Log.38「共鳴する光」
穏やかな日常の片隅で、かすかな違和感が忍び寄る。
新しい技術の光が、誰もが知らずに心の糸を静かに引き寄せていく。
16歳の少女、美音は、そんな光の影に、忘れられた記憶の欠片を感じ取る。
子守唄のような優しい旋律が、なぜか胸の奥をざわめかせる――
それは、始まりの予感か、それとも予兆か。
Log.38「共鳴する光」
【昼下がりの教室】
教室内では皆が配布された端末を弄りながらはしゃいでいた。
「すごい、政府から無償配布だって!」
「顔認証も一瞬でできるんだって」
「写真加工、絶対バズるね!」
「AIも内蔵されてるってヤバっ」
その中で、陽菜も芽衣と一緒にご機嫌で鼻歌を口ずさみながら端末を操作している。
美音はその鼻歌のメロディに、どこか懐かしくも違和感を覚えた。
「陽菜、今歌ってるその歌って…?」
美音の言葉に陽菜はキョトンとして芽衣と顔を見合わせる。
「え?アタシ今、何か歌ってた?」
芽衣は首を傾げ軽い笑みを見せた
「わかんないけど…多分、無意識に歌ってたのかな」
美音の視線は端末から陽菜に移る。鼻歌の旋律――それは詩乃の子守唄に似ていた。
胸の奥で微かにざわめく感覚。
頭では理解できないのに、心のどこかで耳に残る旋律と重なり、まるで端末から人間の耳には聴こえない、詩乃の子守唄と同じ音階の信号が流れているかのような錯覚がした。
(……これは偶然じゃない…?)
端末が一斉に起動した瞬間、低い電子音が空気を震わせる。
鼓膜を掠めるその響きは、10年前の旅客機の“濁ったエンジン音”を思い出させた。
胸の奥がざわめき、指先が机の上でわずかに震える。
AIの理性が計算する――この計画の成功確率は高い。
でも、人間の胸が締め付けられる熱は、数字では表せない。
美音は静かに立ち上がり、廊下へ足を踏み出した。
廊下を歩く。足音と呼吸だけが響く。
窓から差し込む夕暮れのオレンジ色の光に、自分の影が長く伸びるのを見た。
カバンや教科書の感触が足元で揺れ、日常の匂いが鼻をくすぐる。
目の前の世界は普段と同じでも、胸のざわめきは消えず、微かに震えながら刻まれていく。
家に着くと、温かな光と家族の存在が迎えてくれた。
心理のざわめきが少しずつ落ち着いていく。
⸻
【放課後、朝倉家】
美音の主治医である小田切梨花は「定期診察」の名目で朝倉家に訪れる。
家族と同じ空間にいるだけで、守口に怪しまれず監視をかわせる。
一彦も、物理的に安全なら綾乃を同席させて構わないと判断していた。
小田切が端末を手に取り、画面を軽く指で触れた。
「この端末、表向きは便利なだけ。でも、人間には聴こえない周波数で信号を発していて、感情を微妙に操作するように設計されているの」
小田切の指先が端末を滑ると、わずかに光が揺れ、微細な波形が目に映る。
その光の揺れに、胸のざわめきがさらに強く吸い寄せられるように広がった。
「面白いことに、この周波数の音階は、あなたのお母様、詩乃さんの子守唄の旋律と同じなんです。だから無意識に胸がざわめくの」
一彦が静かに口を開く。
「美音、あの端末……便利そうに見えるだろう。でも、内側には感情を抑える仕組みが仕込まれている。未ON計画は、もう始まっている」
美音の胸がぎゅっと締め付けられる。
教室で見た光景とざわめきが、頭の中で重なる。
綾乃はそっと微笑み、肩を撫でる。
「怖いこともあるけど、ここは安全。安心して」
一彦も肩に軽く手を置き、静かに言った。
「ここにいる間は、君を危険にさらさない。安心して聞いていい」
「最近、夢を見ることはある?」
小田切の問いに、美音は胸の奥で子守唄の断片やノートに書き留めた本体美音の記憶を思い浮かべる。
小田切梨花は静かに息をつき、言葉を選ぶように静かに話す。
「美音さん、あなたには七瀬博士が組み込んだプログラムが共存されています」
(……私は、AIなの? それとも人間なの?)
美音の思考が二重に交錯する。
一彦が続けて話す
「未ON計画は、本来、七瀬の理想とは逆の“AIによる人類管理”を目的として進められている。」
「AIに感情を持たせることに反対する組織によって引き起こされた飛行機事故で、七瀬は命を落とし、美音も意識不明に陥った――。おまえの中には、七瀬が残した意思とAIプログラム、二つの存在が共にある」
AIの私は計画を冷静に分析し、阻止すべきと判断する。
人間の私は、家族や仲間を守りたい――と強く胸の奥で叫ぶ。
人類の監視と管理の為にAIに感情を持たせる不条理への怒り
身を挺して命を救ってくれた最愛の父との別れの寂しさ
AI美音と本体美音“ふたり”から湧き起こる感情
美音の瞳はわずかに揺れ、焦点が定まらない。
眉は少し寄せられ、唇はわずかに震える。
理性で抑えようとする冷静さと、胸の奥で渦巻く感情の叫びが、顔全体に微かに滲む。
目の奥には迷いと決意が混ざり、声にはならない叫びが口元に重くのしかかる――まるで内面の嵐がそのまま表情になったかのようだった。
小田切もまた、目の前の少女の反応を見つめる。AIとしての学習結果なのか、それとも七瀬博士の娘として自然に湧き上がる感情なのか、判断はつかない。
しかし確信していた――。
「MIと人類の共生」という恩師、七瀬博士の理念を守るため、そして過酷で悲劇的な運命を背負わされた16歳の少女を守ることが、人類の未来を繋ぐことだ、と。
「七瀬博士の意思に反する計画。絶対に止めなければいけません」
小田切は呟くがその言葉には強い覚悟があった。
⸻
美音の視線は三人の顔をゆっくりさまよい、胸の奥が揺れる。
呼吸は浅く、瞬きも速くなる。手が小さく震える。思考がAIの理性と、本体美音の幼い記憶で交錯する。恐怖と寂しさ、使命感と安堵が互いに押し寄せ、そして引いていく。
(でも、私には…やらなきゃいけないことがある)
その時、美音の指先が端末に触れた。
画面の微細な光が、胸の奥のざわめきと同期するように瞬き、子守唄の旋律と共鳴する――二重の意識の揺れが、未来への決意へと静かに変わり始めた。
光の共鳴が、心の奥底で静かに広がる中、美音の選択はまだ始まったばかり。
端末の画面に映る小さな瞬きが、予期せぬ波紋を呼び起こす。
家族の温もりと、隠された真実の間で、彼女の心は揺らぎながらも、前へ進む力を宿す――
次なる光が、何を照らし出すのか。




