表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/25

(第六話)『スパイスは殺意の味』

1. 食後の散歩と招かれざる「香り」

「ふぅ……。素晴らしい『ビターチョコレート(強欲)』でしたわ。おかげで、あの病院での不快な『口(呪い)当たり』も、すっかり洗い流されました」

 ギルフォード商会ビルから押収された山積みの証拠(アリア曰く『雑味の残骸』)の処理を部下たちに任せ、アリア、ガレオス、エルネストの三人は、夕暮れの王都の表通りを歩いていた。

 アリアは、極上のデザートを味わった後とあって、上機嫌で鼻歌さえ歌っている。

「しかし、」

 ガレオスが、いまだ信じられないといった様子で、アリアの隣を歩くエルネストに低い声で話しかける。

「『不味さの根源』を見抜く、あのアリア様の『舌(鑑定眼)』……。あれは一体……」

「解明不能だ」

 エルネストも、眼鏡の奥の瞳を細めて応じる。

「彼女は、我々の世界の『(ことわり)』の外側にいる。そして、彼女が指摘した『共通する後味』……」

 エルネストの表情が険しくなる。

「『秘密のレシピ本』。もし、内務省の『怠慢スープ』と、ギルフォード商会の『強欲チョコレート』が、同じ根から派生しているとしたら……」

 ガレオスが息を呑んだ。

 それは、王都の腐敗が、個々の悪事ではなく、彼らの想像を絶するほど巨大な「一つの組織悪」によって意図的に「調理」されている可能性を示唆していたからだ。

 その時、上機嫌だったアリアが、ピタリと足を止めた。

「……止まりなさい」

 鈴が鳴るような、しかし絶対零度の声。

 二人が振り返ると、アリアは美食家が未知の食材に出会ったかのように、真剣な表情で、夕暮れの路地裏の深い闇を睨みつけていた。

「どうかなさいましたか、アリア様」

「……匂うのですわ」

 くん、と彼女の鼻がひくつく。

 それは(※第四話)の「不味い(自己憐憫)」とも、(※第五話)の「美味しい(強欲)」とも違う、全く新しい香り。

「これは……」

 アリアは、その香りを確かめるように、深く息を吸い込む。

「……(から)い」

「辛い、ですか?」

「ええ。舌が、いえ、鼻腔が焼けるような、強烈な刺激臭……! 例えるなら、最高級の唐辛子(トウガラシ)を、石臼で挽き潰した瞬間の香り……! これは、**極上の『スパイス』**ですわ!」

 アリアが恍惚と呟いた、その刹那。

「伏せろッ!!」

 ガレオスの怒声が響いた。

 ヒュンッ!

 風切り音。ガレオスがアリアを突き飛ばすと同時に、彼が立っていた石畳に、一本の漆黒の矢が突き立った。

「!!」

 ガレオスとエルネストが即座にアリアを庇うように陣形を組む。

「『スパイス』……!? アリア様、それは『殺意』です!」

2. 物理的脅威と「スパイス」のジレンマ

 路地裏から、音もなく現れたのは、黒装束に身を包んだ五人の影。

 ギルフォード商会の「影」――『無貌(むぼう)の者』と呼ばれる暗殺者たちだった。商会長が拘束されたという報を受け、証拠隠滅と「元凶アリア」の排除のために送り込まれたのだ。

「チッ、化け物どもが……!」

 ガレオスが剣を抜き放つ。

 だが、アリアの関心はそこにはなかった。

 彼女は、ガレオスとエルネストの背後から、目を輝かせて暗殺者たちを「観察」していた。

(すごい……! あの人たち、全身からあの『スパイス(殺意)』の香りを放っていますわ!)

(純度が高い! 雑味がない! ただひたすらに、相手を仕留めるという一点にのみ集中した、混じり気のない『辛さ』!)

 アリアの食欲が、再び刺激される。

 だが、同時に彼女はグルマン(美食家)として、本能的に理解していた。

(……ですが、待って。これは『メインディッシュ』でも『デザート』でもない。これは『スパイス』。調味料ですわ)

(調味料だけを、そのまま口にする愚か者がどこにいますの!?)

 アリアの美食家としてのプライドが、実食を拒否する。

 唐辛子をそのままかじるのは、料理として「美しくない」からだ。

 だが、暗殺者たちは待ってくれない。

「エルネスト! アリア様を連れて退避を!」

「させるか!」

 暗殺者たちが、一斉に動いた。

 ガレオスは王国最強の騎士団長。三人を相手にしても、互角以上に渡り合っている。

 だが、残りの二人が、アリアとエルネストに殺到した!

「くっ……!」

 エルネストが魔術障壁を展開するが、暗殺者の短剣がそれを紙のように切り裂く。

 彼らは「対魔術師」用の訓練も受けていた。

 ついに、一人の暗殺者がエルネストの防御を突破し、アリアの喉笛めがけて、毒の塗られた短剣を突き出した。

 それは、呪いではなく、純粋な「物理的脅威」。

 アリアの能力では、対処不可能な一撃。

 ――かに、思われた。

3. 美食家の奇策「味付け」

「――無作法ですわ!」

 アリアの甲高い叱責が、暗殺者の動きを一瞬止めた。

 彼は見た。目の前の少女が、死の恐怖に怯えるどころか、心底から料理を侮辱されたような、怒りに満ちた顔で自分を睨みつけているのを。

「いいですか!? 『スパイス(殺意)』というものは、それ自体が完成した『料理』ではありません!」

「な……何を……」

「それは、『メインディッシュ(例:憎悪)』や『スープ(例:怠慢)』に**『味付け』**として加え、その風味を引き立てるためのもの! こんな風に『スパイス』だけを皿に盛って客に突き出すなど、三流以下の料理人のすることですわ!」

 暗殺者は、意味が分からなかった。

 だが、アリアの奇想天外な「お説教」は、第四話の青年シエルに向けられたものとは根本的に違っていた。

「……ですが」

 アリアは、目の前の「極上のスパイス」を見て、ニィ、と口の端を吊り上げた。

「これほど純度の高い『スパイス』を、目の前にして味わわないなど、それこそ美食家の名折れ」

「?」

「『メインディッシュ』がないのなら……仕方ありませんわね」

 アリアは、自分に突きつけられた短剣(物理)を無視し、その短剣を握る暗殺者の「腕」――否、その腕にまとわりつく、純粋な『殺意スパイス』のオーラ――に向かって、宣言した。

貴方(スパイス)を、(アリア)という『皿』に盛り付けますわ!」

「!?」

「【調理法:味付け(シーズニング)】!!」

 アリアは、暗殺者の攻撃を避けるどころか、一歩前に踏み出した。

 そして、暗殺者の「腕」そのものを、両手でガシリと掴んだ!

「なっ!?」

 暗殺者が、物理的にアリアを振りほどこうとする。

 だが、次の瞬間、彼は信じられない現象に襲われた。

「――いただきますわッ!!」

 アリアが、掴んだ腕から、まるで極上のソースを舐めとるかのように、その「殺意スパイス」だけを、ズズズッ、と一気に吸い上げたのだ!

4. 燃える喉と「後味」の正体

「ッッッ!!!!!」

 直後、アリアはその場に崩れ落ち、喉を押さえて激しく咳き込んだ。

「か、(から)ーーーーーッ!!」

 灼熱! 灼熱だった!

 純度100%の殺意は、純度100%の唐辛子をそのまま飲み干すのと同じだった。

 アリアの喉が、胃が、燃えるように熱い!

「あ、アリア様!?」

 エルネストが慌てて駆け寄る。

「み、水を! エルネスト、水を! 舌が、舌が燃えますわ! 早く!」

 一方で、アリアに「殺意」を完食された暗殺者は。

 彼は、アリアの喉元に短剣を突きつけた、まさにその体勢のまま、ぴたりと動きを止めていた。

 その瞳から、先程までの非情な光が、綺麗に消え失せている。

 彼は、自分がなぜここにいるのか、なぜ短剣を構えているのか、まったく理解できない、という顔をしていた。

「……あれ?」

 暗殺者は、自分の手の中の短剣と、涙目で咳き込むアリアを交互に見る。

「……なんで、俺……人を、殺そうと……?」

 カラン。

 短剣が、力なく石畳に落ちた。

 彼から、「殺す」という**動機(呪い)**そのものが、綺麗さっぱりアリアに「食べられて」しまったのだ。

 スパイス(殺意)のない料理(暗殺者)は、もはや何の味もしない、ただの抜け殻でしかない。

「……終わったか」

 残りの暗殺者たちを(殺さず)無力化していたガレオスが、呆然と、その光景を見下ろしていた。

「……まったく。とんでもない『荒療治(食事)』だ」

「けほっ、げほっ……! は、早く水を……!」

 エルネストから水筒を受け取り、がぶ飲みしたアリアは、ぜえぜえと肩で息をしながら、涙目でガレオスを睨んだ。

「……はぁ。まったく、ひどい目に遭いましたわ」

「……それは、こちらの台詞だ」

「でも……」

 アリアは、まだヒリヒリと痛む舌で、口唇をぺろりと舐めた。

 その瞳には、確かな「美食家」の光が宿っている。

「……分かりましたわ、エルネスト」

「は、はい(水を差し出しながら)」

「あの『共通する後味』……『秘密のレシピ本』の正体」

 アリアは、先程味わった「スパイス(殺意)」の奥に、確かに感じた『後味』を反芻する。

「あれは、『古い血の匂い』と……『王家の紋章の味』ですわ」

 エルネストの顔から、血の気が引いた。

 彼女の「舌」は、ついに腐敗の根源、王都の「メインディッシュ」――建国の「業」の正体に、限りなく近づいていた。


第六話 完


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ