第2話 涙と悲鳴と人生と
「それじゃ、しゅっぱーつ!」
相変わらずのハイテンションのまま美咲が叫ぶ。
誰か頼むからこいつにブレーキを付けてやってくれ。
せめてハンドルでもいいから。いや、まぢに。
ずりずりと引きずられて家の前の道路に出た。
そこには一台のバイク。
かなりでかい。
「これ………まさか美咲の?」
「うん。先月免許とったの」
ほら、と免許証を見せてくる。
一応本物みたいだ。
「じゃ、行くから乗って乗って」
美咲に促され、バイクの後ろに乗った。
そして手を美咲の腰に回そうとして……………いや、さすがにそれはマズいだろ。
いくら幼なじみとは言え、一応俺はもう高2だし美咲ももう大人だし…………
悶々と俺が一人でそんなことを考えていると、美咲が唐突に(いや、いつもなのだが)、
「ねー、拓哉」
「? なんだよ?」
後ろを振り返り、つい、と俺を指差した。
「パジャマのままだけどいいの?」
「あ」
自分の格好を見下ろして俺も気付いた。
まぁ、朝玄関に出てそのまま拉致されたのだからパジャマなのは当然と言えば当然だ。
そしてこれはチャンスでもある。
着替えてくると偽って、そのまま逃げるか。
「しまった。美咲、着替えてくるから────」
「ま、いっか。出発するから捕まって」
「え?ちょっと待っ─────っ!!?」
俺の言葉は、最後まで続かなかった。
何故なら、バイクがいきなりアクセル全開で急発進したから。
初速が有り得ない。
そして後方へのとんでもないG。
世界は暗転し、次いで三途の川とかそういった類の物が見えた。
簡単に言えば死にかけたのである。
気が付くと、俺は死にたくない本能から、美咲の腰に出を回していた。意外と華奢だとか柔らかいとかそんなこと考える余裕なんてない。
とにかく死ぬ。
手を離した瞬間、簡単に死ねるだろう。
「み、美咲!スピード緩めろ!」
「え〜?なに?聞こえない」
聴覚は風を切る音しか捉えられていない筈なのに、美咲ののほほんとした声だけは妙にはっきり聞こえた。
「だからスピードを────ば、馬鹿!振り返らんでいい!前見ろ前!?」
「え〜?文句多いよ〜」
「いや、だから冗談抜きで信号が赤ぁぁぁぁぁ!!?」
赤信号になっていた十字路を躊躇うことなく走り抜けた。
横からの車と衝突はなんとか避けたものの、後ろの方でドカーン!だのガシャーン!だのと言った致命的な音が響いている。
「おい!もう止まれ美咲!」
「大丈夫だって!任せといて!」
なにを根拠に言っているのかこの人は。
「ってか、目的地どこだ目的地!?」
「海」
「いや、だからどこの!?」
「海」
要するに決まっていないと。
つまりこの暴走は海が見えるまで続くということか。
思わず頭を抱えたくなったが、そのまま後方に飛ばされそうになったので再び美咲にしがみついた。
と、その時。
サイレンの音を鳴らしながら数台のパトカーが俺達のバイクを追跡し出した。
「んな!?おい!警察じゃんか!ヤバいって!今までも十分ヤバかったけど今度はまじで!止まれって!本当に犯罪者だぞ俺達!?」
もう必死。
とにかく必死の抗議。
事の重大さが全く分かっていないこの馬鹿をなんとか説得しなくてはならない。
が、
「うん。大丈夫。なんとか逃げ切るからしっかり掴まってて」
こくん、と頷きながらそんなことを仰った。
「待て待て待て待て!お前なぁ!俺達警察に捕まったら間違いなく監獄行きだぞ!?頼むから今度ばっかりは本当に俺の話を─────」
「拓哉………」
突然、俺の言葉を遮って、振り返らずに美咲が俺を呼んだ。
その声は、いつものふざけているような明るいものではなく、真剣そのものだった。
「拓哉、人生はね。何があるか分からない方が楽しいんだよ?レールが敷かれた人生なんてつまらないんだから。だからさ、現実主義なのもいいけど、たまには夢も追いかけてみようよ?」
「……………ぇ?」
その言葉を聞いて、驚いた。
それは、いつも俺の近くにいる騒がしいだけの美咲ではなく、包み込むような優しさを持った声だった。
確かに俺は、あまり夢に縋ろうとはしない。
現実を見て、自分の殻に籠もり、安全なことばかりやっている。
大失敗がない代わりに大成功もない。
それではあまりにもつまらない、と美咲は言っているのだ。
そうか。
そうだったのか。
人生は先が見えない方が面白い。
冒険を楽しむことを、俺の幼なじみは伝えてくれようと──────
「って、なに納得しかけてんだ俺は!?お前も洗脳しようとしてんじゃねぇ!!」
「あ、バレた?テヘッ!」
「『テヘッ!』じゃねぇバカヤロー!とにかく止まれ!」
「じゃ、そろそろ本気で逃げるから、喋ってると舌噛むよ〜」
そんなとんでもない発言をして、美咲は体勢を僅かに沈める。
「な!?ほ、本気って今までは!?」
「ん〜…………準備運動?」
………絶句。
この人が本気を出したら世界的なテロリストとしても通用するだろう。
『そこの暴走バイク!止まりなさーい!いや……止まってください!本当に!危ないから!?』
パトカーのスピーカーから声が聞こえてくる。
その口調は、何故か敬語。
向こうも真剣に困ってる。
この人の暴走に。
「さてと、それじゃあ張り切って逃げますかー」
グィーン、とバイクは加速して行く。
だが、俺の心は何故か澄み切っていた。
「は…………はははは。もう知るか。どうにでもなれ。もう知るか………」
澄み切ったというか完全に諦めたという方が適切だが。
バイクは突っ走る。
信号を無視し、有り得ない細道を横切り、検問を突破する。
俺の涙と悲鳴は、遥か後方へと吸い込まれて行った。