(第十七話∶エピローグ)『別腹のデザートと、人工甘味料の招待状』
1. 満腹を知らない胃袋
王都を覆っていた「解呪不能の霧」が晴れ渡り、太陽の光が降り注いでから、三日が過ぎた。
王宮のテラスでは、穏やかな午後のティータイムが開かれていた。
「……それで、アリア。身体の具合はどうだ」
国王アウレリウスが、ぎこちない手つきでティーカップを置く。かつての「氷の仮面」は溶けていたが、十年分の「父親の空白」はすぐには埋まらないらしい。
その背後には、以前よりも少しだけ背筋が伸びたガレオスと、何やら分厚い魔道書(アリアの行動記録)を書きなぐっているエルネストが控えている。
平和な光景。
「王家の業」という特大のフルコースを完食したアリアは、さぞ満足して微睡んでいる――
と、誰もが思っていた。
「……足りませんわ」
アリアが、空になったケーキ皿をフォークでカチャカチャと鳴らしながら、不機嫌に呟いた。
「は? 足りない?」
国王が目を丸くする。
「王家の『業』だぞ? 数百年の『哀しみ』と『愛』だぞ? あれだけの量を平らげて、まだ……」
「陛下」
アリアは、真剣な眼差しで父を見つめた。
「フルコースを食べた後に、ラーメンが食べたくなる現象をご存じなくて?」
「知らん」
アリアは深い溜息をついた。
確かに、あの「最後の晩餐」は最高だった。母の愛は温かく、父の哀しみは濃厚だった。
だが、美食家の業とは恐ろしいもの。
「最高に美味しいもの」を食べた瞬間、舌が肥え、胃袋が拡張され、さらなる「未知の味」を求めて疼き出してしまうのだ。
(ああ、口寂しい……。何か、もっと刺激的な……ガツンとくる『ジャンク』な味が欲しいですわ……)
アリアが、極めて贅沢な悩みを抱えていた、その時だった。
2. 空から降る「無機質」な予兆
キィィィィィン……!
突然、王都の上空から、鳥の鳴き声とは違う、耳障りな金属音が響き渡った。
ガレオスが即座に反応し、テラスの端へ走る。
「敵襲か!? いや……鳥? 金属の……?」
空から舞い降りてきたのは、生き物ではなかった。
真鍮と歯車で構成された、不気味な「機械仕掛けの鷹」だった。
その鷹は、テラスの手すりにガシャンと着地すると、その口から一通の「黒い封筒」を吐き出し、煙を上げて機能を停止した。
「……なんだこれは。魔道具? いや、我が国の技術ではない」
エルネストが警戒しながら封筒を検分する。
「封蝋に刻印されているのは……西の大国、『ガレリア帝国』の紋章です」
「帝国だと?」
国王の顔が険しくなる。魔法文明を否定し、機械技術と「人造魔導」で急成長を遂げている軍事国家だ。
だが、アリアの反応は違った。
彼女は、テーブルに置かれたその「黒い封筒」を、ハンカチで鼻を押さえながら、汚物を見るような目で見下ろしていた。
「……臭っ」
アリアが顔をしかめる。
「なんですの、この『安っぽい』匂いは」
「匂い、ですか?」
「ええ。第十四話の『王家のスパイスラック(自然結晶)』とは真逆ですわ。
化学調味料と、防腐剤と、着色料をぶちまけたような……
生理的に受け付けない、**『人工的な甘ったるさ』**がします」
アリアは、封筒に手を触れずに「鑑定」する。
そこから漂うのは、人間が自然に抱く「感情」ではない。
何者かが、実験室でフラスコを振って無理やり合成したような、歪で、均一で、大量生産された――**「人造の呪い(インスタント・カース)」**の匂いだった。
3. 『美食家』への挑戦状
国王が慎重に封筒を開く。
中に入っていたのは、招待状だった。
『親愛なるイシュベリア王国へ。
貴国の「呪い」が晴れたことを祝し、我が帝国の「新技術発表会」へ招待する。
そこでは、**「人間を幸福にする、完璧なスープ」**を披露する予定である』
「人間を幸福にするスープ……?」
ガレオスが訝しむ。
だが、アリアは鼻で笑った。
「嘘ですわね」
「嘘?」
「ええ。この手紙のインク自体が、『虚栄心』と『欺瞞』の合成着色料で書かれていますもの。
それに……」
アリアは、西の空――帝国の方向を睨みつけた。
彼女の超人的な嗅覚が、遠く離れた地から漂う、とてつもなく巨大な「腐臭」を捉えていた。
「向こうから、『焦げ付き(失敗作)』とは違う……もっと質の悪い、『腐敗すらしないプラスチック』のような匂いがします。
あちらの料理人は、どうやら『食材(人間)』を、ただの『数字』か『燃料』としか思っていないようですわ」
アリアの瞳が、爛々(らんらん)と輝き始める。
それは、未知の「ゲテモノ料理」を前にした、怖いもの知らずの挑戦者の目だった。
「……面白いですわね。
『天然素材(王家の業)』の次は、『化学合成食(帝国の野望)』ですか。
ジャンクフードにしては、随分と脂っこそうですけれど」
アリアは立ち上がり、ドレスの裾を翻した。
「父君。支度をなさい。
『食後の運動』には、ちょうど良さそうな相手ですわ!」
4. 影の「捕食者」
――同時刻。西のガレリア帝国、帝都の摩天楼。
ガラス張りの高層室で、一人の男がワイングラスを傾けていた。
そのグラスの中身は、ワインではない。
ドロドロとした、黒い液体――濃縮された「高純度の呪い」だった。
「……ほう」
男は、遠見の水晶に映る、王都で笑うアリアの姿を見て、薄い唇を歪めた。
「イシュベリアの『呪い喰らい』……。
『王家の業』ごときを完食するとは、なかなかの『悪食』だ」
男は、手元の黒い液体を、一息に飲み干した。
アリアが「不味い」と吐き捨てるであろうその「人工的な呪い」を、彼は至福の表情で味わう。
「だが、残念だ。彼女は『味』にこだわりすぎている。
呪いとは、味わうものではない。『摂取』し、『効率化』するものだ」
男の背後には、ガラスのシリンダーに入った、無数の「人間」たちが並んでいる。彼らは皆、管に繋がれ、幸福そうな顔で眠りながら、絶えず「感情エネルギー」を吸い上げられていた。
それは、アリアの「厨房」とは対極にある、「感情の養殖場」だった。
「来たまえ、アリア・フォン・イシュベリア。
君という『天然記念物』は、我が帝国の『究極のスープ』の、最後の『隠し味』になるだろう」
男――帝国の宰相であり、もう一人の「異質の捕食者」は、空になったグラスを握りつぶした。
パリンッ。
その音は、新たな「食卓(戦場)」の開幕を告げるゴングのように、冷たく響き渡った。
【第一部 完】
【第二部『人造のフルコースと鋼鉄の美食家』へ続く】




