(第二十六話)『鋼鉄の騎士と魂の剣(ソウル・エッジ)』
1. 無音の回廊と「無味」の予感
帝都の最深部。
工場地帯の轟音も、スラムの腐敗臭も届かない、冷徹な静寂に包まれた場所。
そこに、皇帝の居城「鋼鉄宮」はあった。
アリアたちは、城へと続く長い回廊を歩いていた。
壁も床も天井も、継ぎ目のない銀色の金属で覆われている。装飾は一切ない。あるのは機能美だけを追求した、病的なまでの清潔さと、絶対的な静寂だけだ。
コツ、コツ、コツ……。
アリアのヒールの音だけが、硬質に響き渡る。
「……静かすぎますわね」
アリアは不機嫌そうに扇子を開き、自分の顔を仰いだ。
彼女の鋭敏な感覚器が、この空間の異常性を捉えていた。
「護衛の兵士すらいないとは。……舐められたものだ」
ガレオスが剣の柄に手をかけ、油断なく周囲を睨む。
彼の騎士としての直感が、見えない敵の気配に警鐘を鳴らしているのだ。
「いえ、ガレオス殿。兵士がいないのではありません」
後方で魔力探知を行っていたエルネストが、冷や汗を拭いながら告げる。
「この城全体が……巨大な『魔導回路』そのものです。壁の一枚一枚、床のタイルのすべてが、微弱な駆動音を立てている。我々は今、巨大な機械の『内臓』の中を歩いているようなものです」
「ふん。趣のない内装ですこと」
アリアは扇子をパチンと閉じ、つまらなそうに吐き捨てた。
「ここには『生活の匂い』が一切ありませんわ。
料理の匂いも、人の体臭も、埃の匂いさえもしない。
あるのは、冷却水の冷たい臭いと、絶縁体の無機質な匂いだけ。
……まるで、巨大な『業務用の冷蔵庫』の中を歩いている気分です」
アリアの「舌」が、不快な予感を告げていた。
この先に待っているのは、第七話の「不味い料理(人工呪い)」ですらない。
もっと根源的な、「食材として成立していない何か」だと。
2. 帝国最強の「傑作」
回廊を抜けた先、玉座の間へと続く巨大な扉の前で、そいつは待っていた。
身長2メートルを超える巨躯。
全身を、鏡のように磨き上げられた「白銀の装甲」で覆った騎士。
兜の隙間からは、感情のない青い光学センサーの光が漏れ、アリアたちを無機質にスキャンしている。
「ようこそ。ここが君たちの終着点だ」
騎士からではなく、天井のスピーカーから宰相ギルベルトの声が降ってきた。
「紹介しよう。帝国軍事技術の結晶、対魔導騎士『ゼロ』。
人間の脳と神経系のみを生体部品として流用し、それ以外を全て最強の対魔素材に置き換えた……私の最高傑作だ」
「……サイボーグ、というやつか」
ガレオスが前に出る。その表情は険しい。
目の前の敵から放たれる圧力が、尋常ではないことを肌で感じ取っているのだ。
だが、アリアは興味深そうに、その騎士に近づいた。
「ふーん。見た目は立派な『メインディッシュ』に見えますけれど……」
アリアは、ゼロの目の前まで歩み寄り、くん、と鼻を鳴らした。
そして。
「……ペッ」
露骨に、床に唾を吐き捨てた。
「アリア様?」
「……食べられませんわ、これ」
アリアは、心底嫌そうな顔で扇子を開き、自分の顔を隠した。
「味がしませんの。
『無味』というより……『無機物』。
人間の脳を使っていると言いましたわね?
ですが、その脳からは『感情』が完全に切除されています。
恐怖も、殺意も、忠誠心すらない。ただ『敵を排除せよ』という電気信号が流れているだけ。
……これでは、スプーンが通りませんわ。ただの『硬い鉄屑』ですもの」
アリアの捕食対象は「呪い(負の感情)」だ。
感情を持たない、純粋な機械仕掛けの暴力。
それは、最強の魔女にとって、唯一の「天敵(食べられないゴミ)」だった。
「はっはっは! そうだろうとも!」
ギルベルトの嘲笑が響く。
「感情こそがノイズであり、弱点だ。それを排除したゼロに、君の『暴食』は通用しない。
さあ、ゼロ。害獣を駆除しろ」
命令一下。
ゼロが動いた。
予備動作なし。音速に迫る踏み込みから、振るわれる白銀の大剣。
それは、アリアの細い首を確実に跳ね飛ばす軌道を描いていた。
ガギィィィン!!
火花が散り、金属音が鼓膜を裂く。
アリアの首が飛ぶ寸前、一振りの剛剣が、その凶刃を受け止めていた。
3. 騎士のプライドと調理器具の矜持
「……俺を忘れてもらっては困るな」
ガレオスだった。
彼はアリアを背に庇い、体重差が倍以上あるゼロの斬撃を、歯を食いしばって受け止めている。
足元の金属床が、衝撃でひしゃげ、火花を散らす。
「ガレオス!」
「アリア様、下がってください!
こいつは……魔術も、貴女の捕食も通用しない!」
ガレオスは、ゼロの剣を押し返しながら叫んだ。
彼の腕に血管が浮き上がり、鎧が軋みを上げる。
「ですが! 『ただの物理的な鉄屑』ならば……!」
「おおおおおッ!」
ガレオスが気合一閃、ゼロを弾き飛ばす。
「俺の専門分野だ!」
アリアは、数歩下がると、優雅にその場に腰を下ろした。
彼女は、ガレオスの背中を見つめる。
かつて、彼は「過去の呪い」に囚われ、守るべきものを守れなかったと嘆いていた。
だが、今の彼は違う。
アリアに呪いを食べられ、空っぽになった器に、新たな「誇り」を満たしている。
アリアは、彼を信頼しきった瞳で見つめ、言い放つ。
「ガレオス。
私の食卓に、こんな『味のしないフォーク』は不要です。
……へし折って、スクラップになさい!」
「御意ッ!」
ガレオスが吼え、突進する。
王国最強の騎士 vs 帝国最強の機械。
剣戟の嵐が巻き起こった。
ゼロの動きは完璧だった。
内蔵された演算装置が、ガレオスの筋肉の動き、呼吸、視線から、次の攻撃を0.01秒単位で予測し、最適な防御と反撃を繰り出す。
ガレオスの剣は弾かれ、かわされ、逆にゼロの冷徹な刃がガレオスの鎧を削り取っていく。
「無駄だ、ガレオス卿」
スピーカーからギルベルトの声が響く。
「ゼロの演算能力は、人間の反射速度を超えている。
『感情』や『闘志』といった不確定要素に頼る旧式の騎士に、勝ち目はない」
ザシュッ!
ガレオスの肩が裂け、鮮血が舞う。
エルネストが援護魔法を放とうとするが、ゼロの装甲は対魔素材。魔法を拡散し、無効化してしまう。
「ぐっ……はぁ、はぁ……」
ガレオスが膝をつく。
スペックの差は歴然。論理的に考えれば、勝率はゼロだ。
だが。
「……おい、鉄屑」
ガレオスは、血を拭いながら立ち上がった。
その瞳には、絶望の色など微塵もない。むしろ、これまで見せたことのないほど熱く、激しく燃え盛っていた。
「お前の剣は、確かに速い。重い。正確だ。
……だが、軽いな」
4. 魂の剣
「軽い?」
ゼロ(ギルベルト)が怪訝な声を上げる。
「ああ。お前の剣には『重み(味)』がない」
ガレオスは剣を構え直す。
切っ先が、ゼロの眉間にピタリと定まる。
「俺は、一度全てを失った。守るべき部下も、自分の誇りも、呪いに食いつくされた。
だが、あのお方(アリア様)が、俺を拾ってくれた。
『不味い』と言いながらも、俺の呪いを平らげてくれた」
ガレオスの脳裏に、アリアとの旅路が蘇る。
彼女のわがままに振り回され、呆れ、そして救われた日々。
彼女の「食」への執念は、生きることへの執念そのものだった。
「俺の剣は、ただの鉄の棒じゃない。
世界一わがままな美食家に鍛え上げられた、最高の『包丁』だ!」
ガレオスの剣が、赤く、熱く輝き始める。
それは魔力ではない。
アリアが以前「スパイス」と呼んだ、人間の根源的な生命力――**「魂」**の光だった。
「警告。敵対対象のエネルギ値、測定不能。理論値を超過――」
ゼロのセンサーが警告音を発する。
計算外。感情というノイズが、物理法則を超えて出力を上げている。
「うおおおおおおッ!!」
ガレオスが踏み込んだ。
床が爆ぜる。
ゼロの演算が「右からの斬撃」と予測し、防御態勢をとる。
だが、ガレオスは、その予測を「気迫」だけでねじ伏せた。
踏み込みの衝撃で速度がさらに加速する。
予測不能。回避不能。
ただ、目の前の「不味い鉄屑」を両断するという、純粋な意志の一撃。
「【断鋼・魂喰】!!」
ズバァァァァァァン!!!
白銀の閃光が、鋼鉄宮を切り裂いた。
ゼロの大剣ごと、その強固な対魔装甲が、まるでバターのように両断される。
「……ガ、ガガ……」
ゼロの上半身が、ゆっくりとずり落ちた。
切断面からは、オイルと火花が散る。
最強の機械騎士は、論理を超えた「魂の剣」の前に沈黙した。
5. 玉座への道
「……ふぅ」
ガレオスは剣を振るって血糊を払い、鞘に納めた。
満身創痍だが、その立ち姿は王国の騎士団長としての誇りに満ちていた。
パチ、パチ、パチ。
乾いた拍手の音が響く。
アリアが、満足げな笑みで立ち上がっていた。
「見事でしたわ、ガレオス。
貴方の剣……『鉄の味がする』だけの鈍らではありませんでしたわね。
最後に、ほんのり香ばしい『熱情』の味がしましたわ」
「……はっ。お褒めに預かり光栄です」
ガレオスは跪き、頭を下げる。
アリアの「批評」こそが、彼にとって最高の勲章だった。
「さあ、邪魔者は片付きました」
アリアは、ゼロの残骸を踏み越え、奥にある巨大な扉を見据えた。
「エルネスト、扉を開けなさい。
この奥に、帝国の『料理長』……いえ、今は『皇帝』と言うべきかしら?
とにかく、一番偉そうな人が引きこもっていますわ」
「はい。……魔力反応、奥に巨大なものが一つ。
ですが……これは人間のものではありません。もっと異質な……」
エルネストが警戒しながら、魔法で重い扉を押し開ける。
ギギギギ……と、重苦しい音を立てて扉が開く。
そこから漏れ出してきたのは、
アリアがこれまで嗅いだことのない、
「無臭」でありながら、魂を凍てつかせるような「完全なる虚無」の冷気だった。
「……行きましょう」
アリアは、日傘を強く握りしめた。
食欲が疼くのではない。
美食家としての本能が、この先にあるものを「絶対に許してはおけない」と告げていた。
第二章 第二十六話話 完




