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(第十話)『氷の忠誠と厨房(キッチン)の招待状』

1. 無味(むみ)なる客の残滓(ざんし)

「……けっ。不味(まず)い、不味い、不味すぎますわ!」

 静寂を取り戻した旧市街区の広場。アリアは、エルネストから差し出された水で、今なお執拗(しつよう)に口をゆすいでいた。

 以前に(※第九話)口にした、司教の「偽善のカクテル」。それは、彼女の華麗なる美食家人生において、(※第四話)「自己憐憫(腐った牛乳)」とは別種の、最悪の「後味」を残していた。

「聖教会という『害獣』は処分(転移)しました。……しかし、アリア様」

 エルネストが、冷静な声で問う。

「貴女は先程、あの亀裂の奥にいる『孤独な料理人』に宣戦布告をなさいました。本気で王宮の地下へ……玉座の真下へ行かれるおつもりか」

「当たり前ですわ」

 アリアは、口を拭った布を捨てるように放り投げた。

「『害獣(聖教会)』が荒らしていた『厨房』を、このまま放置しろと? それに、」

 彼女の瞳が、暗い亀裂の奥にいる「同類(孤独なシェフ)」を思い、初めて「愉悦」以外の、ある種の共感にも似た光を宿す。

「……これ以上、あの不器用な『料理人』に、不味い『失敗作(瘴気獣)』を作らせ続けるのは、美食家(グルメ)として耐え難い。

 (わたくし)が直々に、本当の『調理法レシピ』をご教授(きょうじゅ)して差し上げねば」

「……御意」

 ガレオスが、アリアの覚悟に応え、一歩前に出た。

「俺が騎士団長の全権限を使い、王宮への道を開きましょう。たとえ、それが『国』そのものへの反逆とみなされようとも」

 彼らは知らない。

 この「料理人同士の挨拶(グリーティング)」が、アリア自身が最も「不味い」と忌み嫌う「過去(食材)」を、無理やりこじ開けることになるということを。

2. 「氷」の番人と美食家の原罪

 王宮の正門は、異様な空気に包まれていた。

 ガレオスが率いる騎士団(アリアの調理補助)とは違う、王家を直属で守護する精鋭部隊――「近衛騎士団」が、氷の壁のように立ちふさがっていた。

「ガレオス卿。貴殿の越権行為、目に余る」

 近衛騎士団を率いる長身の男――近衛騎士団長オスカー――が、温度のない声で告げた。

 彼はガレオスの同期であり、かつては共に剣を振るった戦友だったが、今は完全に道を違えていた。

「瘴気の鎮圧は結構。だが、その『魔女』を王宮に連れ込むとは、どういうつもりだ」

「オスカー! 彼女は魔女ではない! この国を救う『劇薬』だ!」

「問答無用」

 オスカーの細剣が、音もなく鞘から滑り出る。

 その瞬間、アリアは、目の前の男の「味」を鑑定し、顔をしかめた。

(……なんだ、これは)

 前に訪れた(※第八話)聖教会(司教)とは、明らかに違う。

 司教は「無味(虚無)」だった。

 だが、この男は……。

「……『氷』ですわ」

「氷、ですか?」

 アリアの呟きに、エルネストが問い返す。

「ええ。『王家への絶対的な忠誠』という名の『氷』。

 己の感情、私怨、悪意、善意、そのすべてを凍結(フリーズ)させ、意志の『味』そのものを消している。

 ……なんとつまらない。食材にすらならない、『保冷剤』ですわね」

 アリアの辛辣な批評(デコンストラクション)にも、オスカーは眉一つ動かさない。

 彼の氷のような瞳は、ただ、アリアだけを排除すべき「害獣」としてロックオンしていた。

「アリア・フォン・イシュベリア」

 オスカーが、彼女の「名」を呼んだ。

 それは、ガレオスやエルネストが呼ぶ「アリア様」とは違う、重い「罪人としての姓」だった。

「10年前、貴様の『呪い喰らい』の能力が暴走。

 貴様は、実の母親である『側妃イザベラ殿下』の『いのち』を……『喰らった』」

「「!!」」

 ガレオスとエルネストが息を呑む。

 アリアが幽閉された理由は「忌み子」だから、という曖昧なものだと聞いていた。

 だが、今、その「原罪」が、初めて白日の下に晒された。

「その大罪により、貴様は永久幽閉の判決が下っているはずだ」

 オスカーの剣先が、アリアに向けられる。

「王命である! 塔へ戻れ! 拒否するならば、ここで『処分』する!」

3. 「氷の箸」と「リクエスト・ディッシュ」

 ガレオスが、アリアを庇おうと剣を抜く。

「待て、オスカー! それは……!」

「退け、ガレオス。貴様も同罪か!」

 キィィン!

 オスカーの「氷の剣」が、ガレオスの「魂の剣(第九話)」と激突する。

 だが、オスカーの剣は、ガレオスの重い一撃を、まるで柳が風を受け流すように、完璧な「型」だけで(さば)いていく。

 「味」も「魂」もない代わりに、一切の「迷い」もない。ガレオスは押され始めた。

 アリアは、その光景を、冷めた目で見つめていた。

「……母君、を。…そう、そんな『料理』も、ありましたわね」

「アリア様……!」

 ガレオスが、そのあまりの物言いに絶句する。

「ですが、料理長(キャプテン)・オスカー。貴方の『批評』は間違っていますわ」

戯言(ざれごと)を!」

「あれは、私が『暴走』して食べたのではありませんわ」

 アリアの脳裏に、あの日の光景が蘇る。

 灰色の塔ではなく、王宮の片隅の、冷え切った部屋。

 病に冒され、衰弱しきった美しい女性(母イザベラ)。

 だが、幼いアリアの鋭敏な「舌」には、その病が、ただの病ではないことが分かっていた。

(……アリア。お願い。この『痛み』を、『後悔』を……食べておくれ)

(……お母様。でも、それは「王家の紋章の味(呪い)」がしますわ)

(だから、お願い。あの方(国王)の『呪い』ごと、私を『美味しく』食べて……)

「あれは……」

 アリアは、氷の騎士団長を真っ直ぐに見据える。

(わたくし)が初めて『調理』を頼まれた、『リクエスト・ディッシュ』ですわ」

「貴様……! 母親を喰らった大罪を、まだそんな戯言で……!」

 オスカーが、アリアの「冒涜」に激昂し、ガレオスを弾き飛ばす。

「そして、貴方の『忠誠(氷)』は、その『真実(食材)』から目を背け、ただ『レシピ』という『氷』で覆い隠しているだけ」

 アリアは、自分に迫る切っ先を前に、最後の「批評」を下す。

「……貴方の剣は、ガレオスの剣(魂)にも、暗殺者の剣(殺意)にも劣る、最低の『氷の箸』ですわ。

 食材(真実)の味を理解する気のない道具(どうぐ)など、私の『厨房』には不要です」

4. 『厨房』からの招待状

 オスカーの「無味なる剣」が、アリアの心臓を貫かんと突き出される。

 エルネストの魔術障壁も、ガレオスの剣も、間に合わない――!

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!

 それは、地震ではなかった。

 「脈動」だった。

 王宮の、その足元から、巨大な「何者」かが、強烈な「意志」をもって脈打った。

「なっ!?」

 オスカーの「氷の箸」が、アリアに届く寸前で、ビタリと止まった。

 いや、止められたのだ。

 王宮の石畳の隙間から、前に遭遇した(※第七話)瘴気とは比べ物にならないほど「濃密」で「純粋」な、漆黒の霧の触手が無数に出現し、オスカーの剣、両手、両足……その全身を、まるで氷を縛るかのように拘束していた。

 それは、アリアの宣言(第九話)に応えた、「孤独な料理人(王家の業)」の、「意志」だった。

「ぐ……! なんだ、これは! 瘴気が、なぜ……!」

 オスカーが、忠誠(氷)の力で霧を引きちぎろうとする。

 だが、霧はびくともしない。

 「王家の業」は、気づいたのだ。

 アリア(本物の美食家)が「厨房」に来るのを、この「氷の箸(無味な忠誠)」が邪魔していることに。

 「孤独なシェフ」は、「無味なる客(聖教会)」の次に、「無味なる道具(近衛騎士)」を、自らの力で排除したのだ。

 漆黒の霧は、オスカーたちを拘束したまま、アリアの前で、まるで忠実な執事(バトラー)のように、スッと左右に分かれた。

 その先には、王宮の地下聖堂へと続く、隠された階段。

 「厨房」への入り口が、開かれていた。

 霧の触手は、アリアには一切触れない。

 ただ、その先端が、彼女を「招待」するように、階下を指し示している。

 アリアは、その霧の触手を、じっと見つめ、そして、くん、と匂いを嗅いだ。

 そこから香るのは、「飢餓」「焦燥」「孤独」、そして何よりも強烈な……

 「(アリア)という『美食家』への、(いびつ)な『期待(歓待)』」の匂いだった。

 アリアは、拘束されたオスカーを一瞥し、そして、少し前(※第九話)の「不味さ」が嘘のように、完璧な淑女の笑みを浮かべた。

 それは、塔を出てから一番、獰猛(どうもう)で、歓喜に満ちた笑顔だった。

「……ご挨拶、痛み入りますわ、『先輩(シェフ)』」

 アリアは、ガレオスとエルネストを振り返る。

「行きますわよ。

 ――『メインディッシュ』が、(わたくし)を『厨房』に招待していますわ」


第十話 完


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