(第二十三話)『鉄屑のフルコースと脱出のデザート』
1. 無機質な捕食者
統治局タワーの最上階、無機質な静寂に包まれた空間が、突如として轟音に切り裂かれた。
宰相ギルベルトが床下へと消えた直後、天井のハッチが開き、巨大な質量が落下してきたのだ。
ズゥゥゥン!!
床の白いタイルが粉砕され、無菌室の空気が一瞬にして土埃と機械油の臭いで汚される。
土煙の中から現れたのは、六本の多関節脚を持つ、巨大な鋼鉄の蜘蛛――帝国の対魔導決戦兵器『六式殲滅機甲』だった。
その背部には蒸気機関が唸りを上げ、六つの複眼カメラが赤く明滅し、アリアたちを無機質に捉えている。
「……はぁ」
アリアは、目の前の鋼鉄の怪物を前に、心底うんざりしたように扇子を閉じた。その表情には、恐怖よりも深い失望が張り付いている。
「前菜の次がこれですの? 鉄と油の塊。
食べる所がどこにもありませんわ。まるで『殻ごとのカニ』を、調理器具もなしに出された気分です」
アリアの鋭敏な「鑑定眼(舌)」には、この機械から一切の「味(感情)」が感じられなかった。
先ほどの機械兵や、スラムの合成獣には、わずかながらも原材料となった人間の残り香があった。だが、この兵器は違う。
完全な自動化。完全な無人機。
そこにあるのは、「標的を排除せよ」という冷徹なプログラム――無味乾燥なレシピのみ。
「アリア様、お下がりください」
ガレオスが前に出る。その背中は、かつて王国でアリアに出会った頃よりも一回り大きく、頼もしく見えた。
彼は剣を構え、アリアに背を向けたまま告げる。
「『殻』が硬いのなら、割ればいいだけの話。
――俺が貴女の『殻割り(クラッカー)』になりましょう」
「魔導阻害波、出力上昇中! くっ、術式構成が……!」
後方でエルネストが杖を構え、脂汗を流しながら叫ぶ。
「空間のマナ密度が乱されています! 通常の攻撃魔法は霧散してしまう。ですが……『料理』の手順を変えれば問題ありません。私が『火加減』を調整します!」
アリアは、二人の頼もしい「調理器具」を見て、ニヤリと笑った。
彼女の瞳に、捕食者の光が灯る。
「よろしい。
では、この『不味そうな鉄屑』を、手早く片付け(下ごしらえ)なさい。
――調理開始!」
2. 騎士の包丁、魔術師のコンロ
アリアの号令と共に、『殲滅機甲』が動いた。
人間には不可能な速度で六本の脚が稼働し、鎌のような鋭利な爪がガレオスに迫る。
「遅い!」
ガレオスは、正面からその爪を剣で受け止めた。
ガギィィィン!!
火花が散る。重量差は数十倍。だが、ガレオスは一歩も引かない。
彼の剣には、かつてアリアに自身の呪いを喰らわれたことで取り戻した、「魂(味)」が宿っている。ただの物理攻撃ではない、意思の力が鋼鉄を凌駕する。
(かつて、俺は守るために引いた。だが今は違う。
俺の後ろには、世界で最もわがままな『美食家』がいる。
不味い料理を彼女の席に届けるわけにはいかん!)
「ふんっ!」
ガレオスが剣を弾き上げると、巨大な機械の姿勢がわずかに崩れた。
「今です、エルネスト殿!」
「承知!」
エルネストは、魔導阻害波の隙間を縫うように、純粋な物理干渉系の魔術を編み上げていた。
「阻害波は『魔力そのもの』を霧散させる。ならば、魔力で『物理的な重り』を作り出し、叩きつければいい!」
【重力プレス・改】。
天井の瓦礫が、エルネストの魔力によってひと塊になり、機械蜘蛛の頭上へ落下する。
ドゴォォォォン!!
装甲がひしゃげ、蒸気が噴き出す。
「ギ、ギギ……排除、排除……」
それでも機械は止まらない。複眼が赤く明滅し、口部から高熱のレーザーを充填し始める。
「アリア様! 高出力の熱源反応!」
エルネストが叫ぶ。
だが、アリアは動じない。
彼女は、戦場のど真ん中を、まるでレストランの回廊を歩くように優雅に進んでいた。
その視線は、ただ一点を見据えている。
「……見えましたわ」
アリアは、機械の腹部――分厚い装甲の隙間から漏れる、微かな「青い光」を見逃さなかった。
「ガレオス! 右足の付け根を払いなさい!」
「御意!」
ガレオスの剣閃が走り、機械のバランスが崩れる。
「エルネスト! その傷口に『冷却』を!」
「はっ!」
氷の礫が撃ち込まれ、熱を持った装甲が急激な温度差で脆くなる。
「そこですわ!」
アリアが跳んだ。
ドレスを翻し、崩れ落ちる機械の背に舞い降りる。
そして、脆くなった装甲の隙間に、白く細い腕を突き刺した。
3. バッテリーの味見
ズプッ。
物理的な強度は関係ない。アリアの手は、物質を透過し、その奥にある「概念」を掴むことができる。
彼女が掴んだのは、この機械の動力源――**『高純度魔力電池』**だった。
「……いただきます」
アリアは、その電池から溢れ出すエネルギーを、ストローで吸うように一気に吸収した。
(……んっ、酸っぱい!)
アリアの眉間にしわが寄る。
(まるで、アルミホイルを噛んだ時のような電気的な刺激!
そして、漂白剤のような味気なさ!
……ああ、不味い。不味いけれど……)
アリアの体内で、魔力がスパークする。
不味いジャンクフード特有の、強烈なカロリー摂取感。
「エネルギーだけは、一丁前ですわね!」
アリアが手を引き抜くと同時に、巨大な機械蜘蛛は、糸が切れた人形のようにドサリと機能を停止した。
動力源(心臓)を「完食」されたのだ。
「ふぅ……。口の中がピリピリしますわ」
アリアは不満げに舌を出した。
「鉄分過多です。肌に悪そうですわ」
「お見事です、アリア様」
ガレオスが剣を納め、エルネストが汗を拭う。
三人の連携は、言葉を交わさずとも完璧な「調理手順」として成立していた。
4. 脱出という名のデザート
だが、息つく暇はない。
部屋の警報が鳴り響き、壁の向こうから多数の機械兵の足音が聞こえてくる。
「増援ですね。どうしますか、アリア様。このままタワーを下りますか?」
エルネストが問う。
アリアは、破壊された壁の向こう――眼下に広がる帝都の夜景を見下ろした。
ここは地上数百メートル。
「いいえ。エレベーターは『満席』のようですし、階段は『脂っこい(敵が多い)』ですわ」
アリアは、夜風に髪をなびかせながら、ニヤリと笑った。
その瞳には、子供のようないたずら心が宿っている。
「たまには、スリルという名の『デザート』も悪くありませんわね」
アリアは、ガレオスとエルネストの手を取った。
「え? ちょ、アリア様?」
「まさか……」
「飛びますわよ!」
アリアは、躊躇なく虚空へと身を投げ出した。
「「うわぁぁぁぁぁッ!?」」
二人の男の悲鳴が、帝都の夜空に吸い込まれていく。
落下。
風圧がドレスを膨らませ、アリアは重力に身を任せる。
恐怖はない。むしろ、この浮遊感は、コース料理の最後に出されるシャーベットのように、口の中の「鉄の味」をさっぱりと洗い流してくれる。
「エルネスト! 着地の『盛り付け』をお願いしますわ!」
「む、無茶苦茶だぁぁぁ!」
エルネストは空中で杖を振り回し、必死に浮遊魔術を展開する。
ガレオスは、アリアが風に飛ばされないよう、空中で彼女を抱え込み、自らの体をクッションにする体勢をとる。
ふわり。
三人は、統治局タワーの裏手、人気のない資材置き場へと、奇跡的なソフトランディングを果たした。
5. 飼育場の匂い
「……死ぬかと思いました」
エルネストが地面に大の字になる。
「寿命が縮まりました……」
ガレオスも膝をつく。
「あら、素晴らしい景色でしたわよ」
アリアだけが、涼しい顔で髪を整えていた。
三人が着地した場所。そこは、タワーの華やかさとは無縁の、巨大な貨物ターミナルだった。
無数のコンテナが積み上げられ、深夜にもかかわらず、機械兵たちが荷物を運び込んでいる。
「……?」
アリアが、ふと鼻を動かした。
工場の排煙やオイルの臭いに混じって、微かだが、とてつもなく濃厚で、そして「生々しい」匂いが漂ってきたのだ。
「……甘い」
アリアの表情が、険しくなる。
「あの『完全栄養食』の不自然な無味とは違う……。
もっと、とろけるように甘くて、腐りかけの果実のような……『純粋培養された幸福』の匂い」
アリアは、一つの巨大なコンテナに近づいた。
『厳重保管・生体部品』と書かれたラベル。
ガレオスが無言でその鍵を斬り飛ばし、扉を開ける。
中には、物資ではなかった。
カプセルに詰められ、眠らされている「子供たち」だった。
彼らは皆、管に繋がれ、夢を見ているのか、幸せそうな笑みを浮かべている。
「……これは」
エルネストが絶句する。
「『人間牧場』……。噂には聞いていましたが、実在したとは」
アリアは、カプセルの中の子供を見つめた。
彼らから吸い出されているのは、純粋な「感情エネルギー」。
それが、あの「完全栄養食」や、帝国の動力を支えているのだ。
「……許せませんわ」
アリアの声は、低く、静かだった。
だが、その奥には、かつて王国の父に向けたものとは比較にならない、冷徹な殺意が渦巻いていた。
「人間を、ただ甘い汁を吸うためだけの『果実』にするなんて。
これは料理ではありません。
……ただの『搾取』です」
アリアは、宰相ギルベルトがいるであろうタワーの頂上を睨み返した。
「いいでしょう。
貴方の『厨房』の秘密、暴いて差し上げます。
そして、その『在庫』……全て私が『解放(つまみ食い)』してさしあげますわ!」
帝国の闇の深淵。
「食材」として飼育される子供たち。
アリアの怒りの炎が、帝都の夜に静かに燃え上がった。
第二章 第二十三話 完




