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(第七話)『失敗作(デキソコナイ)と料理人の孤独』

1. 無作法な「スパイス」と不協和音の警鐘

「……まだ、舌先がヒリヒリしますわね」

 夕闇の石畳を歩きながら、アリアは自分の舌先を小さく尖らせて、外気に晒した。

 第六話で暗殺者の「殺意」を強引に味わった代償は、まだ彼女の繊細な味蕾(みらい)に生々しく残っている。

 あれは確かに純度の高い「スパイス(辛味)」だったが、美食家として、あの「食べ方」は無作法(ぶさほう)の極みだった。

(調味料をそのまま(あお)るなど、荒療治にも程がありますわ。ですが……)

 あの舌が焼けるような強烈な刺激と、動機(呪い)を失って虚無の表情を浮かべた暗殺者の顔。

 アリアは、その未知の「食体験」を、不機嫌な顔の裏で密かに反芻(はんすう)していた。

 スパイスだけでは料理にならない。だが、スパイスがなければ料理は完成しない。そのジレンマ。

「しかし、」

 部下に暗殺者たちを引き渡したガレオスが、アリアから数歩離れた位置で、エルネストに声を潜める。

「『殺意』だけを喰われた者は、ああなるのか……。まるで、生きる目的そのものを抜き取られた人形だ」

「ああ。物理的な力は残っていても、『なぜ剣を振るうのか』という概念(レシピ)を失った。アリア様は、人間の精神構造そのものを『食材』として解体できる……我々の常識が通用する相手ではない」

 エルネストの分析は、畏怖を通り越して、もはや学術的な探求の色を帯びていた。

「問題は、彼女が『スパイス』の奥に感じ取った『王家の紋章の味』だ。一介の商会(第五話)が送った暗殺者にしては、手際が良すぎた。あの者たちは、ギルフォード商会を経由した、さらに巨大な『厨房』――王家の中枢に近い『何か』に仕えている可能性がある」

 ガレオスが息を呑んだ、その瞬間。

 ゴォォォ……ン……ウゥゥゥン……

 空気が震えた。

 それは単なる鐘の音ではない。王都の地下深くに張り巡らされた魔力回路が共鳴し、人々の魂を直接削るかのような、不快な低周波。

 非常事態を告げる、王宮直轄の『境界鐘』だった。

「この音は……!?」

 ガレオスが空を仰ぐ。

「旧市街区! あそこから高濃度の『瘴気(しょうき)』反応だ!」

 三人が視線を向けた先――かつて処刑場があり、今はスラムが広がる、王都の「澱み」が最も凝縮された場所。

 そこから、王都を覆う「霧」とは比較にならないほど濃密な、どす黒い「瘴気」の柱が、夕闇を突き刺すように立ち上っていた。

 それはただの霧ではない。注意深く見れば、無数の苦悶の表情が浮かび上がっては消える、怨嗟の集合体だった。

「エルネスト! アリア様を連れて直ちに避難を! あれは危険だ!」

「待ちなさい」

 ガレオスが駆け出そうとするのを、アリアが冷ややかに制止した。

 彼女は、先程までの舌の痛みなど忘れ、旧市街区の方角を――美食家が「異臭」の元を辿るように――真剣な表情で睨みつけていた。

「……ひどい匂い」

 彼女の鼻腔を打ったのは、「悪意(塩気)」でも「殺意(辛味)」でもない。

 例えるなら、多種多様な『食材(呪い)』を、腐ったまま分別もせず、一つの大鍋に放り込み、強火で焦げ付かせたかのような、冒涜的な「悪臭」だった。

「……ガレオス、エルネスト。案内なさい」

「アリア様!? あそこは『瘴気獣(しょうきじゅう)』――凶暴な魔物の巣窟です! 食事どころではありません!」

「『魔物』ではありませんわ」

 アリアは、吐き捨てるように断言した。

「あれは……『料理』ですらありません。ただの、『失敗作(デキソコナイ)』のゴミ溜めですわ」

2. 予想を裏切る世界観――「瘴気獣」の正体

 旧市街区は、地獄と化していた。

 地面の亀裂から噴き出す「瘴気」が、汚泥やガラクタ、そしてそこに打ち捨てられた動物の死骸や、貧しさ故に死んだ人々の「絶望」の残滓を無差別に巻き込み、異形の「何か」を形作っていた。

 

 四足歩行の泥人形のような怪物。あるいは、無数の腕が生えた肉塊。

 それが、報告にあった「瘴気獣」だった。

「グ、ギ、ギャァァァ!!」

 それは、純粋な「本能」で動く野生の獣ではない。

 明確な「殺意」もなく、ただ「飢え」と「苦痛」に突き動かされるままに暴れ、騎士団の防衛線を食い破ろうとしている。

「騎士団、退くな! 聖属性で浄化しろ! 民を守れ!」

 ガレオスが剣を抜き、指揮を執る。

 だが、アリアはその光景を見て、わなわなと震え始めた。

 それは「恐怖」ではない。美食家としての、存在の根幹を揺るがすほどの「憤怒」だった。

「……許せない」

「アリア様?」

「許せませんわッ!! なんて、食材の無駄遣いなのッ!!」

 アリアの絶叫が、戦場に響き渡った。

 ガレオスもエルネストも、騎士たちも、瘴気獣すらも、その圧力に一瞬動きを止める。

「あれを見てみなさい!」

 アリアは、ガレオスが斬り捨てた瘴気獣の「残骸」――霧散していくオーラ――を杖で指し示す。

「この『泥(絶望)』! この『骨(動物的本能)』! そしてこの『焦げ付き(純粋な苦痛)』! どれも、正しく『調理』すれば、それなりの『一品』になるはずの、貴重な『食材』ですわ!」

 アリアの目には、(おぞ)ましい魔物など映っていない。

 彼女に見えるのは、貴重な「食材(呪い)」が、デタラメな『レシピ』で無理やり混ぜ合わされ、無惨な「失敗作(デキソコナイ)」にされている、「最低の厨房」だった。

「霧(呪い)が濃すぎるせいですわ! あの『王家のレシピ本(建国の業)』が、この地の『食材』を勝手に『調理』しようとして、その熱量(魔力)に耐えきれず、焦げ付かせている!」

「な……『魔物』が、呪いの『失敗作』だと!?」

 エルネストが驚愕する。

 これこそが、この世界の「魔物」の正体であり、予想を裏切る世界観の核心だった。

 王都の「業」とは、ただ存在するだけの呪いではない。それは、あらゆる負の感情を「食べよう」として、しかし上手く消化(調理)できず、こうした「失敗作」を瘴気として生み出し続ける、巨大な「飢餓」そのものだったのだ。

3. 【美食家の“再調理”(デコンストラクション・リベイク)】

「アリア様! しかし、この数をどうやって……!」

「決まっていますわ! 『失敗作』は、『再調理』する以外にありませんのよ!」

 アリアは、迫り来る次の瘴気獣を前に、仁王立ちになった。

 彼女は「食べない」。こんな「不味い」焦げ付きを口にしたら、今度こそ舌が壊れてしまう。

「いいこと、二人とも! 私の『批評(指示)』通りに動くのですわ!」

 アリアは、美食家から「鬼の料理長(シェフ)」へと変貌した。

「まず、エルネスト! 貴方の魔術で、あの『失敗作』の『焦げ付き(苦痛)』と『泥(絶望)』を分離させなさい! 『火(苦痛)』と『水(絶望)』が混ざりすぎて、味が濁っています!」

「む、無茶を! あんな混沌の塊を分離するなど……!」

「早く! 私の舌が腐る前に!」

「くっ……やってやる!」

 エルネストの魔力が、瘴気獣の動きを鈍らせ、相反する属性のオーラを強引に引き剥がしにかかる!

「ガレオス! 今よ!」

「!?」

「『失敗作』の中心に、『骨(本能)』の核がありますわ! あの『不味さの芯』を、貴方の剣で叩き割りなさい! 呪いではない、純粋な『武技』で流れを断つのです!」

「……御意!」

 ガレオスは、エルネストが作った一瞬の隙を突き、瘴気獣の核――魔力の結節点――へと突貫する。呪いから解放された彼の剛剣が、瘴気の「芯」を音もなく粉砕した!

 パァンッ!!

 ギャァァァ……

 「レシピ」を失った瘴気獣が、その形を保てず、構成要素――純粋な「苦痛」「絶望」「本能」のオーラ――となって霧散しようとする。

「――そこですわ!」

 アリアは、待ってましたとばかりに、その「分離された食材」の前に躍り出た。

 彼女の口元には、第四話で「不味い」と拒否した時とは違う、歓喜の笑みが浮かんでいる。

「これですわ! これ! きちんと『下ごしらえ』すれば、ちゃんと食べられる『食材』になる!」

 彼女は、先程の「殺意スパイス」でヒリヒリする舌をものともせず、高らかに宣言した。

「まとめて、いただきますわ!」

 アリアが、両手を広げて「食材」を吸い込む!

 今度の「味」は、純粋だった。

 第六話で味わった「辛味(殺意)」の残滓が舌に残る中、そこへ「苦痛(強烈な塩気)」と「絶望(深い酸味)」が飛び込んでくる。

 普通なら不協和音になるはずのそれらが、口の中で奇跡的な調和(マリアージュ)を生み出した!

「……っ! お、美味しい……!」

 アリアは、恍惚と膝をついた。

 「辛さ」が「旨さ」に変わったのだ。

4. 料理人の「孤独」(伏線)

 「再調理」という、奇想天外な方法で瘴気獣を「完食」したアリア。

 この「アリア流・調理マニュアル」により、騎士団は次々と「失敗作」を鎮圧(調理)していく。

 すべての瘴気が晴れた頃、アリアは満足げに膨れた腹をさすりながら、ふと、瘴気が噴き出ていた地面の亀裂――その奥の暗闇――を見つめていた。

「……まったく。これほどの『食材』を、こんな風に焦げ付かせるなんて。あの『厨房』の料理人は、よほど不器用なのかしら」

「……」

 エルネストとガレオスは、アリアの言う「料理人」――王家の「業」――を想像し、息を呑む。

 アリアは、続けた。その声色は、いつもの高慢な美食家のものではなく、どこか物悲しげだった。

「……まるで、どうしても『食べたい』のに、その『食べ方』が分からなくて、ただひたすらに食材を無駄にし続けているみたい」

 彼女は、無意識に、修道院の塔で過ごした自らの過去を重ねていた。

 塔の窓から、遠くの街の「呪い」の匂いを嗅ぎながらも、それが何なのか、「どうすれば食べられるのか」分からなかった、あの頃の自分。

 あの、耐え難い「飢餓」と「孤独」。

「……なんて、**『孤独』な料理人(シェフ)**なのかしら」

 アリアの呟き。

 それは、彼女が「メインディッシュ(王家の業)」の「味」だけでなく、その「心」――建国の王が抱えた「飢え」と「孤独」――に、無意識のうちに共鳴し始めている証拠だった。

 アリアは、この王都で初めて、自分以外の「美食家(の失敗者)」の存在を、確かに感じ取っていた。


第七話 完


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