Log.34「闇に光を」
夜の街には、昼間の喧騒では掬い取れない影がある。
街灯に照らされたその影は、ただの黒ではなく、過去の記憶や後悔を浮かび上がらせる。
矢野が歩みを進めるたびに、胸の奥で眠っていたものが、静かに目を覚ましていった。
Log.34「闇に光を」
【夜・一彦との密談を終え喫茶店を出た矢野】
街灯の淡い光がアスファルトに滲み、矢野の影を細長く引き伸ばす。
夜風がコートの裾を揺らし、遠くのネオンのざわめきが耳にまとわりつく。
矢野は煙草に火を灯し、吸い込んだ煙を夜空へ吐き出した。
冷たい空気が肺を満たし、彼の思考を一瞬だけ静かにする。
(*回想*
七瀬奏一はいつも娘を連れていた。研究室の片隅で絵本をめくる小さな姿。
学会の壇上で、場違いに抱かれた幼子。
ただの子煩悩にしては度が過ぎていた。
“あの子は研究の一部なのではないか”――そう思ったことが、一度や二度ではなかった。
事故で亡くなったと聞かされたとき、疑念の糸は無理やり切られた。
だが今、その糸が再び結ばれていく。)
一彦との密談が頭に蘇る。
「ただ一つ言えるのは……七瀬が命より大事にしていたのは、“あの子の中にある何か”だ」
言葉を置くたびに、一彦の眉間に皺が刻まれていく。その横顔を見つめながら、矢野は無意識に煙草を強く吸い込み、胸の奥を熱くさせた。
「E-CORE――人間の意識を機械に宿す鍵だ」
一彦は机の上のコーヒーカップに視線を落とし、声の抑揚を消す。
「七瀬は美音をその実験の中心に据えた。彼女の脳に埋め込まれた何かは、人類の限界を超える可能性を秘めている」
背筋を冷たいものが走る。矢野は煙草を指で弾き、舞う灰を目で追った。喉が締まり、息が飲み込まれる。
それでも一彦は表情を崩さない。淡々と続ける声が、逆に重さを増していく。
「人はそれを人体実験と呼ぶかもしれん。だが七瀬は、娘に人類の希望を託した。MIセンターも政府も、思惑は違えど、美音を国家機密として守っている」
(*回想*
絵本をめくる小さな手、学会の壇上で父に抱かれた無垢な瞳――あの美音が、七瀬の『人類の希望』だというのか。
「俺は事故のあとセンターを辞め、美音を預かる準備をした。在籍中に引き取れば怪しまれる。だから……目覚めるまで十年を待った」と一彦は言った。)
――人体実験。
――人類の希望。
断片だった疑念が線を描き、七瀬の影と美音の存在が重なり合う。
矢野は目を閉じ、煙草の煙を深く吸い込んだ。
すると、十年前の喧騒が脳裏に蘇る。
(*回想*
研究所前。デモ隊のプラカードが乱舞し、シュプレヒコールが冬空を震わせていた。
「NO MI!」「人間の尊厳を守れ!」の声の渦。
最前列で、群衆の怒声に背を押された俺は、拡声器を握りしめていた。
「七瀬博士! 人間の心は人間だけのものだ! それを機械に与えるなんて、神への冒涜だ!」
幼い娘を抱きながら沈黙を貫く七瀬。
その腕の中で、美音は怖がることもなく、ゆっくりと周囲を見渡していた。
まるで観察するかのように……。
あの六歳の少女の瞳に宿る、異常な冷静さに、俺は背筋が凍る思いだった。
だが当時の俺は、その違和感を無視し、七瀬の沈黙を“肯定”と決めつけ、記事に仕立て上げた。取材ではなく、世論を借りた糾弾だった。)
矢野は煙草を地面に落とし、靴で踏み潰した。
あの日の怒声が、今も耳の奥で響く。
かつての俺は、記事が売れれば正義だと信じていた。
だが、あのデモの後、七瀬の沈黙が胸に棘のように刺さった。
美音の瞳が、俺の書いた言葉の重さを教えてくれた。
――いつからだ。
真実を暴くジャーナリストの理想が、民衆の心を煽る快感にすり替わっていたのは。
矢野は深く息を吐き、街灯の下の現実に戻った。
「七瀬は、娘を未来そのものとして託したのか。」
十年前なら、〈実の娘を人体実験〉という見出しで記事を書き、世論を焚きつけたはずだ。だが今は違う。真実の深さを求める自分がいる。
我が娘を犠牲にして信念を貫く七瀬奏一。
その意思を守る朝倉一彦。
矢野は夜風を吸い込み、呟いた。
「真実を求めることは俺の贖罪なのか、それとも自己満足なのか――
答えは出ない…だが…今度こそ闇に隠れた真実に光を照らす」
闇の向こうで誰かがその言葉を聞いているかのように、街灯が一瞬だけ瞬き、夜がわずかに濃さを増した。
彼の胸に残ったのは、答えの出ない問いと、揺るぎない一つの衝動。
夜はまだ深く、街灯の下で小さな灯が揺れている。
それは真実を求める旅の始まりなのか、あるいは過去と向き合うための裁きなのか――
矢野自身にもまだ分からなかった。
イメージソング「響き合う光」公開中!
朝倉美音のオフショットを載せてあります。
朝倉美音の公式アカウント
↓
https://www.tiktok.com/@_mion0707?_t=ZS-8yQZYDOfsyG&_r=1
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