(第十三話)『氷菓(ひょうか)の解凍(デフロスト)と二つの食卓』
1. 「氷」の鑑定と「調理器具」の無力
「――まずは、貴方という『最悪に不味い氷菓(無味)』を、
この私の『厨房』で、じっくりと『解凍(調理)』して差し上げますわ!」
アリアの、グランシェフとしての高らかな「調理」宣言。
玉座の真下の地下聖堂は、にわかに緊張に満ちた「食卓」と化した。
国王は、娘の奇想天外な宣言に対し、仮面のような「無味」な表情を一切崩さない。
ただ、その瞳の奥で、「王家の血」にのみ反応するはずの「厨房(龍脈)」の制御権が、完全にアリアに移っている事実を、冷静に分析していた。
「……アリア」
国王が、感情の「味」を一切含まない声で告げる。その声は、この広大な空間で反響することなく、重く落ちた。
「貴様の『力(呪い)』が、『業』のそれを上回ったと見える。
だが、秩序は秩序だ。貴様は『母殺し』の大罪人。
オスカーの言葉通り、塔へ戻れ。それが王命だ」
「陛下!」
ガレオスが、アリアを庇うように一歩前に出た。第十話でアリアの「原罪」を聞いた時の動揺は、もはやない。彼にとっての「主」はただ一人だった。
「アリア様は、聖教会という『害獣』を排除し、瘴気獣という『失敗作』を鎮められた! 国を救ったのです!」
「そうだ、ガレオス。そして彼女は、我々が知り得なかった『真実』をも解き明かした」
エルネストも、国王の「無味」なオーラに怯むことなく、アリアの「調理器具」としての立場を明確にする。
だが、国王は二人を、まるでテーブルの上の「飾り(食器)」でも見るかのように、冷ややかに一瞥した。
「騎士団長と魔術師長が、揃って『道具』に堕ちたか。
良いだろう。その『道具』ごと、貴様を『廃棄』する」
瞬間。
国王のオーラが、第十話のオスカー(氷の箸)とは比較にならない「絶対零度」の「氷」と化した。
空気が凍りつき、脈打っていた龍脈の光さえもが鈍くなる。
「「ぐ……っ!」」
ガレオスとエルネストは、その「王の威光(無味なる重圧)」の前に、剣を抜くことも、魔術を詠唱することもできない。
それは物理的な拘束ではない。王という「秩序」そのものが、彼らの「役割(騎士道や探究心)」を、根源から「無意味」だと否定する、精神的な金縛りだった。
(……やはり、そうですわね)
アリアは、その光景を冷静に分析していた。
(ガレオス(剣)も、エルネスト(魔術)も、素晴らしい『調理器具』。
ですが、彼らは『食材(呪い)』を『調理』するための道具。
この『氷菓(国王)』のような、**『無味』で、『食材』であることを放棄した『完成品()』**には、刃が立たない)
ここは、二人の「調理器具」が通用しない、「アリア個人の厨房」だった。
2. 読者の予想を裏切る「調理法」
「……二人とも、下がっていなさい。
これは、**『料理長』同士の、『美食問答』**ですわ」
アリアは、金縛りを解かれたガレオスとエルネストを下がらせ、たった一人で「氷菓の王」と対峙する。
(さて。どう『調理』したものかしら)
アリアは、目の前の「最悪に不味い食材」を鑑定する。
分厚い「氷(王の責務)」の鎧。その下にある、強固な「真空パック(感情の放棄)」。
そして、その中心の、黒く凍りついた「芯(極上の塩=哀しみ)」。
(「批評(※第五話)」? いいえ、この『氷』は、言葉(批評)を弾き返す)
(「お説教(※第四話)」? 「無味」な相手には、暖簾に腕押し)
(「食べる(※第六話)」? こんな『不味い氷』、一口でも口にしたら、私の舌が壊死してしまいますわ)
国王は、動かない。
ただ、「塔へ戻れ」という「無味」な意志を放ち続ける、完璧な「氷像」だ。
(……なるほど。
この『氷』を溶かすには、外からの『熱』では足りない。
この『氷』の内部……凍結させられた『極上の塩(哀しみ)』に、直接『味』を思い出させるしかありませんわね)
アリアは、奇想天外な「調理法」を選択した。
それは、「説得」でも「戦闘」でも「批評」でもない。
「味の対比(カウンター・ディッシュ)」だった。
3. 「調理」の実行――感情のフルコース
「……仕方ありませんわね」
アリアは、ふぅ、と溜息をつくと、以前に掌握した「厨房(龍脈)」の「貯蔵庫」にアクセスした。
「父君。貴方が『王の責務』という『氷』で、『美食』を忘れてしまったというのなら。
この私が、今、ここで、『人生のフルコース』を再現べて差し上げますわ」
「……何を」
国王の「氷」の仮面が、初めてわずかに揺らぐ。
「まずは、『歓喜』!」
アリアは、貯蔵庫から、純度100%の『歓喜(甘み)』のオーラ(原材料)を、自らの体に「強制的に憑依(味見)」させた。
次の瞬間、アリアは、まるで初めて飴玉を与えられた子供のように、その場で恍惚とくるくると踊り出した。
「ああ! 美味しい! なんて甘美なのでしょう! 生きているとは、こういう『味』ですわ! ねえ、父君! 貴方には、この『味』が分かりますの!?」
「……」
国王の「氷」は、揺るがない。
(……甘い。子供だましだ。そんな感情は、国を支えられぬ)
「チッ……。次は『怒り(ポワソン)』!」
アリアは「歓喜」を捨て、**あの暗殺者たちの「スパイス(殺意)」**にも似た、純粋な『怒り(辛味)』を纏う。
彼女の瞳が、憎悪で燃え上がる。
「許せない! なぜ貴方は『無味』なのですか! 『味』を隠すな! 『美食』から逃げるな! この卑怯者ッ!」
「……」
国王の「氷」は、まだ溶けない。
(……辛い。無意味だ。怒りは理性を麻痺させ、国を誤らせる)
「……そう。それも、届かないのですね」
アリアの表情から、「怒り」が消える。
彼女は、この「氷菓」の「芯」に届く味が、もはや一つしかないことを悟っていた。
そして、最後に、彼女は最も純粋な『絶望(酸味)』と『哀しみ(塩気)』を、自らの魂に纏わせた。
アリアは、その場に、ゆっくりと泣き崩れた。
それは「演技」ではない。
少し前に手に入れた「厨房」の貯蔵庫にある、何百年分もの「哀しみ」の奔流を、その身に受け止めたのだ。
「食材(呪い)」の味を、完璧に「再現」しているだけだ。
「……寒い」
アリアは、自分の両腕を抱きしめる。
塔の記憶が蘇る。
「……塔は、寒かった。
ずっと、ずっと『無味』だった。
『美味しい』ものが、どこにもなかった。
……父君。」
アリアは、涙に濡れた顔を上げ、「氷」の仮面をつけた父を見上げた。
「貴方も、今……ずっと、寒いのですね……」
4. 「氷」の亀裂と「本当のリクエスト」
アリアが「哀しみ(絶望)」に共鳴し、「寒い」と呟いた、その瞬間。
ピシ……
国王の「氷(無味)」の仮面に、初めて、明確な「亀裂」が入った。
「歓喜」でも「怒り」でもない。
彼が最も恐れ、最も奥深くに封印した「哀しみ」の味が、アリアの「再現」によって強制的に呼び覚まされた。
国王の脳裏に、アリアの母が「リクエスト」した、あの日の光景が蘇る。
「呪い」によって衰弱し、死の淵にいた最愛の妻。
(イザベラ……! なぜだ! なぜ、私の『力(王家の業)』を拒絶する! それがあれば、お前を……!)
(いいえ、陛下。貴方の『業』は、あまりに『不器用』で、『孤独』すぎる……。貴方は、私の『病』も『苦しみ』も、『調理』できずに焦がしてしまうわ)
(では、どうしろと!)
(……あの子がいます)
(アリア……? あの『呪い喰らい』の娘がか!)
(ええ。あの子は、貴方と違う。……あの子は、『本物の美食家』よ)
国王は、見ていたのだ。
幼いアリアが、母の「呪い」と「苦しみ」を、「美味しい」と涙を流しながら「完食」する瞬間を。
(……見なさい、陛下。あの子は『呪い』を『救い』に変えた。
……でも、貴方は、これから『王の責務』という『氷』で、私を失った『哀しみ』を凍らせてしまう。
それでは、貴方は『無味』になってしまうわ。
……だから、お願い。
いつか、あの子が、貴方の『氷』を溶かす『美食』を見つけた時……
今度は、貴方が、あの子に……)
――母イザベラの「本当のリクエスト」。
それは、アリアに自分を「食べさせる」ことではなかった。
アリアに、いつか「父(国王)」を「調理」させることこそが、彼女の最後の「レシピ」だったのだ。
5. 「解凍」の始まり
「……イザベラ」
国王の「氷」の仮面が、音を立てて崩れ落ちた。
堰を切ったように、彼が十年以上、王の責務(氷)で押さえつけていた「極上の塩(哀しみ)」が、涙となって一筋、頬を伝う。
「……君は、そこまで……見通して……」
アリアは、その一筋の「涙(塩)」の「味」を、舌なめずりして「鑑定」し、
そして、満足げに微笑んだ。
「ええ。
やっと『氷』が溶けて、『一番出汁』が染み出してきましたわね」
国王の「哀しみ」が解放された、その瞬間。
アリアが睨んでいた、聖堂の奥にある「開かない扉(霊廟)」が、
ゴゴゴゴゴゴ…………
と、重い音を立てて、ゆっくりと開き始めた。
アリアの「血」と、国王の「解凍された感情(血)」、その二つが揃い、鍵が開いたのだ。
「さあ、父君」
アリアは、泣き崩れた「哀しみ」の演技をすっかりと解き、いつもの傲慢な美食家の笑みに戻って、涙を流す父に手を差し伸べる。
「これからが、『本番』ですわ。
――私と母の、『最後の晩餐』へようこそ」
第十三話 完




