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(第二十二話)『完全栄養食(パーフェクト・フード)の晩餐会と宰相の招待』

1.黄金の執事とガラスの摩天楼

 スラムのゴミ山で「合成獣(キメラ)」という名の生ゴミを解体し、鼻をつまみながらしばしの休息をとっていたアリアたち。その目前に、あまりにも場違いな影が音もなく降り立った。

 汚泥と鉄錆、そして腐敗臭が支配するスラムには似つかわしくない、鏡面仕上げの黄金の装甲を持つ、人型の機械人形(オートマタ)だった。

「――ようこそ、イシュベリアからの来訪者よ」

 機械人形は、油の一滴すら染み付いていない純白の手袋を胸に当て、宮廷執事のような流麗な動作で一礼した。その口元スピーカーから流れる声は、合成音声特有のノイズ混じりではあったが、丁寧で、そしてどこか人間を見下すような冷ややかな響きを含んでいた。

「我が名は『黄金の執事(ゴールド・バトラー)』。帝国の宰相、ギルベルト・フォン・ガレリア閣下の代理でございます」

「宰相……! この国の支配者が、何の用だ」

 ガレオスが即座にアリアの前に立ち、大剣の柄に手をかける。彼の鍛え上げられた筋肉が、一瞬で臨戦態勢へと引き絞られる。

 エルネストも杖を構え、眼鏡の奥で眼光を鋭くさせた。

「周囲の空間魔素(マナ)が揺らいでいない……。転移魔法ではなく、純粋な『光学迷彩』か。帝国技術、侮れませんね」

「おや、警戒なさらずとも。先ほどは単なる『廃棄物処理』の不手際。貴殿らが掃除してくださったこと、感謝いたしますよ」

 執事はガレオスの殺気を柳のように受け流し、胸ポケットから一枚のカードを取り出した。それは紙ではなく、プラチナの延べ板に文字を刻印した、重厚かつ無機質な招待状(インビテーション)だった。

「閣下が、アリア様を『晩餐会』にご招待したいと。場所は帝都中央、『統治局タワー』の最上階。――『貴女の舌を満足させる、究極の議論を用意している』とのことです」

「ほう」

 アリアは、ガレオスの背中から顔を覗かせた。

 彼女は鼻をひくつかせ、黄金の執事から漂う匂いを「鑑定」する。

(……ふん。この人形からは、潤滑油と金属の冷たい匂いしかしませんわ。

 ですが、その奥にある『主人の意図』からは……微かな『甘み(興味)』と、鼻につく『金属臭(値踏み)』がしますわね)

 アリアは、ガレオスの肩を軽く叩き、優雅に前へと歩み出た。

「いいでしょう。受け取りますわ」

「アリア様!? 罠に決まっています!」

 ガレオスが驚愕するが、アリアは扇子を開いて口元を隠し、ニヤリと笑った。

「ガレオス、エルネスト。考えてもみなさい。わざわざ敵の本丸へ殴り込む手間が省けましたわ。

 それに、『究極の議論』?

 料理人(シェフ)が客に料理そのものではなく『講釈』を垂れたがる時は、だいたい味に自信がない時か、自己愛が肥大化して舌が麻痺している時ですのよ。

 ……批評家(レビュアー)として、コテンパンに酷評し甲斐がありそうですわ」

 アリアは不敵に笑い、プラチナのカードを指先でつまみ上げた。

2.統治局タワーの無菌室

 帝都の中央に、墓標のようにそびえ立つ「統治局タワー」。

 それは、スラムの惨状を見下ろすように建設された、高さ数百メートルに及ぶガラスと鋼鉄の巨塔だった。

 専用の高速エレベーターで最上階へ案内された三人は、扉が開いた瞬間、その異様な空間に息を呑んだ。

 壁一面がガラス張りの部屋。そこからは、黒煙とネオンに覆われた帝都が一望できる。

 だが、何より異様なのは、その病的なまでの「清潔さ」だった。

 チリ一つ落ちていない真っ白な床。直線だけで構成された無機質な家具。空気すらも何重ものフィルターで濾過され、完全な無臭空間が広がっている。

(……気持ち悪い)

 アリアは、思わずハンカチで鼻を覆った。

 スラムの腐敗臭も不快だったが、この部屋の空気は「死」とは別のベクトルで耐え難い。

(『生活感』も『体温』も、食材が煮炊きされる『雑味』もない。まるで、病院の手術室か、真空パックの中身のようですわ。ここにいるだけで、私の味覚まで漂白されそうだわ)

「やあ。待っていたよ」

 部屋の中央、巨大な円卓の向こう側で、一人の男が待っていた。

 白衣をモチーフにしたような純白の軍服に身を包み、神経質そうな細い指で、黒い液体が入ったワイングラスを揺らしている。

 帝国の実質的な支配者、宰相ギルベルト。

「初めまして、『呪い喰らい』のアリア嬢。そして王国の『道具』諸君」

 ギルベルトは、ガレオスとエルネストを一瞥すらせず「道具」と呼び捨て、アリアだけに視線を固定した。

 その瞳は、爬虫類のように瞬きが少なく、冷徹だが、同時に未知の検体を解剖する前の研究者のような、歪んだ熱を帯びている。

「……ご挨拶も結構ですが」

 アリアは、案内された席に座るなり、テーブルの上を扇子で指し示した。

「『晩餐会』と伺いましたけれど? 料理はどこですの? 前菜もスープも、ナイフとフォークすら見当たりませんわ」

 広大な円卓の上には、皿が一枚。

 その中央には、何の変哲もない、白くて四角い、消しゴムのような「ブロック」が一つだけ置かれていた。

3.完全栄養食(パーフェクト・フード)という名の飼料

「これだよ」

 ギルベルトは、自分の前にある同じ白いブロックを手に取った。

「帝国科学省が総力を挙げて開発した『完全栄養食(パーフェクト・フード)』だ。

 人間が必要とするカロリー、ビタミン、ミネラル、必須アミノ酸……その全てが、この一片に完璧なバランスで凝縮されている。

 これを一つ摂取すれば、成人が一日活動するのに十分なエネルギーを得られる。調理の手間も、食事の時間も、そして排泄物の量さえも最小限に抑えられる」

 ギルベルトは、愛おしそうにそのブロックを撫でた。

「まさに、人類を『食欲』という非効率な呪縛から解放する、究極の発明だ」

 言い終わると、彼はそれを無表情に口へと運んだ。

 サクッ、という乾いた音が響く。咀嚼音すらも、どこか無機質だ。

「……で?」

 アリアは、目の前の白いブロックを、道端に落ちている犬の糞でも見るような目で睨んだ。

「味は? ソースは? 付け合わせは?」

「味? ふむ、そんな不確定な要素は排除した」

 ギルベルトは平然と答える。

「味覚による『好き嫌い』は、栄養摂取の効率を落とすノイズだ。甘味に溺れれば病になり、辛味を求めれば胃を荒らす。

 『無味』こそが、最も効率的で、最も平等で、最も美しいのだよ」

 ギルベルトの言葉を聞いた瞬間、アリアの表情から一切の感情が消え失せた。

 彼女は、ゆっくりとブロックを指先でつまみ上げ、匂いを嗅ぐ。

 ……薬品の匂い。

 そして、徹底的に消毒され、漂白された「虚無」の匂い。

 そこに「作った者の愛情」や「食べる者への心遣い」など、一欠片も存在しない。

 パキッ。

 アリアは、それを指先で粉々に握りつぶした。

「……ふざけていますの?」

 パラパラと、白い粉がテーブルに散らばる。

「これは食事ではありません。ただの『燃料エサ』ですわ」

 アリアの声が、絶対零度の冷気を帯びて部屋の空気を凍らせる。

「貴方は、国民を『家畜』か『機械』だと思っているのですか?

 食べる楽しみ、素材への感謝、美味しいものを食べた時の、心が震えるような幸福……。

 それら全てを奪って、ただ『死なないように機能させる』ためだけの粉の塊。

 ……美食家として、これ以上の侮辱はありませんわ」

4.効率と混沌のイデオロギー

「侮辱? 違うね、これは『進化』だ」

 ギルベルトは、アリアの怒りを予期していたかのように、薄く笑った。

「君の国(王国)を見たまえ。『美食』だの『伝統』だのに固執し、飢饉に怯え、食料を巡って争っている。

 『美味しい』『不味い』という個人の感情に振り回され、妬みや差別を生み出し、自滅しかけていたではないか。

 感情などという不安定な『雑味』があるから、人間は不合理な苦しみを背負うのだ」

 ギルベルトは立ち上がり、窓の外、眼下に広がる帝都を指差した。

「見ろ、この整然とした街を。

 ここでは、私が全ての感情を管理している。

 不要な『苦悩』は回収してエネルギーに変え、必要な『幸福』は配給する。

 食糧問題も、この完全栄養食で解決した。

 ここには飢餓もなければ、争いもない。誰もが均一に満たされている。

 これこそが、人類が到達すべき『理想郷ユートピア』ではないか?」

 宰相の主張は、ある意味で完璧な論理だった。

 感情を排除し、効率を突き詰めれば、確かに争いはなくなる。悲しみもなくなる。

 だが。

「……ふわぁ」

 アリアは、扇子で口元を隠し、あからさまな欠伸(あくび)をした。

「な……?」

 ギルベルトの眉が、ピクリと動く。

「効率、管理、安定……。ああ、聞いているだけで味がしませんわ。

 貴方の理想郷は、まるで『プラスチックの造花』です。

 枯れないし、水もいらないし、虫もつかない。合理的でしょうね。

 ――でも、香りもしなければ、蜜も出ない。ただそこに在るだけのゴミですわ」

 アリアは立ち上がり、ギルベルトを真正面から睨み据えた。

「そんな味気ない世界で、死んだように長生きするくらいなら、私は毒入りのフグを笑って食べて死んだほうがマシですわ!

 いいですか、工場のオーナーさん。

 人間は、不合理で、感情的で、だからこそ煮込めばコクが出て『美味しい』のです。

 貴方のやっていることは料理ではありません。ただの『標本作り』です!」

5.宣戦布告と前菜の終わり

「……交渉決裂か。残念だよ」

 ギルベルトは、手元の黒い液体を一息に飲み干した。

 アリアの鼻が、その液体から漂う「高純度濃縮呪い(感情抑制剤)」の匂いを捉える。彼自身もまた、何かを押し殺しているのだ。

「君のような『特異点』なら、私の崇高なレシピを理解できると思ったのだが。

 ……やはり、君も『旧人類』の劣ったサンプルに過ぎないか」

 ギルベルトがパチン、と指を鳴らす。

 瞬間、部屋の空気が変わった。

 ウィィィン……ガシャン!

 壁の純白のパネルが反転し、無数の銃口と、魔法を無効化する「魔導阻害装置」が出現する。

「ガレオス! エルネスト!」

 アリアが叫ぶより早く、二人の従者は動いていた。

「させん!」

 ガレオスが巨大な円卓を蹴り上げ、空中で回転させて銃撃の盾にする。

 ダダダダダッ! 乾いた銃声が響き、テーブルの裏側が蜂の巣になる。

「魔力干渉波を確認! ですが、私の術式までは解析できていないようです!」

 エルネストが独自のルーン文字を展開し、局所的な防御結界を構築。阻害波を中和し、アリアを守る空間を確保する。

「ほう。王国の『道具』にしては、なかなか優秀だ。私の計算よりコンマ数秒、反応が速い」

 ギルベルトは余裕の表情を崩さないまま、部屋の奥、隠し扉の方へと後退する。

「だが、今日のところは帰りたまえ。

 君たちには、特別な『メインディッシュ』を用意する必要があるようだ。私の手料理ではないが、噛みごたえはあると思うよ」

 床が抜け、ギルベルトの姿が闇へと消える。

 それと入れ替わるように、天井のハッチが開放され、巨大な影が投下された。

 ズゥゥゥン!!

 白い床を粉砕し、蒸気を噴き上げて立ち上がったのは、先程の合成獣とは違う。

 無駄を一切排除した、殺戮のためだけのフォルムを持つ、巨大な機械蜘蛛――帝国の対魔導決戦兵器だった。

「……逃げましたわね、三流料理人」

 アリアは、落下してきた機械兵器を見上げ、獰猛に、そして華麗に笑った。

「いいでしょう。

 貴方の作った『完全栄養食エサ』がどれほど不味いか。

 そして、私の『暴食』がどれほど貴方の計算を狂わせるか……。

 この国全体を使って、教えて差し上げますわ!」

 アリアの手が、機械兵器の放つ「殺意プログラム」を掴むように虚空を握る。

 招待状インビテーションは破り捨てられた。

 これより始まるのは、帝国の「管理社会」と、アリアの「美食道」を懸けた、全面戦争である。


第二部 第二十二話 完


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