生首姫
タイトルの通り、主人公が生首です。
多少流血描写もあるのでご注意を。
むかしむかし、ある国にとても美しいお姫様が住んでいました。お姫様は金色の長い髪に、深い森の緑と同じ色の眼、雪のような白い肌を持っていました。
しかし、お姫様には生まれつき首から下の身体がありません。首だけで生きているのです。父親である国王や、お城の家来たちは首だけのお姫様を気味悪がることもありましたが、彼女の透き通る綺麗な声を聴いて、優しい心に触れると、とても愛おしく思えるのでした。
お姫様がお城の中を移動したいときは、召使いがお姫様を絹のクッションに乗せて運びましたし、本を読みたいときはページをめくってあげるのです。食事も、着替えも(着替えとはいっても、首だけなので髪を整えたり、装飾品をつけたりする程度なのですが)、身体がないお姫様にとって難しいことは、召使いたちが甲斐甲斐しくお世話をするのでした。
お姫様はお城の外に出たことがありません。いつも部屋の窓から城下町の様子を眺めては、羨ましそうに溜息をついて、こう呟くのです。
「ああ、私に身体があればあの街を歩けるのに」
国民たちはお姫様に身体が無いことを知りませんでした。きっとこのことを知れば、心ない国民の一部はお姫様を傷つけてしまうでしょう。そのために、国王によってお姫様はずっとお城の中に隠されていたのです。
ある時、お城のそばを隣の国の王子様が通り掛かりました。王子様がふとお城を見上げると、窓辺にとても美しい女性がいるのが目に入りました。その女性は、もちろんお姫様でした。しかし、下から窓を見上げる王子様には、お姫様の首より下は見えません。
「ああ、なんと綺麗なひとだろう」
お姫様が首だけとは知らず、王子様はその美しさに心を奪われてしまいました。窓から注ぐ日の光を浴びて、お姫様の髪の毛と緑の瞳はきらきらと輝き、まるで宝石のようでした。
王子様がしばらく見とれていると、脇の庭の木から小鳥が飛び立ちました。小鳥はお姫様のいる部屋の窓まで飛んでいき、その小鳥を目で追っていたお姫様の視線が、下で見つめている王子様の視線とぶつかりました。お姫様と王子様は急に恥ずかしくなって、お互いに視線をそらしました。お姫様がもうひと目見ようと再び視線を戻した時には、既に王子様はどこかへ行ってしまっていたのです。
「あの方は隣の国の王子様でございますよ」
召使いはお姫様にそう説明しました。
「素敵な方だったわ、ちゃんとお会いしたいけれど、この姿ではきっと嫌われてしまう」
お姫様はとても残念そうにすると、召使いに頼んで窓辺からソファの上に移してもらい、またひとつ溜息をついたのでした。
その次の日から、お姫様のもとに手紙が届くようになりました。隣の国の王子様が、お姫様と親しくなりたい一心で送って来るのです。手紙には他愛のない世間話から、自分の国の様子、そして王子様がお姫様をどれだけ想っているかが綴られていました。
お姫様は初めのうちは正体を知られることを恐れて返事を書こうとはしませんでしたが、手紙なら姿も見えないこと、王子様の手紙がとても丁寧で誠実だったことから、次第に手紙の返事を書くようになりました。お姫様はペンが持てないので、召使いが代わりに書こうとするのですが、お姫様はこれを断って、口にペンをくわえて手紙を書きました。せっかく王子様が自分にくれた手紙なのですから、返事も自分で書きたかったのです。お姫様が口で書いた手紙は、字もところどころ歪んで、不揃いでしたが、王子様は気に留めずに毎回返事を書いていました。憧れのお姫様から手紙が来るというだけで嬉しかったのです。
何度かそうしてやりとりをしているうちに、想いは募りに募って、とうとう王子様はお姫様に会いたくてしょうがなくなりました。手紙に「直接会いたい、あなたを近くで見たい」と書いてお姫様に送りました。しかし、お姫様の返事は「恥ずかしいので会えない」というものでした。王子様は何度か「あなたに会いたい」と手紙に書きましたが、いつもお姫様からは「あなたとは会えません」と返事が来るだけでした。王子様は、きっとお姫様に事情があるのだろうと思いました。そして、手紙にこう書いたのです。
「あなたがどんな人であろうと、私はあなたを嫌ったりはしません。私はあなたを心から愛しています。きっとあなたと直接会った後でも、この気持ちは変わらないでしょう」
その手紙を送ってから暫くして、お姫様から返事が来ました。
「あなたが私に会いたいように、私もあなたに会いたいと思っています。ですが、それは難しいことです。もしあなたが私をいつまでも変わらず想ってくださるのなら、次の満月の夜に私の部屋でお会いしましょう」
この返事を読んで、王子様はとても喜びました。
それからしばらく経って、満月の日になりました。王子様は期待に胸を膨らませて、お城のお姫様の部屋を訪ねました。部屋の扉をノックすると、「どうぞ」と返事が聞こえたので、王子様は静かに扉を開けて中に入りました。
王子様は部屋に入ると驚きました。お姫様の部屋の中は一切の明りがないのです。かろうじてカーテン越しにもれる月の光だけが、室内をぼんやりと照らしていました。
「これではあなたの姿が見えません、明りをつけてはもらえませんか」
王子様がそう言いますが、部屋にいるはずのお姫様は何も答えません。我慢ができなくなった王子様は、窓にかかるカーテンを一気に引いてしまいました。すると、満月の明りが薄暗かった部屋を照らしだし、ベッドの奥にいるお姫様の姿もあらわにしました。
いつの日か見た美しい姫に違いありません。しかし、王子様はその姿を見て表情を凍らせました。
「身体が……無い……」
月明かりで輝く金の髪と白い肌、どこか悲しげな深い緑の眼。それは溜息が出るほど美しいのに、お姫様には身体がない。何度も、何度も見直しましたが、見間違いなどではありませんでした。驚きの声も出せずに、王子様は力なくその場に膝をつきました。
「私の姿を見て、さぞかし気味が悪いと思われたことでしょう。首だけのこの姿でも、あなたと手紙をやりとりできます。こうして話すこともできます。けれども、身体がないという事実は決して変わりません。覚悟はできておりました、どうか、私のことはお忘れになってください」
お姫様はそう言って、今にも涙が溢れそうな眼を伏せました。きっと、王子様はこれでお姫様を嫌いになって諦めてしまうだろうと思ったのです。
座り込んだままだった王子様はそれを聞いて静かに立ち上がると、お姫様に向き合い、長い金の髪をひと房手にとって口づけをしました。お姫様は驚いて王子様の顔を見ると、真剣な眼差しでお姫様を見つめていました。
「私はあなたの身体に惚れ込んだのではありません。美しいその瞳と、心を好きになったのです。手紙に何度も書いたように、私はあなたを心から愛しています」
その王子様の言葉に、お姫様の眼から涙が零れおちました。王子様はお姫様の涙を持っていたハンカチで優しく拭き取り、照れくさそうに微笑みました。そして、優しい声で言いました。
「どうか、これからも私と共にいてください」
お姫様は、黙って頷きました。こうして、二人はめでたく結ばれたのです。
王子様がお姫様に告白したということを知った王様は、姿に捉われず心でかたく結ばれた二人に感動し、とても喜びました。たくさんのお祝いの品とともに、二人が静かに暮らせるようなお城を用意してあげたほどでした。そのお城でお姫様と王子様はひっそりと結婚式をあげて、そのまま暮らすことになりました。
「結婚相手が生首女ですって! そんなこと認めるわけがないでしょう!」
大きな声で二人の結婚に反対していたのは、王子様の母親である隣の国の女王でした。
「一時は美しい愛情だと思っていましたけれど、考えてみればあんな生首じゃ後継ぎも産めやしない! そもそも首だけでは気持ち悪いったらないわ! かわいそうな王子、あんな女を好きになってしまうなんて!」
怒りで真っ赤になった女王は、急いで家来を呼びつけました。
「あの生首姫を殺しておしまい! 毒でも矢でも何でもいいわ、王子とあの女を引き離すのです!」
恐ろしい命令が下され、女王の家来はお姫様と王子様が暮らすお城に向かいました。
夕暮れの薄暗い時間、王子様とお姫様はちょうど散歩から帰ってきたところでした。王子様が馬にまたがり、その足の間に絹のクッションを敷いて、その上にお姫様がのっていました。お姫様が転がって落ちないように注意しながら、王子様は門の前で馬からそっと降りました。そしてお姫様も降ろしてあげようと手を伸ばした時、門の陰の茂みの奥できらりと光るものがあるのに気がつきました。
「危ない!」
王子様はとっさに、お姫様をかばうようにきつく腕の中に抱きとめました。
腕の中のお姫様は、鈍い衝撃が王子様の身体を通して伝わってきたのを感じました。王子様はお姫様をしっかり抱きしめたまま、地面に倒れこみました。
お姫様には何が起こったのか理解できませんでした。怯え、震えながら、おそるおそる王子様の顔を覗き込むと、彼は真っ青になりながらも、お姫様に微笑みかけていました。
「ああ、無事でよかった……」
少しずつ、確実に弱まっていく王子様の鼓動を近くで感じながら、お姫様は悲鳴をあげました。
「いやああああああああああああああああああああああああっ!」
土がじんわりと紅く染まり、お姫様の金の髪も染まっていきました。
お城の召使いたちが気付いて駆け付けた時にはすでに、王子様は冷たく動かなくなっていました。召使いたちが大騒ぎをしている中で、お姫様は冷たくなった王子様に抱かれながら静かに泣いていました。
「私に足があれば助けを呼べた」
お姫様の涙が、王子様の上着に染みを作っていきました。
「私に手があれば手当てができた」
流す涙が尽きて、見開いた緑の眼に輝きが失われて行きました。
「私に身体があればかばうことができた」
喉の奥が詰まるような感覚と、心に穴が空いたような喪失感がうずまいて、お姫様は頭の中が真っ白になりました。
「私に身体があればあなたは……」
王子様の背中に深く刺さった鋭いナイフが、夕陽を映して鈍く光っていました。
それから数日して、隣の国では王子様が死んでしまったという家来の報告を聞いて、女王が絶望していました。お姫様を殺そうとしたはずが、王子様がお姫様をかばったせいで、王子様のほうを刺してしまったというのです。
わなわなと震えながら、王子様を殺した家来に罰を与える命令を出し、怒りと悲しみをありったけその家来にぶつけました。
「なんてことなの! この馬鹿者! 私のかわいい息子を殺してしまうなんて! それもあの生首姫のせいだわ!」
そうして、別の家来に再びお姫様を殺すように命令しましたが、家来は「それはできない」と断りました。
「あの生首姫は王子様の後を追って自ら命を絶ってしまったのです」
「まあ、なんですって! 私自ら手を下せないのは残念だけど、せいせいしたわ。王子をたぶらかした罰があたったのね。それにしてもなんてかわいそうな王子……」
女王は嘆きながら、ぐったりとした様子で椅子にかけました。
すると、どこからか何かがすすり泣くような声が女王の耳に入りました。
「お前、何か言ったかい?」
女王は家来に訊ねますが、家来は首を横に振りました。気のせいかと思い、女王は耳をすましました。しかしやっぱり何かの声が聞こえるのです。
「誰かふざけているのかしら、まったく、こんなときに……」
声は段々はっきりと聞こえてきます。若い女性の声でした。すすり泣いているような声だったのが、ちゃんとした言葉のように聞こえてきました。
「お前達、本当に何も言っていないの?」
また女王が家来に向かって訊きましたが、あいかわらず家来は首を横に振ります。
「じゃあこの声はどこから聞こえているの!」
家来たちは女王様が王子を失ったショックでおかしくなってしまったのだと思いました。その声は家来たちにはさっぱり聞こえないのですから。
『……あれば』
「ほら、聞こえるじゃない!」
『……が……れば』
「近づいてくる! あの女の声だ! 誰か!」
『私に……』
――からだがあれば――
大勢の家来の眼の前で、女王の首が身体から離れました。
ギロチンではねた様に女王の首がごろりと床に転がり、真っ赤な池を作りました。
家来たちの悲鳴が城中に響き渡り、みるみる面積を広げる赤い池が床を覆いました。不思議なことに、つい先ほどまであったはずの女王の身体が見当たりません。哀れな女王は首だけになって、誰かに運んでもらうまで床に転がっていなくてはなりませんでした。しかし、皆気味悪がって中々近づこうとしません。あのお姫様のような優しい心が女王にはなかったからかもしれません。
それから、その事件は愛しい王子を殺され自殺した生首姫の祟りだと噂され、じきに民衆にも知れ渡りました。女王も王子も失った隣の国は程なくして滅んでしまったといいます。
それから長い長い時が経ち、かつてお姫様と王子様が暮らしたというお城もすっかり廃れてしまいました。しかし、今でも金の髪の美しい女性が満月の夜に現れるという話が後を絶ちません。その女性は愛しい王子と暮らした城をさ迷う、生首姫の亡霊であるという噂もあるのです。
その噂を嘘だろうという人もいます。だって、その金の髪の女性は生首ではなく、ちゃんと身体があるそうですから。
了