(第二十五話)『感情缶詰工場(エモーション・カネリー)と衛生局の死神』
1. 鉄の森の裏口
帝都の地下深くに広がるレジスタンスのアジトで、魂を揺さぶるような「激辛の洗礼」を受けた翌日。
アリア一行は、リーダーのバルドに先導され、帝都の北部に位置する広大な工業区画の一角に潜んでいた。
そこは、昼間だというのに太陽の光が届かない場所だった。
空を覆うのは、無数の煙突から吐き出される黒煙と、蜘蛛の巣のように張り巡らされた蒸気パイプ。地面は油と汚水でぬかるみ、鼻を突くのは錆びた鉄と、何か得体の知れない薬品の刺激臭。
「……ここか」
ガレオスが、物陰から巨大な建造物を見上げる。その表情には、戦場を知る騎士特有の緊張感が張り詰めている。
目の前にそびえ立つのは、窓のない黒鉄の箱のような異様な建物だった。
建物の外壁には、まるで生物の血管のように無数のパイプが蠢き、内部からは絶えず、「ゴウン、ゴウン……」という不気味な重低音が響いてくる。それはまるで、巨大な怪物が獲物を咀嚼している音のようだった。
「ああ。帝都第三感情加工廠。通称『缶詰工場』だ」
バルドが巨大なモンキーレンチを肩に担ぎ、忌々しげに足元の泥に唾を吐いた。
「スラムから連れ去られた連中の多くは、ここに運び込まれる。一度入ったら、二度とまともな精神では出てこられねぇ。『魂の屠殺場』なんて呼ぶ奴もいるくらいだ」
「……酷い匂いですわ」
アリアは、工場から漏れ出す排気ダクトの熱風を受け、ハンカチで鼻を覆いながら眉をひそめた。
彼女の鋭敏な嗅覚が捉えたのは、単なる悪臭ではない。
それは、国境やスラムで感じたあの「人工的な甘ったるさ」だった。だが、今回はそれに加えて、焦げ付いたような「精神的苦痛」の酸味と、腐敗した「絶望」のエグみが混じっている。
(甘い香料で必死に誤魔化していますが、素材の鮮度が完全に死んでいますわ。
まるで、腐りかけた肉を強引に化学調味料と香辛料で煮込んで、無理やり『可食部分』に見せかけたような……不誠実極まりない料理の匂い)
アリアの瞳に、冷たい怒りの炎が灯る。
それは、食材を冒涜する料理人に対する、美食家としての絶対的な拒絶反応だった。
「行きますわよ、ガレオス、エルネスト。
この不衛生きわまりない『厨房』に、抜き打ち検査が必要です」
2. ベルトコンベアの悪夢
バルドの手引きで、警備の薄い搬入口から工場内へと侵入した一行。
重厚な鉄扉をこじ開け、中へと足を踏み入れた彼らを待っていたのは、まさに地獄の光景だった。
広大な工場内を、果てしなく続く無数のベルトコンベアが走っている。
だが、そこに流れてくるのは、鉄鉱石でも部品でもない。
「人間」だ。
頭部に無骨な金属製のヘッドギアを装着され、手足を拘束された人々が、まるで食肉加工場の家畜のように、流れ作業で運ばれていく。老若男女、その表情は一様に虚ろで、生気がない。
プシュッ、プシュッ。
ラインの各所に配置された機械のアームが、容赦なく彼らの頭部に電極を突き刺す。
そのたびに、彼らはビクリと激しく痙攣し、白目を剥き、その口から「光るガス」を吐き出す。
紫色のガス、ピンク色のガス、青白いガス……。
それらは全て、彼らの魂から無理やり引き剥がされた「感情」そのものだ。
ガスは天井のパイプへと吸い込まれ、別のラインで金属製の「缶詰」へと加工されていく。
「『初恋』、『達成感』、『郷愁』……」
エルネストが、ラインの横にあるモニターに表示される数値を読み上げ、顔面蒼白になる。
「なんてことだ……。特定の記憶野を電気刺激し、脳内の神経伝達物質を強制的に分泌させ、無理やり特定の感情を引きずり出しているのか。
これを繰り返せば、彼らの精神は摩耗し、感情を生み出す機能そのものが破壊されてしまう。やがて廃人になるのは必然だ」
「……効率的でしょう?」
突如、頭上のキャットウォークから、甲高い声が降ってきた。
見上げれば、そこには白衣を着た小柄な男が立っていた。
片目が無機質なカメラレンズの義眼になっており、神経質そうに自分の親指の爪を噛んでいる。
この工場の支配者、工場長ザイトだ。
「人間は、放っておくと無駄な感情ばかり生み出す。怒り、悲しみ、嫉妬……そんなものは社会の潤滑油にはならん。
だからこうして、我々が管理し、抽出してやるのだよ。
『悲しみ』という不純物は廃棄し、『喜び』という栄養素だけを缶詰にする。
これこそが究極の『食の安全』であり、人類への『奉仕』だとは思わんかね?」
ザイトは、眼下の光景をうっとりと眺める。彼にとって、ベルトコンベアで運ばれる人々は、人間ではなく単なる「原材料」に過ぎないのだ。
3. 「衛生管理」という名の蹂躙
アリアは、ザイトを見上げ、その青い瞳を氷のように冷たく細めた。
「……安全? 奉仕? 笑わせないでくださいまし」
彼女の瞳孔が、獲物を狙う捕食者のそれへと縦に細まる。
アリアの全身から、第一部で「王家の業」すら飲み込んだ、底知れぬ「暴食」のオーラが立ち昇る。
「貴方のやっていることは、料理ではありません。
食材への『拷問』です。
恐怖と苦痛の中で、電気ショックで無理やり絞り出した『喜び』に、何の価値がありますの?
そんなものは、『ストレスという名の毒素』が混入した、ただの産業廃棄物ですわ!」
「なっ……! 減らず口を……!」
ザイトが顔を真っ赤にして叫ぶ。自分の崇高な仕事を否定されたことが我慢ならなかったのだ。
「侵入者を排除しろ! 生産ラインを止めるな! 貴重なサンプルを逃がすな!」
ザイトがコンソールのボタンを叩くと、工場内の至る所から警報音が鳴り響く。
壁面のハッチが開き、警備用機械兵が次々と現れ、さらに天井からは防衛タレットが銃口を向けてきた。
「チッ、やっぱりこうなるかよ!」
バルドがレンチを構え、壁際の配電盤に向かって走り出す。
「俺がメインの電源を落とす! そうすればラインも止まるはずだ! アンタらは工場長を頼むぜ!」
「承知した! アリア様、道を開きます!」
ガレオスが前に出る。その手には、帝国の技術で打ち直された新剣『黒鉄』が握られている。
「邪魔だッ!」
ガレオスの剛剣が一閃する。
四方八方から迫る機械兵の群れが、まるで枯れ木のように容易く両断されていく。物理的な装甲など、彼の「魂の乗った斬撃」の前には紙同然だ。
「エルネスト殿、上空のタレットを!」
「お任せを! 帝国の回路図はすでに解析済みです!」
エルネストが杖を掲げ、複雑な魔法陣を展開する。
「『電磁誘導・ジャミング』!」
杖から放たれた紫電が、天井のタレットを次々とショートさせ、爆発させていく。
第一部ではアリアの後ろに控えていた二人が、今はアリアの「道」を作るために、阿吽の呼吸で前線を切り開く。
その頼もしい背中を見送り、アリアは悠然と歩き出した。
「感謝しますわ、私の優秀な『調理器具』たち。
おかげで、メインディッシュに集中できます」
4. 悪食魔女の「営業停止命令」
アリアは、キャットウォークへと続く鉄階段を、ドレスの裾を翻しながら優雅に上っていく。
ザイトは慌てて自身の護衛用機械兵を差し向けるが、アリアはそれらに目もくれない。
「邪魔ですわ」
機械兵がアリアに掴みかかろうとした瞬間、彼女が軽く手をかざす。
ズズッ……。
機械兵の動力炉から、黒い靄のようなエネルギーが引き抜かれ、アリアの手のひらに吸い込まれる。
動力を失った機械兵は、糸の切れた人形のように崩れ落ち、鉄屑へと変わった。
第七話の「食あたり」を経験した彼女は、学習していた。
帝国の「人工呪い」は不味い。全てを食べれば体を壊す。
ならば、「全てを食べる」必要はない。
不味い不純物は捨て、動力の核となる「一番濃い呪い」だけを一口啜れば、それで相手は壊れるのだ。これぞ美食家の「つまみ食い」。
「ひ、ひぃぃ……! 化け物め! 来るな!」
ザイトが後ずさる。自分の作り出した機械たちが、手も足も出ずに沈黙していく様に、原初的な恐怖を感じたのだ。
彼は、工場の制御コンソールにしがみつき、最後の手段に出た。
狂気に歪んだ目で、アリアを睨みつける。
「ならば、こいつらも道連れだ! ラインの出力を最大に……!
脳を焼き切ってスクラップにしてやる!」
彼は、ライン上で拘束されている人々へ過剰な電流を流し、その命ごと証拠隠滅を図ろうとした。
「――『無作法』ですわよ」
ドォォォン!!
ザイトがレバーを引くより早く、アリアが投げた日傘の先端が、コンソールを直撃し、粉砕していた。
火花が散り、制御盤が爆発する。
「あ……」
「食材(人間)を人質にするなど、料理人以前の問題。
……人間失格ですわ」
アリアは、呆然とするザイトの胸倉を片手で掴み上げ、至近距離でその「魂」を鑑定した。
(……ああ、不味そう。
『功名心』と『サディズム』、そして『保身』のミックスジュース。
添加物だらけの、安っぽくて薄っぺらい味)
「貴方を食べる価値すらありませんわ。私の舌が汚れます」
アリアはザイトをゴミのように放り捨てると、工場の天井に設置された、巨大な貯蔵タンクを見上げた。
そこには、この工場で抽出された、膨大な量の「感情エネルギー」が溜め込まれている。ドロドロとした黒い液体が、ガラス越しに脈打っている。
「あのタンクの中身……『合成保存料』の塊ですが、
ここで廃棄するのも環境汚染になりそうですわね」
アリアは、覚悟を決めたように息を吸い込んだ。
不味いと分かっていても、皿を空にするのが美食家の流儀。そして何より、この「毒」を地上に残しておくわけにはいかない。
「【暴食・焼却炉】」
アリアの口が、物理的な限界を超えて「概念的」に大きく開かれる。
その口腔の奥に、底なしの闇が広がる。
巨大な吸引力が発生し、タンクの中身――数万人分の「加工された感情」が、ガラスを突き破って奔流となり、アリアの中へと吸い込まれていく!
「ぐ……っ、うぅ……ッ!」
アリアの喉が鳴る。
甘ったるい。薬品臭い。金属の味がする。
舌が痺れ、胃が焼けるような不快感。
だが、彼女は止まらない。
その瞳には、バルドたちレジスタンスの「熱いスープ」の記憶と、ガレオスたちの献身への信頼が宿っていた。
(これくらい……飲み干せなくて、何が美食家ですの!
私は……王家の業すら喰らった女ですわ!)
5. 閉鎖された工場と、次なる招待
数分後。
工場内のすべてのエネルギーが消失し、ラインは完全に停止した。
拘束具が外れ、正気を取り戻した人々が、駆けつけたバルドやレジスタンスのメンバーたちに保護されていく。
「……げふっ」
アリアは、盛大なゲップをした。
さすがに顔色は悪く、足元も少しふらついている。だが、その目は爛々(らんらん)と輝き、達成感に満ちていた。
「あー、不味かったですわ!
もう二度と、こんな店(工場)には来ません!」
へたり込んだザイトを見下ろし、アリアは冷徹に告げた。
「この店は『営業停止』です。
衛生管理(倫理観)を一から勉強し直してきなさい。……もっとも、牢屋の中でですが」
その時。
破壊されたコンソールのモニターが、ノイズと共に明滅し、一人の男の映像を映し出した。
白衣のような軍服を着た、冷徹な目をした男。
帝国の宰相、ギルベルトだ。
『……素晴らしい。まさか、第三工場まで「完食」するとはね』
画面越しのギルベルトは、アリアの暴挙に怒るどころか、新しい実験データを得たかのように、薄ら寒い笑みを浮かべていた。
『だが、君の胃袋もそろそろ限界ではないかな?
ジャンクフードも食べ過ぎれば毒になる。その顔色の悪さが証明している』
「ご心配なく」
アリアは画面を睨み返す。
「私の胃袋は、貴方のような『悪趣味な料理人』を平らげるために、空けてありますの」
『威勢がいいな。
ならば、来るがいい。帝都の中枢、皇帝陛下の居城へ。
そこで、君に“本当のメインディッシュ”……
帝国最強の騎士にして、我が最高傑作を紹介しよう』
プツン、と映像が切れる。
「……帝国最強の騎士、だと?」
ガレオスが反応する。その手に力が入る。
アリアは、膨れたお腹をさすりながら、不敵に笑った。
「上等ですわ。
前菜(機械兵)、スープ(合成獣)、魚料理(工場)……
次は『肉料理(騎士)』の出番というわけですわね」
工場を出たアリアたちを、スラムの人々の歓声が包む。
だが、アリアの視線はすでにその先、帝都の最深部にそびえる不気味な巨塔――「皇帝の城」へと向けられていた。
第二章 第二十五話 完




