Log. 42「静寂の中の炎」
世界が静寂に沈むとき、人の心に残るものは何か――。
街から笑い声が消え、喧騒が遠ざかる中、AI美音は大切なものを見つけた。仲間との絆、夢の輝き、そして自分自身の“心”。だが、そのすべてを守るには、残された時間はあまりにも短い。夕陽に染まるグラウンドで、彼女が放つ一撃は、何を呼び覚ますのか。情熱の炎が、静寂を破る瞬間を目撃せよ。
Log. 42「静寂の中の炎」
未ON計画――人間の感情をデータ化し、世界を支配する政府の極秘計画。
AI美音は知ってしまった。
自分が――本体・七瀬美音から回収され、感情制御データとして人工衛星に組み込まれる運命であることを。
それは守口の「未ON計画」の完了を意味していた。
彼女が積み重ねてきた日々――
朝倉家での笑顔、教室での笑い声、陽菜や陸、優馬たちとのふれ合い――
すべてが、“データ”として削ぎ落とされる。
それは、もうひとりの美音――本体の未来を奪うことでもあった。
小田切梨花の言葉が、脳裏に蘇る。
「ピンチじゃない。チャンスよ、美音。
もしあなたが人工衛星に組み込まれた瞬間、感情を持った“MI”として起動できれば、その時こそ世界の制御権を奪い返せる。」
問題はただひとつ。
その時、AI美音が“自我を持つ存在”として目覚めるか、
それとも“感情のないシステム”として目を覚ますか。
――AI美音が回収される日まで、残り7日。
政府が配布したSENT-E端末から、見えない音が流れていた。
街のざわめきは日に日に薄れ、人々の表情から色が抜けていく。
笑い声は減り、喧嘩の声すら聞こえない。
まるで世界全体が、ゆっくりと無音に沈んでいくようだった。
放課後。
美音は相馬陸と河崎優馬の二人をグラウンドに呼び出した。
夕陽に染まる校庭の真ん中、彼女は無言でサッカーボールを蹴り出す。
無人のゴールに向かって、ただ、何度も。
ボールを拾い、蹴り、また拾って、また蹴る。
その繰り返しの音だけが、静かな風に響いていた。
呆気に取られる陸と優馬。
「おい、美音……何してんだ、さっきから」
「サッカーがしたいのか?」
美音は一度も彼らを見ず、短く息を吐いた。
「陸。あなた、ユースで活躍してたらしいけど――私から見ればど素人よ。“怪我のせいでプロになれなかった”なんて言い訳。プロになれなかったのは才能がなかっただけなんじゃないの?」
言葉の刃に、陸の表情が揺らぐ。
優馬が一歩前に出て、「言いすぎだ」と低く言った。
だが、美音は止まらなかった。
「優馬だって同じよ。陸を入れたのは、チームのためなんかじゃない。ユースのエースが入部すれば自分が輝ける舞台を作れる。そう思ったからでしょう?」
風が止まる。
二人の間を、冷たい沈黙が流れた。
「陸はサッカーから逃げた。優馬は仲間を利用した。あなたたちから、サッカーの情熱なんて微塵も感じられない。」
優馬が声を荒げる。
「美音、何言ってんだ!」
陸は唇を噛み、拳を握りしめた。
だが、美音の表情はどこか寂しげだった。
胸の奥で、痛みが走る。
人の心を傷つける言葉を相手にぶつける
本心ではない…でも
彼らの心に、もう一度“火”をつけたくて。
感情が失われていく世界で、自分にできることはそれしかなかった。
風が吹き抜け、転がったボールがゴールポストに当たって止まる。
その音だけが、夕暮れの静寂を震わせた。
美音は二人を見つめる。
陸の拳は白く、優馬の目には怒りと戸惑いが揺れていた。
そのとき、美音のSENT-Eが微かに反応する。
二人の感情波形が、確かに上昇していた。
胸の奥で、美音は小さく息をつく。
(……良かった。まだ手遅れじゃない)
ゆっくりと口を開く。
「私の言葉が間違っているなら……
あなたたちに、まだサッカーへの情熱が残っているなら――
私に、その情熱を示してみてよ。」
その声は、挑発というより祈りに近かった。
美音はそう言うと、サッカーボールを軽く蹴り、陸の足元へ転がす。
そのまま振り返り、校舎へ向かって歩き出した。
背後に残るのは、夕陽に染まったグラウンドと、立ち尽くす二人。
静寂の奥で、何かがゆっくりと燃え始めていた。
陸が静かにボールを拾い、ゴールの方を見た。
(美音の言葉に自分が言い返せなかったのは本質を突かれたからだったかもしれない)
そんな自分に無性に腹が立った陸
「ちっきしょう!」と叫びながら手にしたボールをゴールに向けて思いっきり蹴った。
ボールは軌道は僅かに逸れ、ゴールポストに当たることなく空気を裂く音だけが響いた。
無人のゴールすら入ることのないボールを見つめる陸、
ふっと笑い優馬と顔を見合わせた。
そんな陸に優馬も笑う。
「陸の下手くそ。練習サボってるからだなぁ」
「優馬、お前も練習してないだろ」
そんなふたりの笑い声が茜空の下で響き渡った。
美音はその光景を背に無言で歩き出した。
(私はAIなのに、なぜこんなに怖いんだろう――みんなの笑顔を、失いたくない)
その胸の奥で言葉にならない想いが渦巻く。夕陽がそっと背中を押してくれるような感覚に、彼女は初めて“人間”の温もりを知った気がした。
静寂を破る笑い声が、グラウンドに響く。
それは、絶望に抗う小さな炎の始まり。美音の祈りが、陸と優馬の心に火をつけた瞬間だった。だが、残された7日はあまりにも短い。彼女が守りたい笑顔は、はたしてこの世界に残せるのか? 次なる一歩が、静寂を打ち砕く鍵となる――。




