(第十六話)『最後の晩餐(ラストサパー)と第六の味(うまみ)』]
1. 「お客様」の覚醒
ドクンッ!!!!
地下聖堂の「お客様」――『石化した心臓(孤独なシェフ)』が、激しく脈打った。
先ほどアリアたちが作り上げた『コンソメ・ロワイヤル(王のスープ)』。それは「歓喜(甘み)」「怒り(辛味)」「怠惰(脂身)」といった「呪い(食材)」を、国王の「哀しみ(一番出汁)」でまとめ上げた、この世に存在しなかったはずの「料理」だった。
「石化した心臓」の表面に、閉じていた「まぶた」のような亀裂が、ゆっくりと、ゆっくりと開き始める。
「飢え」と「孤独」しかなかった「厨房」に、ついに「お客様」が、目覚めたのだ。
(……! この『香り』は……なんだ……?)
「お客様」の意志が、歓喜とも困惑ともつかない「思念」となって、聖堂全体に響き渡る。
(……『食材(呪い)』の匂いだ。だが、『焦げ付いて(失敗作に)』いない……?
『哀しみ(塩)』が、『怒り(辛味)』を、『歓喜(甘み)』を、包み込んでいる……?
……食べたい)
「お客様」の、何百年もの間、誰にも届かなかった「純粋な食欲」が、アリア、国王、ガレオス、エルネストの四人に、痛いほど伝わってきた。
「……ふふ」
アリアは、その光景に、美食家として最高の笑みを浮かべた。
「エルネスト! ガレオス!」
「はっ!」
「『お客様』が、『アペタイザー(前菜)』の香りで、ようやくお目覚めになりましたわ!
急いで! 『デザート』の仕上げにかかりますわよ!」
アリアは、先ほど霊廟で手に入れた、母イザベラの『愛(Umami)』の結晶を、誇らしげに掲げた。
2. 奇想天外な「配膳」
「ガレオス、エルネスト! 『コンソメ・ロワイヤル』を、そちらの『器』へ!」
アリアが指差したのは、祭壇そのものだった。
二人の「スー・シェフ」が、「調理」したばかりの黄金色の『コンソメ(概念のスープ)』を、祭壇(器)へと移していく。
「アリア様……しかし」
エルネストが、最大の問題点を口にする。
「『お客様』は、どうやってこれを『召し上がる』のですか? あの『心臓』に、物理的に『かける』のでしょうか?」
「愚か者」
アリアは、心底呆れた顔でエルネストを一瞥した。
「そんな『無作法』なことをして、万が一『スープ』がこぼれたらどうするのです。
『お客様』は、『孤独なシェフ』。私たちと同じ『美食家』。
ならば、『礼儀』を尽くすのは当然ですわ」
「礼儀……?」
「ええ。
この『お客様』は、建国の王そのもの。この『厨房(王都)』の『大元』。
そして、私たち王家は、その『分身』。
……つまり」
アリアは、奇想天外な「配膳方法」を宣言した。
「私たちが『食べる』ことで、『お客様』も『味わう』ことがおできになるのです」
3. 「一番出汁」の味見
「……私たちが、食べる?」
ガレオスとエルネストには、意味が分からない。
「正確には、私と、『一番出汁』の『原材料』である、このお方ですわ」
アリアは、先ほど『美食問答』によって「解凍」され、未だに娘の行動を呆然と見守る国王アウレリウスに向き直った。
「さあ、父君」
アリアは、龍脈の力で光り輝く『コンソメ・ロワイヤル』を、かつて商会長の『強欲』を味わった時と同じ、白銀の「スプーン」でそっとすくい上げ、国王の口元に突き出した。
「『味見』の時間ですわ。
貴方ご自身の『哀しみ(一番出汁)』が、王都の『呪い(食材)』と合わさって、どのような『味』になったのか、お確かめなさい」
「私、が……これを……」
国王は、戸惑った。
目の前のスープは、自分が何十年も「氷」で凍らせてきた「哀しみ」と、国中の「呪い」の塊。
常人ならば、一口で発狂する代物だ。
「何をためらっているのです」
アリアの冷徹な声が響く。
「貴方は、母の『レシピ(遺言)』に従い、私に『出汁』を託すと決めたのでしょう?
『料理人』が、自分の『出汁』の味も確認しないで、どうやって『お客様』に料理を出すのですか!」
「……」
国王は、観念した。
彼は、娘の「調理器具」として、その「スプーン」を受け入れた。
黄金色の『コンソメ』が、国王の舌に触れた、瞬間。
「――ッ!!!」
国王の全身を、雷が貫いた。
「哀しみ」の味ではない。
「呪い」の味でもない。
それは、「歓喜」と「怒り」と「怠惰」と「哀しみ」……その全てが、完璧なバランスで調和した、生まれて初めて味わう『旨味』の奔流だった。
「ああ……イザベラ……。
これか、君が言っていた『一番出汁』とは……。
『哀しみ』は、苦いだけでは、なかったのだな……」
国王が、自らの「哀しみ」の「本当の味」を知り、再び涙を流す。
それと、全く同時に。
ドクンッ!! ドクンッ!!
『石化した心臓(お客様)』が、歓喜に打ち震えるように脈打った!
国王が「味わった」『旨味』は、龍脈を通じて、寸分違わず「お客様」の「舌」にも届いていた。
『お客様』は、何百年ぶりに、「本物の料理」を「食べた」のだ!
4. 最後の「スパイス」と「第六の味」
『コンソメ・ロワイヤル』は、見事に「お客様」の「食欲」を刺激した。
「石化した心臓」の亀裂が広がり、中から、弱々しいながらも「生きた」心臓の鼓動が聞こえ始める。
だが、まだ足りなかった。
「飢え」は癒えた。しかし、「孤独」は癒えていない。
「……ふふ。前菜と主菜は、お気に召したようですわね」
アリアは、祭壇(調理台)の最後に残った「食材」――母イザベラが遺した、桜色の『愛(Umami)』の結晶――を、そっと手に取った。
「そして、父君。
これが、母が遺した、本当の『メインディッシュ(デザート)』ですわ」
アリアは、その結晶を「鑑定」する。
(……この『味』……。
やはり、私には「食べられない」。
『甘み』でも『辛味』でも『酸味』でも『塩気』でも『苦味』でもない。
全ての味を包み込み、調和させる、第六の『味(Umami)』……)
アリアは、本能的に、母の「レシピ」の最後の一行を理解した。
「エルネスト、ガレオス。貴方たちの『調理』は、見事でしたわ。
ここから先は、私たち『家族』の仕事です」
アリアは、国王(父)の手を取る。
「父君。私が『母殺し』の大罪人かどうか、今、ここで、貴方の『舌』で確かめなさい」
アリアは、国王の手を引くと、二人で、あの『石化した心臓(お客様)』の前に立った。
そして、アリアは、母の『愛』の結晶を、
自らの「口」に含んだ。
「アリア!?」
国王が叫ぶ。「食べられない」はずの味を、アリアが!
(……熱い! 味が、しない!
でも、温かい……!
これが、母の……!)
アリアは、自らには「無味」だが「温かい」だけの結晶を口に含んだまま、
涙を流す父(国王)の「唇」に、
自らの「唇」を、そっと重ねた。
5. 「孤独」の完食
それは、「キス」ではなかった。
「料理の受け渡し」だった。
アリアの口から、国王の口へ。
母イザベラの『愛(Umami)』の結晶が、
国王の『哀しみ(一番出汁)』と、混ざり合った。
「―――ッッッ!!!」
国王の全身を、先程の『コンソメ』とは比較にならない、
「完璧な旨味」の奔流が、貫いた。
それは、イザベラが遺した「愛」と、アウレリウス(国王)が抱えていた「哀しみ」が、十数年の時を経て、ついに「再会」した瞬間の「味」だった。
そして、その「完璧な旨味」は、
アリアと国王の「唇」を通じて、
二人と繋がる『龍脈』を通じて、
『**石化した心臓(お客様)』**へと、奔流となって流れ込んだ!
ドクンッ!!!!!!
『お客様』は、ついに「食べた」。
彼が何百年も渇望し、しかし決して手に入れられなかった、たった一つの味。
『呪い(食材)』ではなく、
『孤独』を癒す、**『愛』**の味を。
パリィィィィィン!!!!
『石化した心臓』が、完全に砕け散った。
中から現れたのは、呪いでも、業でもない、
建国の王の、安らかな「魂」の光だった。
「孤独なシェフ」の「飢え」と「孤独」は、
アリアという「本物の美食家」が、
家族全員で作った「最後の晩餐」によって、
完璧に、**「完食」**されたのだった。
第十六話 完




