(第十四話)『王家の(ロイヤル)スパイスラックと母の置き手紙(レシピ)』
1. 「一番出汁」と開かれた扉
ゴゴゴゴゴゴ…………
地下聖堂に、重く、厳かな地響きが満ちる。
アリアが「解凍」した国王の「極上の塩(哀しみ)」。
その「味」に応えるかのように、第十二話でアリアの「支配権」をもってしても開かなかった「開かない扉(霊廟)」が、数百年ぶりにその封印を解いていく。
「……イザベラ」
国王アウレリウスは、第十三話で崩壊した「氷(無味)」の仮面を取り繕うことも忘れ、ただ呆然と、流れ落ちる自らの「涙(塩)」と、開かれていく扉を見つめていた。
王として生きてきた男が、アリアという「本物の美食家」の「強制試食(美食問答)」によって、ただ一人の「人間」に戻された瞬間だった。
(……美味しい)
アリアは、その国王から立ち昇る「一番出汁(純粋な哀しみ)」の、芳醇な「香り(オーラ)」を吸い込み、うっとりと目を細めた。
これこそが、彼女がこの「厨房(王都)」で、ずっと探し求めていた「味」だった。
「さあ、父君」
アリアは、もはや「不味い氷菓」ではない、最高の「食材」となった父に、傲慢な美食家の笑みで手を差し伸べる。
「いつまでも泣いていては、『出汁』が煮詰まってしまいますわ。
――私と母の、『最後の晩餐』へようこそ」
国王は、差し出された娘の手を、震える手で掴んだ。
アリア、国王、そして「調理器具」として二人の後方に控えるガレオスとエルネストは、開かれた「霊廟」の闇へと足を踏み入れた。
2. 王家の「スパイスラック」
彼らが入った瞬間、霊廟の内部が、まるで呼吸を始めたかのように淡い光を放ち始めた。
そこは、王家の墓所という陰鬱な場所ではなかった。
「……これは」
エルネストが、魔術師としての知的好奇心に息を呑む。
壁一面が、龍脈の魔力によって生成された、無数の「結晶」で覆い尽くされていたのだ。
第十一話の「貯蔵庫」にあったのは、『怒り』や『絶望』といった、「呪い(負の食材)」の原材料だった。
だが、ここは違う。
アリアは、壁に生える、赤く輝く結晶にそっと触れた。
(……この『味』は……『勇気』?)
隣の青い結晶に触れる。
(これは、『忠誠』……)
さらに奥の、黄金の結晶。
(……『慈愛』……)
アリアは、美食家として、生まれて初めての「混乱」に陥っていた。
(……味が、薄い?
いいえ、違う。これらは、「呪い(美食)」ではない。
だからといって、聖教会の「信仰(無味)」でもない。
これは……『味付け(調味料)』?
……そうか。ここは、『王家のスパイスラック』ですのね)
これこそが、この世界の「理」の、もう一つの側面だった。
アリアが「美食」として喰らってきた「呪い(負の感情)」とは別に、「祝福(正の感情)」もまた、この世界に「スパイス」として結晶化していたのだ。
だが、その「スパイス」は、アリアの「舌」では「調理」できない、未知の領域だった。
3. 「母」の置き手紙
「……イザベラ」
国王が、何かに引かれるように、霊廟の最奥へと歩みを進める。
ガレオスとエルネストも、息を詰めて後に続く。
最奥。
そこには、棺はなかった。
ただ、簡素な石の台座が一つあるだけ。
そして、その台座の上には、二つの「置き手紙」が遺されていた。
一つは、一通の封蝋された「手紙」。
もう一つは、アリアの母イザベラの「魂」そのものが凝縮されたかのような、淡い桜色に輝く、涙の形をした「結晶」だった。
国王が、震える手で「手紙」を手に取る。それは、彼――国王アウレリウス――に宛てられたものだった。
> 『陛下へ。
> 貴方がこの手紙を読んでいるということは、貴方は、貴方自身を閉じ込めていた『氷』を、あの子――アリアが『解凍』してくれたのですね。
> ……ありがとう、アリア。さすがは、私の『本物の美食家』
> 陛下。貴方は、私を失った『哀しみ(塩)』を、王の責務という『氷』で封じ込めました。
> でも、それは間違った『調理法』です。
> 『哀しみ』は、消すものでも、凍らせるものでもありません。
> それは、料理の味を決定づける、最も大切な『一番出汁(旨味)』なのですから
> どうか、その『出汁』を、アリアに託してください。
> それが、貴方が背負うべき、本当の『王の責務』です』
>
国王は、手紙を握りしめ、嗚咽を漏らした。
彼が「氷」で押さえつけていた「哀しみ(塩)」は、イザベラの「愛」によって、「旨味(出汁)」へと昇華された。
4. 奇想天外な「メインディッシュ」の正体
アリアは、その「手紙」には目もくれず、もう一つの「置き手紙」――桜色の「結晶」――に、吸い寄せられていた。
彼女は、それを恐る恐る手に取る。
その瞬間。
アリアの「舌」が、生まれて初めて、第十一話の「貯蔵庫」にも、この「スパイスラック」にもなかった、
「歓喜(甘み)」でも「怒り(辛味)」でも「哀しみ(塩気)」でも「絶望(酸味)」でもない、
すべての味を包み込み、調和させる、**第六の「味」**を感知した。
(……これは……
『愛(Umami)』……?)
それは、アリアが「呪い(美食)」として「食べる」ことができない、唯一の感情。
聖教会の「信仰(無味)」とは対極の、あまりにも豊潤で、温かい「味」。
彼女は、本能的に理解した。
母イザベラは、アリアの「呪い喰らい」の体質(負の感情しか食べられない)を知った上で、
アリアでは調理できない「正の感情(愛)」だけを、この結晶として、アリアのために「遺して」くれたのだ。
――これこそが、母イザベラの「本当のリクエスト(※第十三話参照)」の、真の目的だった。
アリアは、戦慄した。
そして、歓喜した。
彼女は、ついに「厨房」の全てを理解したのだ。
「……そういうことでしたのね、母」
アリアは、桜色の「結晶(母の愛)」を握りしめ、振り返る。
その先には、地下聖堂の「貯蔵庫」で、今もなお弱々しく脈動する、「石化した心臓(孤独なシェフ)」がある。
ガレオスとエルネストは、アリアが何をしようとしているのか、まだ理解できない。
「アリア様……? それが……」
「ええ、分かってしまいましたわ」
アリアは、美食家として、最高の「レシピ」が完成した喜びに打ち震えていた。
「あの『孤独なシェフ(石化した心臓)』は、『食材(呪い)』を『調理』できずに、『飢え』で石化してしまった(※第十一話参照)。
彼は『食べる』専門の、私と同じ『美食家』だった。
ですが、彼には『調理』ができなかった」
アリアは、涙を流し続ける「国王(父)」を見る。
「ここに、最高の『一番出汁(父の哀しみ)』がありますわ」
そして、手の中の「桜色の結晶」を見る。
「ここに、すべての味を調和させる、奇跡の『スパイス(母の愛)』がある」
アリアは、ガレオスとエルネストに向かって、グランシェフとして、本当の「調理」を宣言した。
それは、読者の予想(王都を浄化する)を、遥かに超えたものだった。
「二人とも、聞きましたわね!
『メインディッシュ(石化した心臓)』は、『食べる』ものではありませんでした!
あれは、私たちが『料理』を『食べさせる』べき、たった一人の『お客様』でしたのよ!」
5. 「最後の晩餐」の始まり
アリアの奇想天外な宣言に、ガレオスもエルネストも、そして国王さえもが、言葉を失う。
アリアの目的は、「王家の業」を「浄化」することでも、「食べる」ことですらなかった。
「孤独なシェフ」に、**「本物の美食家」が作った、「最高の料理」を食べさせ、その「飢餓」と「孤独」を、根本から癒す(完食させる)**ことだったのだ。
「エルネスト!」
「は、はい!」
「『貯蔵庫』から、最高の『歓喜(甘み)』と『怒り(辛味)』の『原材料』を用意なさい! 『スープ』と『ポワソン』を作ります!」
「ガレオス!」
「御意!」
「貴方には、王都中の『怠慢(脂身)』を『再調理』してもらいますわ! 『ヴィアンド(肉料理)』よ!」
そして、アリアは、国王(父)に向き直る。
「そして、父君。
貴方には、『**出汁(哀しみ)』**を、
私と母の『メインディッシュ(愛)』と合わせて、
最後の『デザート』を仕上げてもらいますわよ」
アリアは、石化した心臓――「たった一人のゲスト」――に向かって、
最高の笑みを浮かべた。
「さあ、
――私たちの、『最後の晩餐』の、本当の始まりですわ!」
第十四話 完




