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(第二十七話)『虚無の皇帝と自(動化された食卓』

1. 氷の胃袋

 重厚な鋼鉄の扉が、地響きのような低い駆動音を立てて開かれた。

 その瞬間、アリアたちの肌を刺したのは、殺気でも、熱気でもない。

 第九話の最後に感じた通り、絶対的な「虚無」の冷気だった。

 アリアたちは、警戒しながらその「玉座の間」へと足を踏み入れた。

「……寒いですわね」

 アリアは、思わず自身の二の腕をさすった。

 それは単なる気温の低さだけではない。この空間に満ちている空気が、あまりにも「死んで」いるからだ。

 風の流れもなく、湿り気もなく、塵一つ舞っていない。

 徹底的に濾過(ろか)され、循環され、管理された、完全な無菌空間。まるで巨大な生物の胃袋の中にいるような、あるいは、墓場のような静寂。

 部屋の床は、鏡のように磨き上げられた黒曜石のタイル。アリアたちの姿が、足元に逆さまに映り込んでいる。

 壁面には、無数の計器とランプが埋め込まれ、まるで人工の星空のように、あるいは監視する無数の目のように、規則正しく点滅している。

「ここが……玉座の間?」

 ガレオスが剣を下げたまま、戸惑いの声を上げる。

 彼の視線が、部屋の隅々を彷徨う。

「玉座はどこだ? それに、皇帝陛下のお姿は……」

 ガレオスの言う通り、広大な空間に「玉座」らしき豪奢な椅子は見当たらない。

 代わりに、部屋の中央――天井から伸びる全てのケーブルと、床下から這い出るパイプが集約する場所に、天を衝くような巨大なガラスの円柱状オブジェクトが鎮座していた。

「……あれは」

 エルネストが、魔導師としての直感で、そのオブジェクトの正体を察し、息を呑む。

 眼鏡の奥の瞳が、信じられないものを見るように見開かれる。

「まさか……。嘘だろう……。あれほどの魔力反応、生きた人間から発せられるものではない……」

「見なさい、二人とも」

 アリアは、日傘の先端でその円柱を指し示した。その表情は、不機嫌を通り越して、道端の汚物を見るような侮蔑に歪んでいる。

「あれが、この国の『メインディッシュ』らしいですわよ。

 ……吐き気がしますわ」

 アリアたちが恐る恐る近づくと、円柱のガラスの内側が、ぼんやりと青白く発光した。

 満たされているのは、高粘度の培養液。気泡がゆっくりと昇っていく。

 そして、その液体の中を、無数の電極とチューブに繋がれて浮遊しているのは――。

 人間ではなかった。

 肥大化し、脈打ち、異様な皺を刻んだ、**「巨大な脳髄」**だった。

2. ホルマリン漬けの王

「なッ……!?」

 ガレオスが絶句し、思わず一歩後ずさる。

 戦場で無数の死体を見てきた歴戦の騎士でさえ、その生理的な冒涜感には顔を背けたくなった。

「こ、これが……皇帝陛下、だと……?」

 その脳髄は、ただ浮いているだけではない。

 時折、ビクンと痙攣し、そのたびに接続されたケーブルを通じて、膨大なデータが部屋中の計器へと(はし)る。

 帝都の信号機、工場のライン、配給システム……その全てが、このたった一つの臓器によって制御されているのだ。

「……鑑定するまでもありませんわ」

 アリアは、ハンカチで鼻と口を厳重に覆った。

 彼女の鋭敏な嗅覚が捉えたのは、薬品の匂いだけではない。

「『死臭』がします。

 肉体はとっくに滅んでいるのに、脳だけを薬液に漬け込んで、無理やり生かしている。

 腐敗もせず、熟成もせず……ただ、機能だけを維持された『生体部品』。

 これは料理ではありません。ただの『標本』ですわ」

 アリアの言葉は辛辣だったが、的確だった。

 そこには「王の威厳」も「人の尊厳」もない。

 あるのは、効率のためだけに極限まで削ぎ落とされた、グロテスクな演算装置だけだ。

「……美しいだろう?」

 その時、円柱の裏側から、陶酔したような声が響いた。

 コツ、コツ、と靴音を響かせて現れたのは、白衣のような軍服を纏った男。

 帝国の宰相、ギルベルトだ。

 彼は、第14話で戦うことになる巨神の姿でもなく、まだアリアに論破される前の、絶対的な自信に満ちた「管理者」の顔をしていた。

「ようこそ、私の『厨房』へ。そして、紹介しよう。

 これぞ我が帝国の象徴、永遠の統治者……皇帝陛下の『成れの果て』ではなく、『完成形』だ」

3. 管理者の狂気と「無味」の正義

「貴様……!」

 ガレオスが激昂し、剣を構える。切っ先がギルベルトに向けられる。

「主君を、こんな姿にして……! これが忠臣のすることか!」

「忠臣だからこそ、だ」

 ギルベルトは悪びれる様子もなく、愛おしそうにガラス越しに脳髄を撫でた。

「皇帝陛下は、生前、常に苦悩しておられた。

 民の貧困、貴族の腐敗、隣国との摩擦……。人間の王には、処理すべき『感情』というノイズが多すぎる。

 怒りで判断を誤り、情けで悪を見逃し、恐怖で足がすくむ。

 ……不完全だ。あまりにも」

 ギルベルトは、アリアたちに向き直る。

 その瞳は、第八話で見た工場長ザイトの小物感とは違う。

 底知れぬほど深く、冷たく、そして澄み渡った「狂気」の色をしていた。

「だから、私は陛下を『解放』して差し上げたのだ。

 肉体という檻から。感情という呪縛から。

 今の陛下を見たまえ。もはや痛みも感じず、迷いもしない。

 ただ純粋に、帝国のシステムを維持するためだけに思考し続ける、完璧な『統治演算機(CPU)』となられた」

「……」

 エルネストが杖を握る手が震えている。

 それは恐怖ではない。魔術師として、そして学者として、「生命」をここまで冒涜できる思考回路に対する、根源的な拒絶反応だった。

「貴方は……王を、国を治めるための『道具』にしたと言うのか」

「逆だ、魔術師くん。

 王が国を治めるのではない。『システム』が国を治めるのだ。

 公平で、迅速で、慈悲深いシステムが。

 そこには『独裁者の気まぐれ』もなければ、『愚王の失策』もない。

 これこそが、人類が到達すべき『政治の最終形態』ではないか?」

 ギルベルトの論理は、ある一面では正論だった。

 機械による統治。感情の排除による効率化。

 だが、アリアにとっては、その論理こそが「一番の毒」だった。

4. 食欲なき統治と美食家の拒絶

「……ハッ」

 静寂な空間に、アリアの乾いた嘲笑が響いた。

「アリア嬢?」

 ギルベルトが眉をひそめる。

「馬鹿馬鹿しい。聞いていられませんわ」

 アリアは扇子をパチンと閉じ、ギルベルトを指差した。

「貴方の言っていることは、『食事をするのが面倒だから、点滴だけで一生を過ごせ』と言っているのと同じですわ。

 確かに効率的でしょう。栄養も偏らないし、食中毒のリスクもない。

 ……ですが、そんな人生に『味』はありますの?」

 アリアは、培養液の中の脳髄を一瞥する。

「あの王様を見てごらんなさい。

 思考している? いいえ、ただ『反応』しているだけです。

 『お腹が空いた』とも、『美味しい』とも、『不味い』とも言わない。

 『欲』がない王に、民の『幸福(欲)』が理解できるはずがありませんわ」

 アリアの定義において、「食欲」とは「生への執着」そのものだ。

 より良く生きたい、より美味しいものを食べたい、より幸せになりたい。

 その「強欲さ」こそが、文明を発展させ、文化を創ってきた。

「貴方の理想郷は、巨大な『無菌室』。

 そこに住む人間は、ただ死なないように管理されているだけの『保存食』。

 ……そんな冷たい食卓、私はお断りですわ」

 アリアの瞳に、激しい拒絶の炎が宿る。

 彼女は「呪い(負の感情)」を食べるが、それ以上に「無味(虚無)」を嫌う。

 この空間は、彼女にとって生理的に受け付けない「絶対悪」の具現化だった。

5. 調理開始のベル

「……残念だ」

 ギルベルトは、深くため息をついた。

 だが、その表情に失望の色はない。むしろ、想定通りのエラーが出たことを確認した科学者のように、冷徹に頷いた。

「君のような『特異点』なら、この崇高な静寂を理解できると思ったのだが。

 ……やはり、君も『旧人類』のサンプルに過ぎないか。

 感情というノイズに振り回され、味覚という幻影にすがる、哀れな生物だ」

 ギルベルトが、背後のコンソールに手をかざす。

 ズズズズズ……!

 巨大な円柱が明滅し、部屋中の計器が赤く染まる。

「交渉は決裂だ。

 これより、計画を最終段階へと移行する。

 君たちのその『無駄な感情』も、全て溶かして『統合』してやろう」

「ガレオス、エルネスト!」

 アリアが叫ぶ。

「準備なさい!

 オーナーシェフとの、直接交渉(物理)ですわ!

 こんな『不味い店』、私が責任を持って『改装(破壊)』して差し上げます!」

「御意ッ!」

「承知!」

 ガレオスが剣を抜き、エルネストが障壁を展開する。

 対するギルベルトは、狂気的な笑みを浮かべ、帝都全土を巻き込む最悪の魔法陣――「巨大ミキサー」の起動スイッチを押した。

「さあ、始めようか。

 個が消え、全てが溶け合う、安寧の世界を!

 【人類統合計画(ヒューマン・ミックス)】、起動!!」

 帝都の空が灰色に染まり、人々の自我が溶け出す「悪夢の晩餐会」が、今、幕を開ける。


第二章 第二十七話 完


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