廃人の末 3
官能シーン在り。ご注意ください。
岩本氏が、適応反応をみせて行きます。
どのくらい眠ったのだろうか。
ふかふかの広いベッドで、岩本は全裸で目が覚めた。
「ぐっすりお休みでしたね。朝餉の用意を整えさせていただきました。」
昨夜の仲居が言う。座卓を見ると、一人分の見事な朝食が並んでいる。
「早田さんは?」
「栗の間でございますよ。早田様は、もう朝餉もお済になり、森を散策されております。岩本様には、どうぞご自由にお寛ぎくださいと伝言を言付かっております。夕餉にはご一緒されるそうでございます。」
岩本は、首に何気なく手を当てた。僅かな腫れがあるようだった。
「し、・・・いや、女将さんは?」
「女将は、接客でございます。…夕餉に、お顔を見せられますよ。」
仲居は含むような言い方をした。
「この辺は、随分辺鄙なところでございますが、遊歩道もあり、空気と景色が散歩には良うございます。」
仲居がいい、静かに去って行った。
朝餉を済ますと、岩本はぼおっと湯に浸った。
昨夜は、志乃を抱いたのだろうか?しかし、岩本の記憶は、湯船に使ったところから消えていた。
岩本は、ぬるい湯船に浸り、上がると眠った。
カタカタと小さい物音がして、目を覚ますと、仲居が、座卓に昼餉を並べていた。
「昼餉の用意を整えさせていただいております。」
岩本は、見事な昼餉を平らげた。朝も凄い量の食事を飢えたように食べたのに、昼もまた、たまらない空腹を覚え、舌を唸らす料理をガツガツと平らげた。
ふうっと息をつくと、また、湯に漬かりたくなり、湯に浸かった後は、また、眠くなった。
「ふっふっふ、岩本さんは、お疲れなんですよ。眠らせてあげてください。」
早田の声が遠くから聞こえ、岩本はむくりと起きた。
朦朧とする頭の中で、「夕餉でございます」と、仲居の声が遠くから聞こえた。
夕餉…?ならば、志乃に会える・・・。岩本は、のそりとベッドを降りた。
朦朧とした頭なのに、並んでいる夕餉を見ると、押さえ切れぬ空腹感が湧き、ガツガツと飢えたように平らげた。
クスクスと忍び笑いが聞こえ、重い瞼を上げてみると、岩本はベッドに横たわり、両脇から志乃と玉枝が岩本の体を愛撫していた。
「お姉さまずるい。次はあたくし…。」
チロチロと擽る様な愛撫を下腹部に感じた途端、岩本は「ぐう」と声を上げて仰け反った。岩本の起立した肉の前に、美しい顔が2つ並び、競うように紅い舌を伸ばして肉を舐め、含む。
仰向けに横たわった岩本の下腹部に、玉枝が腰を落とす。
志乃の紅い舌が岩本の唇を吸う。真っ白な玉枝の乳房が岩本の上半身の上でのたくっている。
二人は岩本を真ん中にして、交互に跨り、蠢いた。岩本は気の遠くなるような長い時間、何度も何度も狂おしいばかりの熱を下腹部に感じる。果てることのない波が、体の芯から打ち出て行く。
「嗚呼…」
仰け反る二つの白い女身は、トグロを巻く蛇のように、岩本に絡みついたまま、ぬめぬめと揺れる。
岩本は女たちを掻き抱く力はなく、横たわったまま、女たちのなすがままに、波打つ熱を迸らせ続けるだけである。
幾晩、幾度、志乃と繋がったか。玉枝と繋がったか。
岩本は朦朧と眠っていた。
真っ白い光が見えた。
俺は、死んだのか?
岩本は、真っ白い光の中で、体中に溜まっていた汚れが浄化され尽くして、軽くなったような、いい気分で漂っていた。
ずっと虚ろだった脳が、やっと覚醒したかのように、清々しく、ううんっと大きく息を吸い込み、伸びをした。
白い光はたちまち消え、鼻の傍から暖かく甘い花の香りがしている。うっすらと目を開けると、黒い柔らかい長髪の下に、可愛らしい志乃の顔が見えた。すうすうと深い寝息を立てている。
岩本は、覚醒した頭でゆっくりと状況を把握していった。
四奏館の豪奢な客室のゆったりとした寝心地のいいベッドの上で、子猫のように丸まった志乃を抱いて眠っていたのだ。
裸身の志乃に口づけをして、岩本は、初めて自らの意思で、志乃を抱いた。
夢うつつの中で、志乃は岩本の喉首に牙を突き立て、跨って岩本の命や血潮を吸い取ろうとしていたように思えたが、今、しっかりと岩本の胸の下に抱きしめている志乃は、物の怪ではなく、紛れもない可愛い女なのだ。
「嗚呼…すぐる様ぁっ…。」
志乃は岩本の腕の中で、身を震わせた。
夕餉を仲居が運んで来た音がして、仲居と早田が、座敷でなにやら話しているのが聞こえて、岩本は目を覚ました。
「…岩本様はぐっすりお休みでごさいますよ。」
「見違えるように、元気になりましたなぁ。」
「女将さんの献身でございますよ。」
「志乃さんにねぇ…ふふふ。」
「早田様、今日のお散歩は、いかがでございました?上の滝は…。」
「うん、なかなか気分いいものでしたよ。散歩は、実にいいものです。」
早田の声が聞こえて、岩本は、ベッドから裸体のまま起き上がった。早田に挨拶もせず、岩本は湯船に浸った。体力がむくむくと回復するような気がして、岩本は堂々と湯から上がる。
「やあ、早田さん。今日は、散策に出ていたそうですね。」
「岩本さん、この上に見事な滝があるんですよ。明日にでも、遊歩道を散歩されるといい。」
「そうですか。明日は、歩いてみることにします。」
岩本は、ニコニコと答え、匂いに誘われて座卓を見た。いつも通り全く別のメニューで見事な膳が座卓いっぱいに広がっている。
「さあ、いただきましょうか?岩本さん。ここにいると、腹が減りますなぁ。」
「そうですね。うまい空気のせいでしょうか?」
「ここは、空気も水も何もかもが美味いんですよ。」
「いいところへ、連れて来ていただきました。早田さん、ありがとう。」
「いえいえ、喜んでいただけて、私は、満足しているんですよ。」
岩本は早田と旧友のように話しながら、ガツガツと飢えたように膳を平らげていく。
「こんばんは。」
玉枝が入って来る。玉枝を囲んで、話に花が咲く。
宿は古く、何代にも渡って娘が継いでいるという。宣伝をしておらず、早田のような常連が、客を連れてくることで賄えているということだった。他の客もいて、別の姉妹が接客中ということだった。
部屋から一歩も外に出ていない岩本は、当然誰とも会わない。もとより他の客のことなど気にはならないが、志乃が他の客にもついていることを思うと、狂おしいような嫉妬が湧くのだった。
「こんばんは。遅くなりまして。」
鈴のような声、志乃だった。岩本はそわそわとし、早田と玉枝がくすっと冷やかして笑うが、岩本は堂々と、志乃をかわいいと褒めた。
「待っていたよ。志乃さん。」
「まあ、すぐる様…嬉しい。」
志乃の注いでくれる酒は甘露水のように岩本に染み入る。志乃は杯が進むほどに、頬をほんのりと桜色に染める。
「志乃さん。」
「すぐる様。」
囁きながら言葉を交わす。父母が亡くなってから妹と一緒に切り盛りをしているので、一日に何組もの客の世話ができないと言う。
「独りなの?」
「ええ、だって、誰もお嫁にもらってくれないんですもの。」
岩本は、ならば自分の嫁に、と、言いかけて言葉を呑んだ。養えぬ、そう思いながら、この宿で働くのは出来るかも知れぬと、考えた。健気な志乃を助けてここで暮すのだ。岩本は、酒に朦朧とする頭で思考を巡らそうとして、そのままふっと意識を失った。
どのくらい、そういしていたろうか。
何日間、滞在していただろうか。
岩本は、朦朧とする頭を抱えて、起き上がった。
いつになく、体中に力が漲り、空気を花から吸い込むほどに、頭が冴えて来る。湯に浸かり、浴衣を羽織った岩本は大きく伸びをした。箪笥に仕舞い込んでいた自分の服を取り出し、仰天した。
筋肉で太ももも胸も太くなり、心なしか背も高くなったような感じで、服が入らなくなっていた。単に太ったというものではない。青白く病的なほど猫背で抉れるような腹周りに肋骨が浮いていた体だったのに、憧れ続けた体躯が鏡に堂々と背筋を伸ばして映っていた。落ち窪んでいた目に精気が戻りというより初めて見る生きた目、別人のような自分を岩本は両手で触った。紛れもない自分。
滋養の豊富な山海の幸に良質の湯、澄み切った空気に、静寂。
それらすべてが、生きながら死人のようだった岩本を精気漲る人間に変えたのだろうか。
岩本は、大きく息を吸い、浴衣に半纏を羽織り、下駄履きのまま宿の裏の遊歩道を歩き始めた。
踏みしめる足に力を感じる。重くけだるかった体が軽い。以前は山道など分け入ろうなどと考えたことがないのに、今は歩きたい。
ぐんぐんと下駄のまま山道を歩き、あっという間に滝まで来た。喉の渇きを覚えて、滝の瀬に下りた。清水に口をつけて喉をならした。うまい。
これが自分か?
岩本は驚きながら、くよくよと考えずに、溌剌とした顔で天を仰ぎ見た。太陽がまぶしく、青空が広がる。晩秋の落葉を待つ赤茶けた木の葉が美しい。鳥の囀り、滝の音を心地よく感じていた。
岩本はいつ覚えていたのか、大きな声で歌を歌いながら、山荘に戻った。
「これは、岩本さま。お戻りでございますか。どちらまで?」
仲居が玄関に出迎えて、眩しそうな目を向けた。山荘の中は、外の光を浴びた岩本から見ると薄暗く見えた。
「散歩ですよ。あなたが、遊歩道の上に滝があると教えてくれたじゃないですか。」
「ええ、そうです。では、まあ、滝まで上られたのでございますか?」
「うん。見事な景色でしたよ。空気も水もうまい。」
岩本は、堂々と、自分の部屋に向かいながら、山荘の中の不思議な空気に違和感を覚え始めていた。ひっそりとしすぎる。豪奢な建物と調度に囲まれた空間が空々しく、生きている人間の気配が薄い。
岩本は、山荘の中をあちこちと歩きながら、覗き回った。
おかしい。何かがおかしい。
仲居と岩本のほかには、誰もいないような気がするのだ。
「仲居さん、早田さんは、栗の間だと言っていましたね。」
「左様ですが、お休みでございます。」
「お休み?具合でも悪いんですか?」
「さあ、それは存知上げませんが、ごゆっくりなさっていらっしゃいますので、お訪ねならば、この私が伺って参りますが。」
「いや、起こすまでもありません。」
仲居が青ざめた顔で狼狽えたので、岩本は怪訝に思った。
おかしい。この山荘はどこか、おかしい。
岩本は中庭に立って、山荘を見上げた。見事な和造りの館。磨き上げられた古い館。ただ、静か過ぎる。
「ううっ・・・」
何かが呻くような声を聞いた。人の声か、獣の喉の音かわからぬほど低い声だが、確かに聞こえる。
岩本は、庭から声のした方にゆっくりと歩いた。
声が、明確に聞こえるようになった。
開け放たれた窓に、岩本は寄った。
「ううううっ…」
絹の布団に裸体で横たわった干乾びた死体から、呻きが漏れている。岩本は息を呑んだ。死体と思った男が、もぞもぞと動いて、
「う・・・ううう・・・うううっ・・・」
細長い小枝のような指で喉を掻き毟りながらもがいている。
なんだ?これは?まだ、生きているのか?
「し…志乃…」
志乃?志乃と呼んだか?この男…
岩本はその場に立ち尽くした。
部屋の造りは岩本の部屋と同じ。岩風呂があり、大きなベッド、洋間と座敷のある広く豪奢な造りの部屋。同じベッドの上で、干乾びた男がもぞもぞと苦しそうに呻いている。
「ううう・・・志乃・・・」
目を閉じ、志乃の名を呼び、喉を掻き毟る仕草を繰り返す。呼吸は浅く、どす黒い肌色は青味掛かり、絹地の艶やかな紅い布団が一層この男を死人に見せる。
ぎょっとしている岩本の背後に、仲居がひっそりと立っていた。
「昼餉が整いましてございます。岩本さま。」
「仲居さん、あの人は病人なのですか?」
「はい。養生中のお客様でございます。さ、ささっ、どうぞ、お部屋にお戻りを…。」
仲居のか細い手に袖を掴まれて、岩本は振り返りながら歩き出す。
「他のお客様のお部屋を覗くなど…謹んでくださいませ。」
「ああ、それはまずいことをしてしまった。だが、しかし…あの人はどんな病気なのかはわからないが、医者にかかっているのですか?」
「他のお客様のことは、何も申し上げることはございません。」
仲居は、じっと岩本の目を睨んで嗜めた。
「そうですね。すみません。」
仲居は、ささっと支度を済ますと、部屋を出ようとした。
「仲居さん、女将は?」
「は、お留守でございます。何しろ、この山荘は従業員が少のうございますので、女将も買出しなど、忙しくされております。」
「ああ、そうですね。」
岩本は、仲居が去った後をじっと見ていた。
見事な昼餉。幾日も滞在し、何度も食べているが、同じ菜が並ぶことはない。どのような腕のいい料理人がいるのか。館を見回したのに、厨房が見当たらず、膳を炊く匂いも感じなかった。こんがりと焼けた肉、炊きつめた煮物、カラリと揚げた山菜。どれも、手間がかかり匂いを出さないものはない。
まあ、いいか。
岩本が異常なほどの空腹を覚え、飢えたようにガツガツと平らげた。
いつもは、ここで風呂に浸かり、そのまま眠ってしまうのだが、岩本は湯に浸かっても眠くならず、黙ってソファに背を持たせかけながら竹林を見ていた。
例え、ここが人でないものが営んでいたとしても、どうということはないのだ。
目を閉じた岩本は、幾晩か共に褥を共にした志乃の甘い吐息と熱い身体と、岩本の愛撫に応えてすすり泣いた声と姿を思い出していた。満足感に浸りながら、岩本は、竹林を見ていた。
志乃は人ではあるまい。
だが、岩本は物の怪の志乃を愛しく思っていた。
とり殺されてもいいと、志乃を抱きながら思っていたのに、どうしたことか、岩本は、下界にいたときよりも、生命力に溢れているのだ。
馴染んだのだろうか。俺は・・・。
岩本は、唇の端を吊り上げるように笑った。
続きも よろしくお願いします。