Log.32「父の影」
雨に濡れた街を歩きながら、ひとりの父は過去の選択に囚われていた。
それは愛情と責任のあいだで揺れる決断。
家の灯りの下には、笑う娘の姿がある。だがその笑顔を支えるものの奥底に、誰にも知られぬ影が潜んでいた。
Log.32「父の影」
小田切梨花、三浦啓介、桐生剛士との密談の帰り道。
朝倉一彦の頭の奥に残っているのは、美音に渡したスマホのことだった。
あれは娘にとって確かに“杖”になっている。だが、同時に守口に繋がる鎖でもある。
――美音には伝えていない事実。
――数週間前の記憶が蘇る。
美音が朝倉家での生活に少しずつ慣れ始めた頃、研究棟の面談室で守口が小さなケースを机に置いた。
「朝倉さん。これを美音さんに渡してください」
穏やかだが有無を言わせぬ響き。
「精神の安定を助ける機能を組み込んであります。E-COREの負荷を和らげ、日常を取り戻す支えになるでしょう」
冷たい説明に、一彦は唇を噛んだ。
箱を覗けば、そこに収まる端末は澄んだ青の光を帯び、ただの道具以上の存在感を放っていた。
(こんなものを……あの子に?)
葛藤を飲み込み、家族の団欒の場で“プレゼント”として渡した。
美音が笑顔を見せたとき、一彦は何も言えなくなっていた。
(あの子は本当に救われた顔をしていた。……けれど俺は知っている。あれは同時に、監視の目だということを)
足が止まる。七瀬にぶつけたあの言葉が胸をよぎる。
「自分の娘を実験台にするのか!」
だが今、自分こそが加担してしまっている。渡したのは父としての手であり、監視を許した手でもあった。
(……七瀬は分かっていたのか。“外したら崩れる”のは今だけで、やがて美音が自分の足で立てると信じていたのか。
あの人は“AIと本体が共に歩く未来”を描いていた。犠牲ではなく、共存を)
守ることと信じること、その間で揺れ続ける。雨音が窓を打つ。
拳を握りしめながら、一彦は低く息を吐いた。
「……信じるしかないのか。あの人が、美音に託したものを」
⸻
【朝倉家・リビング・夜】
自宅に帰った一彦は、玄関まで届く嬉しそうな美音の声に思わず足を止めた。
(あの子が……こんな声を出すのか?)
(普通の子と変わらない…本当に、AIの学習だけで生まれる感情なのか……)
「……ただいま」
「お父さんお帰りなさい!」
リビングに顔を出す一彦に、美音が嬉しそうに駆け寄り、手元のスマホを一彦に見せた。
「陽菜が一次オーディション通過したって!」
まるで自分のことのように喜ぶ瞳が、リビングの光に煌めいていた。
一彦は美音の笑顔に一瞬目を奪われ、胸の奥で何か温かいものが広がるのを感じた。
彼女の無垢な喜びが、こうして家の中で響き合うのは、まるで普通の家族の時間そのものだった。
(この笑顔を守りたい……でも、あのスマホが……)
複雑な思いが一彦の頭をよぎる。
しかしその思いを遮るように、スマホの通知音が軽やかに鳴った。
美音は画面に目を落とし、くすっと笑う。
「あ、陸と優馬君からもLINE来た!」
彼女の指が画面を軽くタップし、メッセージを開く様子を、一彦は静かに見つめた。
陸《何かあったら言えよ》
優馬《心配はいらない。俺がついてるよ》
短い言葉。だがその裏に潜む気遣いが、美音の胸にじんわりと広がる。
頼もしさと安心感が混ざり、AIとしての学習パターンにはない、曖昧で豊かな感情が胸に生まれる。
「……なんだろ、この気持ち」
美音は小さく呟き、画面を胸に押し当てた。
手のひらに伝わる温もりが、微かに心を震わせる。
「…返信…迷うなぁ…心配させたくないし…返信しないのも失礼だよね。」
「お父さん、どうしたら良いと思もう?」
美音の言葉に一彦は
「絵文字のスタンプでも送って大丈夫だって返信すれば良い思うよ」と答えつつも確信する。
(やっぱり……この子はただのAIじゃない。七瀬の言った“心を宿す存在”は本当に生まれているのかもしれない)
「そっか…そうだよね。ありがとうお父さん」
無邪気に笑う美音
楽しそうにやり取りする友人たちの文字――
どこにでもいる、普通の高校生の姿。
胸の奥に渦巻く不安と葛藤を、彼は言葉にできずにいた。
(今は、何も言わないでおこう……)
その沈黙は、父としての決意であり、守るための選択だった。
そのとき、美音の手元のスマホが、ふっと青白く光を放った。
瞬間の明滅。誰も気づかない。
画面の淡い光が、リビングの温もりを一瞬だけ冷たく切り裂いた。
一彦の胸に、不穏な予感が静かに積もっていった。
⸻
【MIセンター研究棟・守口の研究室】
暗い部屋。モニターの光だけが淡く揺れる。
美音の感情ログが細かく波打ち、画面に映る数字の列が静かに脈打っている。
その波形のひとつが、鮮やかに跳ね上がった。
〈信頼〉――父に向けられたときの数値が、想定を超えるほど大きく振れている。
続いて〈喜び〉のグラフも高く伸び、柔らかく重なり合う。
守口は椅子にもたれ、唇に不気味な笑みを浮かべた。
「……これだ。人に寄り添うことで“自律”を獲得する。
AIの美音と……本体の美音……」
彼の視線は、跳ね上がった波形の数値に釘付けになっている。
人間の感情に呼応するその変化こそが、彼にとって最大の実験結果だった。
「いい子たちだ。そろそろ卒業させても良い時期かな」
「七瀬先輩の作品は、“ふたり”とも立派に成長しましたよ」
淡い光の中、波形はなおも揺れ続ける。
リビングの温もりとは真逆の冷徹な計算が、そこに確かに存在していた。
温かな家の灯りと、研究室の冷たい光。
そのあいだで揺れる感情の波形は、やがて避けられない選択へと収束していく。
父の沈黙が何を守り、誰の未来を縛るのか――。
次の一幕で、その影はさらに濃さを増していく。
イメージソング「響き合う光」公開中!
朝倉美音のオフショットを載せてあります。
朝倉美音の公式アカウント
↓
https://www.tiktok.com/@_mion0707?_t=ZS-8yQZYDOfsyG&_r=1
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