(第十一話)『孤独な厨房(キッチン)と失敗したレシピ本』
1. 氷の箸の残滓
「……ご挨拶、痛み入りますわ、『先輩』」
アリアの、獰猛なほどに歓喜に満ちた声が、王宮の隠された中庭に響く。
以前の(※第九話)「無味なる害獣(聖教会)」を『厨房』から叩き出した彼女の目には、今や「メインディッシュ(王家の業)」しか映っていない。
足元では、漆黒の霧の触手が、彼女を「招待」するように地下への階段を示している。
そして、その霧に拘束されたまま、近衛騎士団長オスカーが「氷の忠誠」のオーラを乱し、信じ難いものを見る目でアリアを睨んでいた。
「……アリア・フォン・イシュベリア。貴様……『業』と対話しているのか?」
「対話? いいえ」
アリアは、拘束されたオスカーを一瞥した。その目は、もはや彼を「敵」とも「障害」とも認識していない。ただの「道具」を見る目だった。
「『私の料理が、私の邪魔をする道具を片付けてくれた』。ただ、それだけのことですわ。
貴方という『氷の箸』は、食材(真実)の味を理解する気がなかった。だから、『孤独なシェフ(王家の業)』自ら、貴方を『食器棚』に戻したのです」
「アリア様……」
アリアの背後で、ガレオスが剣を握りしめたまま、(※第十話)オスカーが暴露した「真実」に動揺していた。
「……オスカーの言葉、真か。貴女は、ご自身の母親君を……その『力』で……」
「ええ」
アリアは、あっさりと頷いた。
そのあまりの平然さに、ガレオスが息を呑む。
「ですが、料理長・オスカーの『批評』は間違っていますわ。
あれは、私が『暴走』して食べたのではありません」
アリアは、あの冷たい部屋の光景を思い出す。
国王の「呪い」によって衰弱しきった母イザベラ。
そして、幼いアリアに懇願した、最後の「願い」。
(お願い、アリア。この『痛み』と『後悔』を……あの人(国王)の『呪い』ごと、私を『美味しく』食べて……)
「あれは……」
アリアは、地下へと続く暗闇に向かって、誇らしげに言い放った。
「私が生まれて初めて、『完璧な調理で応えた、最高のリクエスト・ディッシュ』ですわ」
「……狂っている」
オスカーが、忠誠(氷)の奥から絞り出す。
「狂っているぞ、ガレオス! エルネスト! 貴様らは、そんな『本物の化け物』に国を喰わせる気か!」
「化け物、か」
エルネストが、眼鏡の位置を直しながら、オスカーに冷ややかに告げた。
「近衛騎士団長。貴方が『法』という『氷』で守ろうとした王家こそが、『失敗作(瘴気獣)』を生み出す腐敗の『厨房』だった。
そして、聖教会という『害獣』が、その『厨房』の『食材』を盗み食いしていた。
我々は、化け物に従っているのではない」
エルネストは、アリアの背中を、絶対の信頼をもって見つめた。
「我々は、この国で唯一、本物の『料理長』の『調理』を手伝っているだけだ」
「御意。俺の剣は、アリア様の『厨房』を荒らす者を斬る」
ガレオスの迷いも消えた。
アリアは、三人のやり取りに満足げに頷くと、漆黒の霧が示す階段へと、一歩踏み出した。
2. 孤独な厨房と「原材料」の貯蔵庫
地下へと続く階段は、王宮の建築様式とは明らかに異質だった。
まるで、巨大な生物の食道を通っているかのように、壁がゆっくりと脈動している。
「……すごい」
アリアは、うっとりと呟いた。
空気が濃い。
地上のような「調理済み(腐敗済み)」の呪いではない。
もっと、こう……「生の食材」の匂い。
「アリア様、お気をつけを」
エルネストが魔術の光を灯し、周囲を照らす。
「この魔力……尋常ではない。第七話の瘴気獣など、ここの『余り物』にすぎない」
階段を抜けた先。
そこに広がっていたのは、玉座の真下とは思えぬ、巨大な地底空間だった。
王都の『龍脈』が、むき出しの血管のように床と天井を走り、膨大な魔力を供給している。
そして、その空間に「保管」されていたものを見て、アリアは歓喜に打ち震えた。
「……す、素晴らしい! 完璧な『貯蔵庫』ですわ!」
そこには、王都の歴史が始まって以来、人々が流してきた「負の感情」が、「原材料」として完璧な状態でストックされていた。
* 天井から鍾乳石のように垂れ下がる、青白い『**哀しみ(ソルト)』**の結晶。
* 地面の亀裂から、マグマのように沸き立つ、赤黒い『**怒り(ペッパー)』**の源泉。
* 空間を霧のように満たす、どろりとした『**絶望』**の澱み。
「見てみなさい、二人とも!」
アリアは、子供のようにはしゃぎながら、「哀しみ」の結晶を指差す。
「あの『塩気』! なんて純度が高いのでしょう!
ああ、あちらの『酸味(絶望)』も! 第七話の『失敗作(瘴気獣)』のように、焦げ付いて(苦痛が混ざって)いない!
これなら、どんな『料理』も自由自在ですわ!」
ガレオスとエルネストは、その「原材料」の放つ圧倒的なプレッシャー(呪い)に肌を粟立たせながらも、アリアの「批評」に、もはや驚かなくなっていた。彼女にとって、ここは地獄ではなく、夢の「食材庫」なのだ。
3. 「孤独なシェフ」と失敗した『レシピ本』
アリアは、その「貯蔵庫」の中心へと、吸い寄せられるように歩を進める。
そこだけが、ぽっかりと空洞になっていた。
中心には、祭壇。
だが、祭壇に祀られていたのは、神像ではなかった。
エルネストが息を呑む。
「あれは……!?」
それは、巨大な、『石化した心臓』だった。
龍脈と無数の管で繋がれ、今もなお、ドクン、ドクン、と弱々しく脈動している。
これこそが、「王家の業」の本体。
アリアが「孤独な料理人」と呼んだものの、成れの果て。
そして、その「石の心臓」の前に、一冊の古びた「本」が、光の台座に浮かぶように開かれていた。
第六話、第八話でアリアが「後味」として感じ取った、『秘密のレシピ本』。
「……これ」
アリアが、その「レシピ本」に近づく。
それは、文字で書かれてはいなかった。
建国の王が、この国を興した際に「こうあってほしい」と願った、「感情の設計図」そのものだった。
「……なるほど。これが、『先輩』の……」
アリアは、その「レシピ」を、「舌(鑑定眼)」で読み解いていく。
「……『民の苦しみ(食材)』を、すべて『王(私)』が集め(食べ)、
それを『王の威光(魔力)』』で『調理(浄化)』し、
『永遠の繁栄(完成した一皿)』を民に与える……」
ガレオスが、その高貴な「意志」に息を呑む。
「なんと……。建国の王は、民の苦しみを一身に背負おうとされたのか……」
「……ええ。志だけは、一流ですわね」
アリアは、冷ややかに言い放った。
「ですが、この『レシピ』は、根本的に間違っていますわ」
4. 厨房の明け渡し
アリアがそう断言した瞬間、
ドクンッ!!
「石の心臓」が、拒絶するように、あるいは、問い質すように、強く脈打った。
周囲の「原材料(呪い)」が、アリアたちに牙を剥こうと荒れ狂う。
「アリア様!」
ガレオスが剣を構える。
「下がりなさい」
アリアは、荒れ狂う「原材料」を、まるで騒ぐ子供をいさめるように、鋭い「美食家」の視線だけで黙らせた。
彼女は、「石の心臓」に向かって、静かに「批評」を続ける。
「いいこと、『先輩』?
貴方は、『食材(苦しみ)』を『火(魔力)』で『調理(浄化)』しようとした。
でも、『火加減』を知らなかった。
だから、第七話のように『焦げ付かせ(瘴気獣)』て、『失敗作』を生み出し続けた」
ドクン……(……)
「そして、最悪の間違いが一つ。
貴方は、『食材』を集めすぎた。
王都中の『哀しみ』『怒り』『絶望』……。
それらを、この『貯蔵庫』にため込むだけため込んで、
貴方自身が、その『膨大な食材』を前に、どう調理べていいか分からなくなり、『孤独』と『飢餓』で、自分自身が『石化(機能不全)』してしまった」
アリアの言葉が、「孤独なシェフ」の「失敗」の核心を突く。
そう。
「王家の業」とは、悪意ではない。
**あまりに強大すぎた「食欲(民への愛)」と、あまりに未熟すぎた「調理技術(魔力制御)」の果てに、自分自身の「飢え」で石化した、哀れな「美食家(の成れの果て)」**だったのだ。
「石の心臓」の脈動が、弱まる。
それは、アリアの「批評」が、真実であることを認めたかのようだった。
アリアは、その「石の心臓」を、憐れむように、あるいは、最高の「食材」を見つけたかのように、そっと手で撫でた。
「……可哀想に。お腹が空いていたのね」
アリアは、ニィ、と笑った。
第九話の「不味さ」への怒りではない。
第十話の「歓喜」でもない。
それは、最高の料理人が、最高の「厨房」を手に入れた、絶対的な「支配者」の笑みだった。
「もう、結構ですわ。『先輩』。
貴方の『レシピ』は、本日をもって『廃棄』。
この『厨房(王都)』は、これより、私アリア・フォン・イシュベリアが、料理長として引き継ぎます」
ドクン…………
「石の心臓」の脈動が、止まった。
いや、止まったのではない。
「孤独なシェフ」が、自らの「意志(調理権)」を、アリアという「本物の美食家」に、完全に「明け渡し」たのだ。
その瞬間、アリアの全身に、王都中の『龍脈』と『貯蔵庫(呪い)』の、すべての「制御権」が流れ込んできた。
彼女は、この瞬間、王都のすべての「味」を支配する存在となった。
「さあ、ガレオス! エルネスト!」
アリアは、神々しいほどのオーラを放ちながら、振り返る。
「『厨房』の大掃除の始まりですわよ!」
第十一話 完




