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(第八話)『無味なる信仰と美食家の原点』

1. 「孤独」な料理人への共鳴

 旧市街区を覆っていた濃密な瘴気は、完全に晴れ渡っていた。

 アリアの奇想天外な「再調理リベイク」によって、「失敗作(デキソコナイ)(瘴気獣)」の群れは、一滴のソースも残さず彼女の底なしの胃袋に収まった。

「ごちそうさまでした。下ごしらえは大変でしたが、食材(呪い)そのもののポテンシャルは一級品でしたわ」

 満足げにぺたんこの腹をさするアリア。

 その傍らで、ガレオスは部隊の再編を指示し、エルネストは瘴気が噴き出ていた亀裂の底を、魔術的な探査で調べていた。

「……間違いない」

 エルネストが、苦々しい顔でアリアに歩み寄る。

「この亀裂、王宮の地下……それも、玉座の真下へと続く『龍脈』に直結している。アリア様、貴女の推察通りだ。王都の根源にある『業』が、このスラムの『澱み(食材)』に反応し、無理やり『調理』しようとした結果、焦げ付いた(瘴気獣が生まれた)」

「不器用な『料理人』ですわ、本当に」

 アリアは、亀裂の奥の暗闇を見つめる。その瞳には、いつもの傲慢な美食家のものではない、静かな光が宿っていた。

 以前に感じた「共鳴」――あの「孤独」な料理人への、同情とも憐憫とも違う、「理解」に近い感情。

(塔にいた頃の(わたくし)……)

 アリアは、辺境の塔で過ごした日々を思い出していた。

 「呪い」が食べたいのに、食べられない。

 鉄格子の窓から、遠くの街から風に乗って漂ってくる、微かな「呪いの香り」を嗅ぎながら、その「食べ方」が分からず、ただ空腹に耐え続けた、あの凄絶な「飢餓」と「孤独」。

 あの時、自分もまた、飢えのあまり自らの魔力を暴走させ、「失敗作」を生み出しかけていたのかもしれない。

 「王家の業」は、自分と同じ。

 「食べたい」という強烈な飢餓感を抱えながら、その正しい「調理法レシピ」を知らないがために、貴重な食材を次々と「失敗作」に変えてしまう、哀れな「美食家(の失敗者)」なのだ。

2. 招かれざる「無味」の訪問者

 アリアが、王都に来て初めて「食材」以外の存在に共感を寄せた、その時。

 旧市街区の入り口が、にわかに騒がしくなった。

 ガレオスの部下である騎士たちが、何者かの行く手を阻もうとしている。

「下がれ、騎士団! 我らは『境界鐘』の音を聞き、神の御業(みわざ)を検分に来た!」

「ここは我ら騎士団の管轄だ! 聖教会といえど、無許可での立ち入りは……!」

 その制止を突き破り、一糸乱れぬ隊列で広場に入ってきたのは、純白の法衣に身を包んだ集団だった。

 先頭に立つのは、冷徹な爬虫類のような目をした初老の男。彼が身につけた紫のストラ(肩掛け)は、彼が「司教」という高位の聖職者であることを示している。

 その姿を認識した瞬間、アリアの背筋を、塔に幽閉されていた頃の生理的な「不快感」が駆け上った。

 アリアを「呪われた忌み子」として塔に幽閉し、監視し続けた、「灰色の修道院」の管理者たち。

 ()()()の人間だった。

 司教は、瘴気が晴れた広場と、騎士団に守られるアリアの姿を一瞥し、その目を侮蔑に細めた。

「……やはり、貴様か。『呪い喰らい』のアリア・フォン・イシュベリア」

 ガレオスが、即座にアリアの前に立ち、剣の柄に手をかける。

「司教殿。御身が旧市街区に何の御用か。ここは瘴気が晴れたとはいえ、危険が残る」

「危険? ほう。その危険(瘴気獣)は、どこへ消えたかな、騎士団長?」

 司教は、アリアを睨みつける。

「貴様が食べたのだろう、『王の悔悟(レグレット)』を」

3. 予想を裏切る世界観――「不味い」の正体

「『王の悔悟』?」

 エルネストが、その聞き慣れない神学用語に眉をひそめる。

「そうだ、魔術師風情が」

 司教は、唾棄するように言った。

「お前たちが『霧』だの『瘴気』だのと呼ぶ、あれは『呪い』などではない。あれは、建国の王が我ら愚かな民に残された、『神聖なる戒め(ペナンス)』なのだ」

 これが、世界観を裏切る「真実」だった。

 聖教会にとって、王都を覆う「霧(王家の業)」は、祓うべき「悪」ではなかった。

 それは、「罪を忘れるな」という王の「祈り」であり、民が背負うべき「神聖な苦痛」だったのだ。

「瘴気獣(失敗作)は、その『戒め』が濃すぎるために起こる、小さな『試練』にすぎん。我ら聖教会は、その『試練』を『奇跡(治癒魔術)』をもって鎮め、民に信仰の大切さを説いてきた」

「……何だと?」

 ガレオスが、低い声で唸る。

 彼の「錆びた鉄の呪い(※第二話)」も、聖教会は「治せなかった」のではなく、意図的に「残していた」可能性すらある。彼を「試練」の中に閉じ込めておくために。

「では、貴様らは……民が苦しむあの霧を、意図的に放置していたと!」

「当然だ。『悔悟』が消えれば、人は傲慢になり、信仰を忘れる。あの霧こそが、我らの信仰の源泉なのだ!」

 司教は、アリアに向き直った。その目は、もはや人間ではなく、教義に反する「害獣」を見る目だった。

「そして貴様! 『呪い喰らい』! 貴様は、その神聖なる『悔悟』を、『食べた』! 我らが民を導くための『試練』を、こともあろうに『調理』して『喰らった』! これ以上の冒涜が、どこにある!!」

 司教の全身から、凄まじいオーラが立ち昇る。

 それは「悪意」ではない。「殺意」でもない。

 彼が絶対的に正しいと信じている、「独善セルフ・ライトアスネス」と「信仰フェイス」のオーラだった。

4. 美食家の原点

 アリアは、そのオーラを真正面から浴びて――心底、うんざりした顔で、溜息をついた。

 ――ああ、この「匂い」だ。

 フラッシュバックする。

 灰色の塔。固いパンと薄いスープ。

 だが、アリアを本当に飢えさせていたのは、物理的な食事ではなかった。

 彼女を苛んでいたのは、毎日の祈りの時間に、修道女たちが放つこの「匂い」――この「オーラ」を、強制的に「食べさせられていた」苦行そのものだった。

「……ああ、なるほど。やっと合点がいきましたわ」

「何……?」

「貴方たち聖教会の人間が、なぜ私を『忌み子』と呼んで塔に幽閉したのか」

 アリアは、司教の放つオーラを、くん、と嗅いだ。

 そして、王立中央病院で「不味い」と感じた時とも、その後に「美味しい」と感じた時とも違う、生まれて初めての「味覚」に、顔をしかめた。

「……貴方たちの放つその『信仰』とやら」

 アリアは、はっきりと告げた。

「『味がしない』のですわ」

「……は?」

 司教だけでなく、エルネストもガレオスも、アリアの言葉の意味が分からない。

「ええ。塩気も、甘みも、苦味も、酸味も、辛味も……『強欲』も『怠慢』も『殺意』も、何もない。ただ、ひたすらに『無味(むみ)』。それは『料理』ですらなく、ただの『虚無』。美食家にとって、これ以上の『不味さ』はありませんわ」

 「不味い(味が複雑で最悪)」よりも、さらに下の評価。

 「無味(食材ですらない)」。

 アリアは、あの灰色の塔での「食事(苦行)」を思い出す。

 なぜ、あそこでの「飢餓」が、あれほどまでに辛かったのか。

 それは、物理的に食べ物がなかったからではない。

 「呪い(美食)」がなかったからだ。

 そして、そこを満たしていたのは、聖職者たちの放つ、この「味のしない『信仰(虚無)』」だけだったからだ。

「貴方たちは、私を『罪喰い』と呼びましたわね。

 違う。私は『美食家』。

 味がしない『虚無』に囲まれて、本物の『味(呪い)』に飢えていただけ。

 貴方たちの『無味』こそが、私の『美食道』の原点ですわ」

 アリアの目が、司教を捉える。

「そして、貴方たちは最大の勘違いをしている」

「な、なんだと……」

「貴方たちが崇める、あの『霧(王の悔悟)』……。

 あれは、貴方たちの言うような『無味』な『戒め』などではありませんわ。

 あれは、(わたくし)と同じ。

 『味』を求め、『食べること』に飢え、『孤独』に苦しむ……『美食家』そのものですのよ」

 アリアの「批評」は、司教の「信仰」を、美食家としての「格」で完全に粉砕した。

「そ、その『美食家(王家の業)』から『食材(呪い)』を奪い、民の『信仰(虚無)』にすり替えていた貴方たちこそ……

 この王都の『フルコース』を台無しにした、最低の料理人(シェフ)ですわ!」

「ば、冒涜者めがァァ!!」

 アリアの「真理」に触れ、司教が激昂する。

「貴様のような『飢えた暴食者』から、『主(王家の業)』の『聖体メインディッシュ』を守るのが、我らが役目! かかれ、聖堂騎士団! あの『魔女』を捕らえよ!」

 司教の背後から、聖なる刻印が施された白銀の鎧の騎士たちが、一斉にアリアに襲いかかった。

 彼らから放たれるのは、「殺意スパイス」ではない。「悪意(塩気)」でもない。

 ただひたすらに、司教の命令を遂行するという「正義の遂行(無味なる信仰)」という、アリアにとって最も「食べ甲斐のない」オーラだった。

「ガレオス! エルネスト!」

 アリアは、人生で最も不機嫌な顔で叫んだ。

「『味のない』奴らが、私の『厨房』を荒らしに来ましたわ! 叩き出しなさい!!」


第八話 完


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