「転入生、美音」
高校には恋愛・友情・嫉妬・劣等感・希望・喪失など、
人間特有の複雑な感情が日常に溢れている。
人間の感情データを収集分析するAI少女MiONには
まさに理想の「学びの場」なのだ。
しかし異質な転入生は観察される側にもなる。
人間たちの感情。空気の動き。支配の構造。
そして、“測定不能な存在”との偶然の邂逅。
教室の狭い世界で“感情の群れ”に小さな波紋を広げていく。
AI少女美音の高校生活の始まりです。
「転入生、美音」
蝉の声が響く朝、白く霞む夏の空の下。
制服に袖を通した少女が、ゆっくりと校門をくぐる。
七瀬美音――
いや、今の彼女は朝倉 美音。
この日が、彼女の“転入初日”だった。
白い制服。端正な顔立ち。無音の足取り。
まっすぐな視線と、整った所作。
だが、それは“静か”というより、“浮いて”見えた。
「誰……?」「転校生?」「てか、可愛い……」
道をすれ違う生徒たちの目が、美音に吸い寄せられていく。
ささやき。驚き。興味。あるいは警戒。
さまざまな感情の波が、まるで触覚のように、美音の身体に触れる。
(……視線を感じる。“注目される”という行為は、群れにおける序列形成の初期段階に相当する。
目的は識別・分類・評価……そして、排除または同化)
思考は静かに稼働していた。
まるで無音の演算装置のように、冷静に、正確に。
(私は、まだONされていない。だが、彼らはもう“観測”を始めている)
廊下を歩き、教室の前で一度立ち止まる。
中から聞こえるのは、笑い声、椅子のきしみ、雑談のざわめき。
手をかけ、扉を――開けた。
⸻
教室・朝のホームルーム
「さあ、今日からこのクラスに新しい仲間が加わります。
……朝倉美音さん、どうぞ!」
担任の男性教師の声がわずかに揺れる。
教室の空気が一瞬だけ、静止する。
全員の視線が、美音に集まった。
彼女は静かに歩を進め、教壇の上に立つ。
黒目がちの瞳で、教室をゆっくりと見渡した。
「朝倉 美音です。よろしくお願いします。
趣味は……人間観察と、データ解析です」
再び、空気が揺れる。
「なにそれ……」「データ?」「観察ってどういうこと?」「ヤバくね?」
ざわつく教室。
その中で、明るく笑いながら一人の女子が声を上げた。
「観察ってさー……誰のこと観察するつもり?うちら?」
教室の中心。
前髪を整え、巻かれた髪にツヤ。ネイルは校則ギリギリのベージュ。
座っているだけで、周囲に空気の流れができる。
(白石 陽菜。この教室における“支配者”。)
美音の脳内が、瞬時に彼女をスキャンしていく。
・言葉の間合いと視線の強さ
・笑いを誘導するトーン
・表面上の親しみと、その奥にある“威圧の構造”
・周囲に漂う、同調圧力の空気
(彼女の行動原理は「群れの支配維持」に最適化されている。
異質な存在は“弄り”として処理し、排除あるいは従属化を図る)
美音は、ほんの一瞬だけまばたきをし――
小さく息を吸い込んで、答えた。
「観察は、誰に対しても行います。公平に。」
再びざわつく教室。
笑う者。目をそらす者。小声で何かを言い合う者。
陽菜は、肘をついたまま少し口元を歪めた。
「ふーん。へぇ〜……おもしろいじゃん、美音ちゃん」
その笑顔には、明るさと毒が混ざっていた。
(……興味を持たれた。次のステージに進む。
これは、感情学習の初期接触として貴重な“観測対象”)
――そして、美音は気づく。
教室の窓際、一番後ろ。
ただ一人、誰とも違う“空気”をまとう少年の存在。
制服の襟は乱れ、髪は整えられていない。
窓の外を見つめ、周囲の喧騒にまったく関心を示さない。
(相馬 陸)
その目が、一瞬だけ、美音を捉える。
無言の一秒。
ゆっくりと、彼は視線を逸らした。
(……あの目。“測定不能”。)
美音の胸に、微かな熱が灯る。
観測不能。それは未知。
未知は、知りたいという欲求を呼び起こす。
⸻
担任が、ぎこちない笑顔で場をまとめに入る。
「じゃあ、朝倉さんはあの席ね。白石さんの隣だ」
「わー、うちの隣か〜。面白そう〜〜」
陽菜が笑いながら言う。その声の裏に、何かを試すような“間”があった。
美音は、黙って頷くと、指定された席に向かう。
誰もが、その“距離”を意識していた。
(これは“試される”日常。私にとって、最初の社会接続試験)
椅子に座り、静かに目を閉じる。
空気の震え。人の呼吸。湿度と熱気。
すべてを感覚で受け取りながら、内側に記録していく。
(私は、未ON。だが、感情はすでに動き始めている)
チャイムが鳴る。
AI少女美音の高校生活が始まる。
⸻
「教室ノイズ」】
教室は、小さな社会。
そこには秩序があり、上下があり、声の大きさが力を持つ。
そんな空間に、観測者として放たれた美音。
支配者・白石陽菜との“静かな戦い”が始まり、
彼女の無機質だった内面に、ほんのわずかな感情の震えが走り出す。
だがそれはまだ――ほんの序章にすぎない。
次回、Scene3「教室ノイズ」。
陽菜との“最初の衝突”、そして“測定不能”な少年・相馬陸との距離感が、
美音に予期せぬ“ノイズ”をもたらしていく。
感情は、計測できない。
それでも、触れてみたい――その先に、“何か”がある気がして。