結婚できなかったのではなく、しなかったのだ
私は、ごく平凡な会社員の麻友子。
厳格な両親の一人娘。何不自由なく育てられた。
麻友子の両親は、不仲だったため、思春期になっても、結婚への憧れは、全くといっていいほどなかった。
20代のときは、それでも、長くお付き合いした人もいたのだ。
でも、結婚する気には、なれなかった。
麻友子は、学生時代も、モテてた方だった。
モテモテだね、と言われるくらいだったのだ。
20代にお付き合いした人とは、やがて別れがきたのです。当然、結婚の意思がないのであれば、別れはやってきます。別れの理由は、いろいろあれど。
30代に入ってからは、20代でのこともあり、麻友子は、結婚したくないなら、付き合わない方がいいのでは、ないかと思いお付き合いはしなかった。されど、一応は、花嫁修行なるものを、やるだけはやっておかなければいけないのかな?と、思い、料理、お茶、生け花、着付けなど、いろいろと、習いに行った。なので、30代は、またたく間に過ぎ去っていったのだ。
それでも、悔いなく過ごしていた。
たまに、お見合いの話がきても、ほとんど、お断りしていたのだ。望みが高い、と言われながら。
40代になっても、麻友子の結婚への意識は、変わることなく、相変わらず、結婚には、否定的な見解だった。
仲良し母娘だったので、よく、ランチに行ったり、ドライブしたりしていた。
とても楽しい時代だった。
少しの焦りは、感じていても、やはり、結婚には、前向きになれなかった。
50代に入り、麻友子は、婦人科の子宮筋腫という病気になって、手術をしなければいけなくて、その時は、さすがに悩みましたが、結局、子宮全摘手術と卵巣を1つ取ったのだった。子供だけは欲しかった麻友子は、今さらながらに、後悔をしたのだった。
そして、麻友子は、今、63歳。今現在も、未婚の独身である。今になって思うこと。全く、結婚しなかったことに、後悔がないといえばウソになるだろう。兄妹もいなくて、パートナーもいない、親はいずれ亡くなる、そんな中、寂しさも出てきている。
でも、確かにこれだけは言えるのである。
麻友子に関していえば、「結婚できなかったのではなく、しなかっただけなのだ」
よく、世間の人たちは、何も知らずに、結婚してない人を、負け組とよび、結婚している人を、勝ち組とよんでた時代があった。
それは、単純な見方の様な気がしている。
人それぞれに、結婚しないのには、理由があると思うからだ。
ひとことで、片付けてほしくはない。
60代は、まだまだ若いから、今からでもパートナーをさがしたらいいのに、とよく言われますが、そういう気持ちは、さらさらなくなった麻友子だった。
麻友子は、残りの人生、老後は、悔いなく生きていくことに、必死になろうとしているのだ。




