こんな景色のいい場所でひっそりと死ぬのがいいな。と、いつものような死への回想をしていた。
社の脇には清流が流れている。
早田は、社に数人の村の男たちが寄っているのを、ただ、じっと覗き込んでいた。田畑を耕しながら、早田を睨んでいた女もいる。
史書によれば、祭りの終わった後も、神社に集まるのだ。
村人は、いつ、願い、いつ成就されるのかと、ぼんやり思いながら、覗いていた。
広い座敷に7.8人の比較的若い男たちが寄っていた。
そういえば、夕刻の村には女の姿しか見えなかった。男たちはここに集まっていたのか。
社の奥から、玉のように美しい、若い少女が、老いた男たちの手で連れて来られた。少女は、虚ろな目をしてゆらゆらと意思がないように立っているので、老人が2人で両脇から大事そうに支えていた。若い男たちは、奇妙な目で、少女を見ていた。
若い男が一人暴れ出し、仲間がそれを抑える。
「太一、玉枝は贄じゃ。あきらめぇ。」
太一は泣いている。
老いた男たちの顔には笑みが広がっている。
老いた男たちが、鳴り物を奏で始めた。三味線、太鼓、笛・・・神楽に似たその音色が始まると、若い男たちが、いっせいに少女に群がって嬲りはじめた。少女の悲鳴が轟く程に、老いた男たちは鳴り物をじゃんじゃんと弾くテンポを速める。
早田は、持っていたカメラで、夢中でシャッターを切った。
少女を助けようという気持ちは微塵もなく、早田は、スクープをとった記者のような興奮状態になり、シャッターを切り続けた。
男たちは、若い男の次は老いた男たちで、少女を嬲り続けていた。
朝、夜が明ける頃に、若い男達が先に、太一を引きずるようにして、老いた男たちが最後に、満足顔でぞろぞろと社から出て行った。
神主の装束を身に纏った男が、死んだのか、気を失ったのか、ぐったりしている裸身の少女を抱きかかえて、社の奥へ運ぶ。早田は、夢中でついて行った。清流に沿って社の奥に進めば、小さな扉があった。鍵はかかっていない。早田は、忍び込んだ。
少女を運んだ神主の姿はなく、岩室に置かれた木の台に、白い絹が掛けられて、その上に、先程の少女が横たわっていた。早田は、少女の傍に寄り、周囲をキョロキョロと見回した。何も飾られていない祭壇に、無数の蝋燭の火が揺れていた。社側には、鉄格子になっている。ものものしい警戒の割には、社の裏口に鍵がない。
早田は、少女にそっと屈み込んだ。微かな息がある。
早田は、手拭を清流で濡らし、少女の裸体につけられた痣に当て、涙や精液に塗れた体を丁寧に拭きながら、泣いていた。
これが生贄の儀式なのか?
ただの強姦ではないか。
祟り神に捧げる生贄に、この子を出した親や兄弟は、惨い村人の仕打ちを知っているのだろうか。泣いていた太一という男はこの娘の恋人だろう。仲間が太一に先頭を切らせていた。だが、容赦なくその後で太一を含め気がふれたように全員が何度も少女を嬲った。少女は憑かれたように狂乱していた。
こんなに美しい娘を・・・
早田は、玉枝の裸身に無数についた痣に唇を当てた。女の裸身なぞ抱いたこともないし、触れたこともない。早田は、神々しいものを扱うように、癒そうとし、愛撫した。
早田の胸の内には、昨夜撮った写真で、この村の風習を世間に暴露してやるという計画が涌いていた。
早田が、何度か清流との間を往復して、こっそりと少女を介抱していると、少女が息を吹き返した。
怯えた目で、早田を見た少女は、目を見開いて、早田を凝視した。
「あなたが、与弥太様なのですか?」
「・・・ちがいます。」
少女のあまりの可憐さに、早田は息を呑みながら、首を横に振った。
「では、何故、ここに?あなたは誰?」
玉枝は、あどけなさを含む少女の声で聞いた。
「わ、私は、早田という者です。祭りについて調べにこの村に来ました。・・・どうして、あなたはあんな目に?」
少女は、早田の目をじっと見て、大きな瞳を恐怖に満ちたように見開いて震えた。
「ああ・・・私は、何てことを・・・出て行ってください。私は、死ななければならなかったのです。・・・ああ・・・私が、村に災いを齎せてしまった・・・何て恐ろしい・・・」
すすり泣く少女に、早田は、動揺した。
「・・・どういうことなのです?」
「言えません・・・もう、終わりです。・・・あなたは、何て酷い・・・」
少女は、泣きじゃくるばかりで、早田は、困惑しながら少女をただ、黙って見下ろしていた。
「誰だっ?何者だ?」
檻の向こうから、男たちの野太い声が響き、
「いかん・・・聖域が穢された・・・」
「神殿に、男が入っちゅう。」
「何をっ。や、夜蛇神さまじゃないが?」
野太い男の声が怯えたように震えた後、足音が遠ざかって行った。
「に、逃げよう。あんたを、助ける。」
早田は、裸体の少女に、台の上の白い絹布を巻き、少女を背負った。早田の脆い筋肉は、少女の体重にヨロヨロとし、それでも、早田は必死で、少女を背負って、清流に降りた。
早田のふらついた足はもたもたとし、少女が、早田の背で暴れるため、早田は清流の石々に足をとられて転んだ。
川に飛び降りた村の男たちが、早田を見つけた。
「いたぞーっ こっちだ。」
「おまん・・・昨日うろついとった衆じゃのぉ?何しゆうがや?」
男たちが、早田に飛び掛った。凄まじい力で捻じ伏せられる。
「捕まえたぜよ。」
早田は半分意識を失っていた。目は見えないが、声だけが聞こえる。
「玉枝は、ここじゃ。生きちゅう。」
「ええーい、仕切り直しぜよ。男衆ぃ集めにゃぁ・・・太一、触れだせぇ・・・」
「お、お父ん・・・、た、玉枝は、俺に返してくれ・・・こがんなっしもたのんも、与弥太様が玉枝を拒んだせいじゃ。べ、別の・・・」
「やっかぁしい。太一、おまん、村長の倅ぞ。おまんが惚れたおなごじゃけぇ、玉枝じゃなきゃいかんがぜぇ。村ん衆前で、絶対に口にすなぁ。」
「お、お父ん・・・お父ん・・・うっうっ・・・」
数人の足音が近付き、早田は何度か体中を蹴られて、意識を失った。
早田が、気付いたのは、男たちの凄まじい悲鳴が聞こえたからだった。重い頭をふりながら、早田が悲鳴のする方を見ると、座敷のようなところに、青黒い肌で牛頭の与弥太がいて、悶死していく男たちが与弥太の周囲に裸で蠢いていた。与弥太が、玉枝に繋がったまま、早田を見た。早田は、与弥太の姿を見た途端、恍惚となった。
玉枝は与弥太に揺られながら、歓喜の声をあげ、夢中で与弥太にしがみついていた。早田は、泣きながら、見ていた。
「ようやった。わしを長年閉じ込めおった連中を皆殺しにしてやったわ。褒美じゃ、お前を仲間にしてやる。」
早田は、与弥太にひれ伏した。
志乃が、妖艶な目で早田を見た。
神社で村の男連中が、全員一夜で死んでしまったことで、村の女子供はパニックになった。事情を調べに、禁断とされている神社へ恐る恐る足を踏み入れた女を、与弥太は喜んで喰った。
与弥太の傍らには、志乃がおり、早田は、志乃によって、血の味を覚えた。悶死した男、神社に足を踏み込んだ女を、与弥太と志乃と早田は、何年も何年もかけて、喰い続けた。
玉枝は、与弥太に気に入られ、幾年かのうちに、鬼になった。
早田は、玉枝を組み敷く力を得て、志乃も早田の思いのままになった。すべて、与弥太のお陰だった。
神社へ父親を探しにやって来たヒサエも、適応した。
村は、いつの間にか荒廃していた。
太平洋戦争中に、疎開者がいたが、与弥太を祀る術を受け継いだ者は既に消え去っている。誰も、荒廃した神社の奥に、鬼どもが潜んでいると気付くものはいなかった。知ったとしても、祀る術を知らぬ人間など餌に過ぎぬ。
時々、ヒサエと早田が村に出て、そっと人間を狩ればよい。
村が過疎になるのに、時間はかからなかった。
過疎の村には、人の訪れが途絶える。
平和な時代には文化も栄える。
早田は、街に出て、腕のいい大工を雇って、神社を見事な山荘に作り変えた。植木職人を雇って、庭や竹林を造らせた。
金があれば、何でも買える便利な時代になっていた。
岩本は、早田の話しを聞きながら、頷いていた。
「僕は、運良く、適応したようですね。」
「運が良いと、考えているのですか?」
「そう、思いますね。・・・玉枝さんも、もとは人間だったんですね。」
「今では、忘れておられますよ。ふふふ。私や、ヒサエは、与弥太様に玉枝さんほど気に入られていないというわけです。完全な鬼に、なれていません。」
早田は、寂しそうに言った。
「そろそろ、食事ですかね・・・」
早田に言われて、岩本は志乃の居る部屋へ入って行った。
志乃は、岩本が狩った男に絡みつき紅い目をしていた。男は、朦朧となりながら、志乃の腰を掻き抱いている。岩本が寝室に入ってきたことさえ気付かず、吠えるような声をあげている。
岩本は、するりとベッドに入り、男の喉に噛み付いた。
甘く温かい液が、男の首から岩本の喉へドロりと流れ込む。
白銀の長い牙から、上顎を伝い喉に直接流れ込んでゆく。鼻で息を吸いながらごくりごくりと喉をならせば、首から血潮が岩本の胃袋へ、岩本の胃袋から直接全身が吸収を始めるように、気だるさが消えていく。この前、喰らった柴田と違い、この男の血潮は汚れている。
ああ、こんな獲物しか、仕留められなかったか・・・
岩本は空腹を満たしながら、志乃を見た。
「今度は・・・もっと旨い人間を狩って来るよ・・・志乃さん・・・」
男の断末魔の喘ぎを耳にしながら、岩本は志乃に囁いた。
「・・・もっと美味しい人間が・・・?うふふ。うふふふ。」
志乃が男の下腹部に跨ったまま、腰を振るたびに、男は、干からびた喉から、掠れた息を漏らした。志乃の髪はさらさらと神々しく揺らぎ、真っ白く透き通る肌はぼぉっと仄かに輝く。
「ああ・・・綺麗だ。志乃・・・」
岩本は、志乃と繋がり髪に顔を埋める。
まだだ・・・俺は、まだ・・・志乃に吸われる・・・
志乃と繋がれば、岩本の体から精気が志乃に向かって流れて行き、岩本は力が萎えそうになる。岩本は、干からびながらまだ息のある男の左胸、脇腹、腕にかぶりつき血を啜る。
志乃が、腰を振って岩本にしがみ付く。意識を失いかける岩本の口に、温かい志乃の血がトロリと流れ込んでくる。
「ああ・・・志乃・・・僕は・・・」
「すぐる様・・・すぐに、鬼にはなれません。大丈夫、わたしの血をお飲みくださいな。」
意識を遠のくのを感じながら、岩本はぐっすりと眠った。
続きは、更なる美食を求めて、岩本氏が狩りに出ます。