第四話 狩
残虐表現 官能表現在り。ご注意ください。
翌朝、岩本は夜が明ける前に、四奏館を発った。
スーツに着替えて、アタッシュケースの中の金を財布に詰めた。金は人間を釣る絶好のアイテムになる。金で苦しんだ岩本には、この紙切れの威力を熟知している。アタッシュケースを片手に持ったさまを、以前の岩本を知っている人間ならば、誰も岩本だとは思うまい。
岩本は、住み慣れた東京に向かった。
早田に、狩りは人混みの中で行えと、助言を受けていた。
地の利もある東京の街は、ぷんと饐えた臭いに満ちていた。猛毒ガスのような汚臭の中で、人々が蠢いている。
岩本は、以前ぶらぶらと当てもなく歩いた公園に行ってみた。
颯爽と顔を上げて歩く人間と、目的がなくただ、苦悶の顔を浮かべて俯いて歩いている人間。
岩本は、餌を探した。
臭う。見える。
苦しみ、希望を失った引き換えに死を呆然と望み、死ぬ勇気を持たぬ人間。死んだところで嘆く者のいない人間。かつて、苦悩のどん底にあり、狂人としての日々を送っていた岩本ならば、同類の人間を、如何様にも嗅ぎわけられた。
岩本は、それらの人間をじっと眺めていた。
どの獲物にしようか…
この街に獲物は事欠きそうにない。
だが、岩本は自信に満ち溢れていた。自分と同じ、死を望んだものなど、狩る相手としては面白くない。生きる希望、野心、人を甚振ることに苦痛を感じぬ人間ならば、血も旨いに違いない。
岩本は、ぶらぶらと街中を歩いていた。
2人の面構えの悪い男が、路地で若い高校生くらいの少女に絡んでいた。少女は怯え、逃げようとしていた。
岩本は、かつて、この手のヤツラに、玩具のように遊ばれたことがある。そして、漫画で見たことのある、シーン。少女の危機を救う強い男。岩本は、首を振って肩を回した。
決めた。こいつらにしよっと。
岩本は、漫画のシーンのように、少女の前に立ちはだかった。
「なんだよぉ。てめぇ。」
「このお嬢さんが迷惑そうでしたよ。」
「すっこんでろ。この、ボケ。」
岩本に睨みを聞かせようと大声を張り上げる男の顔を見て、ニヤリと笑う。
「何ニヤついてんだよっ。おい、おっさん。いいから、すっこんでろよ。
以前は・・・恐かったなぁ・・・コイツらのような男たち。
岩本の目に、力のあるものと悟ったのか、2人のうちの少し利口そうな男が声を落として言う。
「このお嬢さんの親父が、借金踏み倒して逃げたんで、このお嬢さんに働いて返してもらおうとしてるだけだよ。わかったら、そこをどけよ。」
「あ、お金ですか・・・いくらなんです?」
「はぁ?あんたが払ってくれるっての?おっさん?」
「まあ、今の手持ちは限られてるんですがね。で、幾らです?」
「面白えこと言うじゃないの?え?おっさん?いっせんまん。なんだけどよ。あんたが耳揃えて返してくれんの?」
男たちは笑う。
つまらんな・・・金だけでカタがつくのか・・・
殴らせてくれよ。嬲らせてくれよ。僕は、強いんだよ。
岩本は、周囲の雑踏を疎ましく思った。愛想笑いを浮かべる。
「ああ、いいですよ。ただねぇ、今、全額ってわけにはいきませんので、とりあえず、半分だけなら。」
岩本は懐から、封筒を差し出した。男たちはひったくって中身を調べた。
「金、じゃないの。これ、大金だよ。」
男たちは顔を見合わせている。受け取った男が数える。
「あ、それ、5百万あります。」
「はぁ?」
「足りねぇなぁ、おい、おっさん、あんた、何モンだ?え?」
「あ、私、こういうものです。」
岩本は名刺を差し出した。“SS地所 営業部長 岩本すぐる”
「SS地所?土地屋が、何で、こんな・・・あ?おっさん、このお嬢さんを俺たちから買おうっての?」
「ま、そのようなものですかね。」
「ふーん・・・一千万の価値ね・・・ま、独り占めにしよってんだからな。」
男が、少女を上から下まで眺める。少女は岩本を凝視している。
「・・・もう、5百万もらわねーと、渡せねーな。」
岩本は、怯えきっている少女の顔をチラと見た。あどけなさを残しているが、これは器量良しである。この娘は、餌になるのだろうか。岩本は、
「一緒に、取りに来ていただけますか?もう半分、耳を揃えてお渡ししましょう。」
「取りにって、高知かよ?」
「はい。銀行に納めていないお金で、お支払したいのでね。」
「まー、そりゃそうだわなぁ。」
男たちは、携帯でどこかに電話をかけていた。
まずい・・・
岩本は、顔を顰めた。誰かに電話をされるとまずいのだ。
「あ?はい。金を・・・わかりました。」
さて、明日の朝にどうやって電車に乗せようか。
「おっさん、今から、行こうじゃないの。」
「電車は、もう、ありませんよ。」
「寝惚けるなよ。俺たちが車を出してやるよ。」
「あー、それは助かります。」
「嬉しそうだな、え?あんた、そんなにこの娘が気に入ったの?」
「私の娘に似ているんですよ。」
岩本が鼻をすすると、男たちは腹を抱えて笑った。
岩本は、男たちの運転する車に乗った。
高速に乗ってすぐに、岩本は、早田に電話をかけた。
「岩本ですが、今、お客様を連れて社へ戻ります。男性2名に、高校生のお嬢さん1人。あー、5百万円を男性にお支払することになっていますので、用意の方をお願いします。」
岩本の声を聞いて、二人の男は顔を見合わせた。
岩本の隣で、少女、真弓は怯えきり、硬直したまま、泣きはらしていた。
男たちの運転は荒く、夜通し走り抜いて、岡山に明け方到着した。少女は寝息を立てて眠っている。
PAでトイレ休憩に立つ間も、男は少女と岩本に監視の目を緩めない。運転を交代して、瀬戸大橋を渡った。岩本は、車で長距離を移動するのは初めてだが、全く疲れを覚えない。
この男たちのことを化け物だと思っていたが、今では、哀れな子羊に見える。岩本は笑いたくなるのを必死で我慢した。
連れて行ってしまえば、あの男が掛けた電話のことも、与弥太が何とかしてくれる。
岩本は、確信していた。
早田との連絡を取り合う。PA下に、運転手が迎えに来ていた。男たちの車をPAの駐車場に残したまま、四奏館の車に乗りこんだ。
車が山道を走るが、男たちは疲れきり、ぐっすりと眠っていた。
竹林に近付いて、車が停車し、男たちを岩本が起こした。
「旅館?」
豪奢な純和風の旅館を値踏みしながら見ている。
「どうぞ、こちらへ。まあ、少し、お寛ぎください。」
岩本が、玄関の引き戸を開けると、志乃、玉枝、ヒサエが、清楚な和装で丁寧に迎えた。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。」
ヒサエが、少女の手を優しく引いて、男たちから引き離す。
「おい、ちょっと待て。まだ、金は受け取ってない。」
「承知しております。ささ、どうぞ、こちらへおあがりください。」
早田が、腰を低くして、愛想笑いをした。
現金を、ロビーのテーブルの上に盆に載せて用意していた。
男たちは顔を見合わせ、先程、岩本が渡した封筒と合わせて、じっくりと確認している。携帯を取り出し、連絡しようとして、携帯を床に叩き付けた。電波が届いていないのだ。
「電話を、貸してくれ。」
「まぁまぁ、後で、宜しいじゃありませんか。」
早田と、岩本が愛想笑いをして、男たちに膝を摺り寄せた。
「他に、あれくらいの若いお嬢さん、いらっしゃいますよね?」
「えっ?・・・ま、まあな。」
「ま、今後とも、よろしくお願いしたいものですなぁ。」
男たちは、顔を見合わせている。
「さ、こちらで用意した女は、少女というわけではありませんが、ふふふ、それなりに、教え込んでおりますので、さ、ささ、お部屋へ・・・。少し、お愉しみいただけるといいのですが・・・。」
早田のヘラヘラとした愛想笑いに、すっかり横柄になった二人は、部屋へ入る。手元にある分厚い金の封筒さえ握っていれば、どうやらこの男たちは安心できるらしい。
広い豪奢な座敷に洋間に内風呂と寝室。極上のスイートルームに二人は顔を見合わせた。座敷の中央の座卓には見事な料理が並んでいる。酒もある。
男たちは、胡坐した。志乃と玉枝が部屋に入り、濃厚な宴を始めている。
岩本と早田は、ヒサエが連れ出した少女の部屋を覗いた。
少女は、ヒサエの横で粗末な食事をとっていた。
「いい土産ですね。あの子は、与弥太様のお気に召されるでしょう。」
ドアを閉め、早田が言う。
「与弥太様・・・あの、牛面の?」
「ええ。私は、あの方を見たとき恍惚となりましたよ。・・・ずっと昔からここの神社に封じ込められて、祟らぬよう、祭られていたのです。あの方は、神ですよ。神社の御神体です。現身の御姿に接すると通常の人間は悶死します。」
早田は、粗末な部屋に岩本を案内した。部屋というより、岩穴を部屋にしたもの。この山荘の後ろ側はすっぽりと大貫峠下山中に嵌るような形になっている。表と竹林側の側面には、豪奢な山荘の趣を持つが、厨房より奥は、山中の穴なのだ。ヒサエの部屋もその穴にあり、早田の穴も同様。
「日の当たる場所よりね、こちらのほうが、だんだん住み心地が良くなるのです。」
早田は、岩本に唇の端を吊り上げるような笑い方をした。
「・・・仲間入りですね。後悔はなさそうですし。」
「金があればね、ついて来る人間はうじゃうじゃいますよ。」
「金の威力は、昔に比べたら巨大になっているようですね。流石に与弥太様は何もかもご存知で・・・。」
「僕は、狩が楽しくて仕方ないですよ。あはは。」
「・・・それは良かった・・・私は、人間であったときの記憶がどんどん薄くなっていっているので、送者は、あなたと組むようにさせてください。」
「もちろんです。」
「与弥太様は神です。神があなたを使いたいだけ、あなたは動かしてもらえる。」
早田は、そういうと含むように笑った。
「・・・昔話でもしましょうか。・・・ここは、私が訪れた頃にはまだ村民が住んでいて、立派な神社があったんです。村民は、与弥太様のことを恐れ敬っていました。私が、来るまではね。」
早田は、嬉しそうに言う。
「民俗学を続けたかったんですが・・・何せ、あなた同様、私は、人間社会に適応できなかったんです。大学まではなんとか出ました。後は、小さい工場を転々としながらね、民俗学の調査の真似事なんかやっていたんですよ。あるときね、この土地の奇妙な生贄信仰のことを図書館の古い本で見つけて、惹かれましてね、やって来ました。」
早田は、遠い目をした。
ここまで読んで下さって、ありがとうございます。
続きは、夜蛇神伝説に触れます。早田氏と玉枝が、夜蛇神に選ばれる場面です。よろしく。