(第九話)『無味なる剣と美食家の厨房(テリトリー)』
1. 「厨房」の防衛線
「――『味のない』奴らが、私の『厨房』を荒らしに来ましたわ! 叩き出しなさい!!」
アリアの、美食家としてのプライドを踏みにじられた絶叫が、夕闇の旧市街区広場に響き渡る。
その高慢で、しかし絶対的な命令に応え、二人の男が即座に動いた。
「……承知した」
「御意」
騎士団長ガレオスと宮廷魔術師長エルネストは、アリアの背後、王宮の地下へと続く瘴気の亀裂(アリア曰く『厨房の入口』)を守るように、左右に展開した。
彼らの表情に、王国の精神的支柱である司教(※第八話)が率いてきた「聖堂騎士団」への恐れはない。
あるのは、自分たちの「主(アリア)」の神聖な「テリトリー」を、土足で踏み荒らす者への、明確な敵意だった。
「愚かな! 王国最強の騎士団長と、宮廷魔術師長が、揃って『魔女(呪い喰らい)』の僕に堕ちたか!」
司教が、怒りに震える手で杖を振り下ろす。
「かかれ! あの『冒涜者』どもを、神の『無垢(無味)』なる光(信仰)のもとに浄化せよ!」
ザッ!
純白の鎧をまとった数十人の聖堂騎士たちが、一斉に動いた。
彼らの動きは、(※第六話)の「暗殺者」とは全く異質だった。
暗殺者の動きが「殺意」という熱い情熱に満ちていたのに対し、聖堂騎士たちの動きは、まるで同じ金型で作られた機械仕掛けの人形のように、冷たく、均一で、正確無比だった。
彼らから放たれるのは、「正義の遂行」という、アリアにとって「味がしない(虚無)」オーラ。
アリアの「食べる(無力化する)」能力が、初めて一切通用しない敵。
「食べる」という行為には、「味(感情)」が必要不可欠だからだ。
「……!」
アリアは、人生で初めて「純粋な物理的脅威」の前に立ち、思わず一歩後ずさった。
それは「恐怖」ではない。
ただひたすらに「不快」だった。
「味のない」剣が、自分の「厨房」を汚しに来る。
それは美食家として、これ以上の屈辱はなかった。
2. ガレオスの「批評」――無味なる剣
「アリア様は、お下がりを。ここは『不味い』連中の席ではありません」
アリアの前に立ったガレオスの背中が、聖堂騎士たちの突撃を阻む巨大な「壁」となった。
聖堂騎士の一人が、教科書通りの完璧な上段斬りを繰り出す。
キィィィン!
甲高い金属音。
ガレオスは、その一撃を、まるで子供の剣を受けるかのように、最小限の動きで弾き返した。
「なっ……!?」
「……なるほどな」
ガレオスは、低い声で「批評」を始めた。
それは、アリアから影響を受けた、彼なりの「武人としてのグルメ批評」だった。
「貴様らの剣は、確かに完璧だ。無駄な動きが一切ない。迷いも、焦りも、恐怖もない。まるで精巧な自動人形だ」
ガレオスは、次々と繰り出される数人の騎士による「完璧な」連携攻撃を、いなし、捌き、弾き飛ばす。
「だが、それだけだ」
ガレオスが、一歩踏み込む。
ドォン! と石畳が陥没するほどの踏み込み。
「貴様らの剣には、『味(魂)』がない!」
ガレオスの剣が唸りを上げる。
「(※第六話)暗殺者のような『殺意』も!
俺がかつて持っていた『後悔(塩気)』も!
民を守るという『覚悟(旨味)』もない!
ただの『無味な型』だ!」
ガレオスは吼えた。
それは、十年の呪縛から解き放たれ、再び「守るべきもの」を見つけた騎士の、魂の咆哮だった。
「『味』のない剣が! 俺の『魂(味)』の篭った剣に勝てると思うなァッ!!」
ズドォォォン!!
ガレオスの剛剣が、「無味」な騎士たちの剣を、白銀の鎧ごと薙ぎ払う。
彼は、アリアの「美食道」を、彼自身の「武士道」として体現してみせたのだ。
3. エルネストの「解明」――偽りのレシピ
「小賢しい武技を! 数が頼りにならぬなら!」
ガレオスが騎士たちを圧倒するのを見て、司教が焦燥に顔を歪ませた。
彼は懐から高価な宝珠を取り出す。
「ならば、『神の奇跡』の前にひれ伏すがいい!」
司教が、王都を覆う「霧」に向かって杖を掲げる。
「『王の悔悟(霧)』よ! 我らが信仰に応え、この魔女を討つ『神の鉄槌』となれ!」
(※第八話)で彼らが語った教義。
「霧(王家の業)」は「神聖なる戒め(ペナンス)」であると。
その「戒め」が、司教の祈り(魔力操作)に応え、濃密な魔力の槍となって、上空からアリアに殺到した!
「させるか!」
エルネストが、アリアの前に多重の魔術障壁を展開する。
バヂヂヂヂッ!
障壁と魔力の槍が衝突し、激しい火花が散る。
エルネストは、その衝突の中で相手の魔力構成を瞬時に解析し――そして、戦慄すべき「真実」に気づいた。
「……司教! 貴様……!」
エルネストが、激昂(それは常に冷静な彼にとって珍しい感情だった)に声を震わせる。
「貴様、それは『信仰』の力ではないな!?」
「なにを……」
「それは、『王家の業(霧)』の魔力を、無断で『盗用』しているだけではないか!」
これが、聖教会の最大の「嘘(偽りのレシピ)」だった。
彼らは「霧」を「戒め」として民に耐えさせる一方で、その膨大な魔力(呪い)を「奇跡」と称する自分たちの「力(魔術)」の源泉として、秘密裏に利用していたのだ!
民には「毒だ、触れるな」と言いながら、裏では自分たちだけがその「毒」を啜り、力に変えていた。
「貴様らは……!」
エルネストは、アリアの言葉を借りて、彼らの罪を断罪した。
「アリア様が『孤独な料理人』と呼んだ、あの『メインディッシュ(王家の業)』の『食材』を、勝手に盗み食いしていた……!
貴様らこそが、この王都の『厨房』を荒らす、最低の『害獣』だ!」
4. 美食家の「お仕置き」――偽善のカクテル
「……」
アリアは、そのエルネストの「解明」を、背後で静かに聞いていた。
そして、司教の顔を、じっと見つめる。
「盗用」を指摘され、激昂する司教。
「何を言いがかりを! これは神に許された……我ら選ばれし者だけの特権……!」
だが、その言葉とは裏腹に、司教のオーラが、ほんの一瞬、揺らいだ。
これまで完璧に「無味」だった彼のオーラに、初めて「味」が生まれた。
それは、エルネストに「真実」を暴かれたことによる、「焦り(酸味)」と、
「神聖」と偽っていたことへの、一瞬の「後ろめたさ(苦味)」。
そして、それらを正当化しようとする、ドロドロとした「偽善」だった。
「……見つけましたわ」
アリアの口元が、ニィ、と吊り上がる。
彼女の鼻が、その新たな「不味そうな食材」の香りを捉えた。
「確かに、『信仰』は『無味』でしたわ。
ですが、その『無味』を隠れ蓑にして貴方が隠し持っていた、その『偽善のカクテル』……!」
「な、何を……」
「実に、不味そうッ!!!」
アリアは、第四話で「不味い(自己憐憫)」を拒否した時とは違う。
あの時は、ただ不快だった。
だが、今は違う。
自分のテリトリーを荒らす害獣には、徹底的な駆除が必要だ。
「貴方のような『無作法』な『害獣』には! 相応しい『お仕置き(フルコース)』が必要ですわね!」
アリアは、司教が「奇跡」のために集めた「王家の業の魔力(盗んだ食材)」に向かって、その手を突き出した。
そして、そこに混じった司教の「偽善のカクテル(不味い味)」もろとも、
【美食家の作法】――白銀のスプーンを構えるまでもない、荒々しい「鷲掴み」で、
その「味」を、強引に「食べた」!!
「――ッッ!!!?」
アリアは、その場で嘔吐いた。
「おえぇっ! 不味い! 不味すぎますわ! まるで泥水に古雑巾とタバコを漬け込んだような味よ! 最悪ですわ!」
アリアが「不味さ」に悶絶し、涙目で咳き込むのと、
司教が「奇跡」の制御を失い、自らが盗用した「王家の業」の魔力に飲み込まれるのは、
ほぼ、同時だった。
「ぐ、あぁぁぁ!? 力が、力が私を……!」
司教のオーラから「偽善(味)」が消え、再び「無味(虚無)」に戻る。
だが、アリアに「味(動機)」を食われたことで、彼は「業」の魔力を制御する「意思」を失った。
制御を失った「業」の魔力は、彼を「失敗作(瘴気獣)」に作り替えようと、その純白の法衣ごと飲み込んでいく。
「……エルネスト」
アリアは、不味さに涙目になりながら、冷たく言い放った。
「あの『害獣』、私の『厨房』がこれ以上汚れる前に、どこかへ『処分』なさい」
「……承知した」
エルネストの空間転移魔術が発動する。
魔力に飲まれる司教と、ガレオスに鎮圧され動けなくなった聖堂騎士団を、王宮の地下牢――最も深い魔封じの独房――へと強制的に「廃棄」した。
5. 料理人へのご挨拶
嵐が去った広場。
静寂が戻ったが、アリアはまだペッペッと地面に唾を吐き、エルネストから差し出された水で、何度も口をゆすいでいた。
「……まったく。ひどい『口直し』でしたわ。あんな『虚無(無味)』に荒らされたせいで、せっかくの『厨房』が台無しです」
「……アリア様」
エルネストが、アリアの「美食道」の原点(※第八話)と、今の彼女の、なりふり構わぬ戦いぶりを見て、確信を持って進言する。
「貴女は、『王家の業』を『孤独な料理人』と呼びました。
そして今、『聖教会』という『害獣』が、その料理人の『食材』を盗んでいたことが判明した。
……アリア様。貴女がやるべきことは、一つでは?」
アリアは、うがいをやめ、ハンカチで口元を拭いながら、エルネストの言葉の続きを待つ。
「『料理人』同士、話をつけに行くべきです。
『貴方の厨房(王都)は、害獣(聖教会)に荒らされていますよ』、と」
アリアは、にやりと笑った。
それは、不味いものを食べた後の不機嫌さを吹き飛ばすような、塔を出てから一番、楽しそうで、挑戦的な笑顔だった。
「当然ですわ。
そして、こうも付け加えて差し上げます」
アリアは、瘴気の亀裂――「孤独な料理人」へと続く、王宮の玉座の真下――に向かって、高らかに宣言した。
「『貴方の料理(失敗作)は不味すぎる! この私が、本当の『美食』というものをご教授(調理)して差し上げますわ!』――と!」
アリアはガレオスとエルネストを振り返る。
その瞳は、「メインディッシュ」への期待に輝いていた。
「参りますわよ、二人とも。最後の『晩餐』の時間です」
第九話 完




