Log.13「青い端末、交差する想い」
Log.13「青い端末、交差する想い」
【夜/朝倉家 食卓】
湯気の立つ味噌汁と、照りのある焼き魚。
いつもと変わらない夕食の風景。
そこには、久しぶりにサトシの姿もあった。
誰も“あの夜”の話はしなかった。
触れないことで守られるものもある。
サトシが、この食卓に座っている──
それだけで、今はもう十分だった。
ふと箸を置き、一彦が声をあげる。
一彦「そういえば美音にプレゼントがあるんだ」
綾乃がうれしそうに頷き、ふたりはそっと視線を交わしながら、小さな青いケースを美音の前に置いた。
美音「え…?」
一彦「開けてごらん」
おずおずと蓋を開けた美音の瞳が、静かに見開かれる。
中に収められていたのは、贈り物とは思えないほど、整然として、無機質な光を放っているスマートフォン。
美音「…携帯? スマホ…?」
サトシ「ねえちゃん、スマホ使いこなせるのかよ? 変なとこ押して爆発させんなよ?」
AIの美音は自分にスマホの必要性を感じたことはなかった。
でも──“本体の美音”だったらどうだっただろう…
綾乃「美音が一人で出かけることも増えてきたから、連絡手段があった方が安心なの」
一彦「そうそう。GPSもあるしな」
美音「……そっか。ありがとう、お父さん、お母さん。あとで使い方、教えて。サトシ」
サトシ「おう。…でもこの機種、見たことないなぁ?」
一彦「ああ、それな。実は取引先からもらったベータ版の非売品らしいよ。ちょっと試験的なやつだけど、普通に使えるって言ってた」
美音は何気なくそのスマホを手に取る。
けれど、どこかで引っかかる──
AIとして持つ膨大な知識データベースにも、この端末の情報は存在しなかった。
不思議だった。でも不快ではなかった。
それどころか、なぜかこのスマホはとても美しい色をしているように見えた。
青でも、空の青でも、海の青でもない。
まるで──思い出す前の記憶の色。
美音「…きれいな色だね、このスマホ」
綾乃「うふふ、気に入ってくれた?」
一彦「ああ、美音には青が似合うと思ってな」
美音が微笑んだその時──
ふと、一彦の声のトーンが変わった。
一彦「それと…美音。今日、センターから連絡があってな。カウンセリングも兼ねて定期診断するそうだ。今度の日曜、行けるか?」
美音は静かに頷く。
AIとしての美音は、そろそろそんな時期だろうと予測していた。
この身体──“本体”の生体維持には、定期的な医療チェックが必要だ。
外部とのデータ同期、脳波バランス、そして感情プログラムの変動値。
けれど、
「私が今、借りている“本体”が誰なのか──」
それだけは、私のアクセスできるデータバンクには記録されていなかった。
まるで、誰かが意図的にそれを伏せているような、不自然な“空白”。
(本体は…誰?)
その疑問だけが、心の片隅で淡く灯り続けていた。
──この青いスマホと、この定期診断。
すべては、静かに動き始めていた。
【翌朝/校門前】
朝の光がグラウンドを斜めに照らす。
校門の脇で、美音は一人、相馬陸の姿を待っていた。
ほどなくして、いつものように気だるげな表情の陸が登校してくる。
陸「なんだ朝倉、朝から俺の観察か。…暇だなおまえも」
軽口を叩きながらも、その声はどこか柔らかかった。
美音「……相馬くん、携帯持ってる?」
陸「え、ああ。一応な。使う相手あんまいねぇけど」
美音「私、家族の番号しか登録してないの。…良かったら、相馬くんの番号も登録してもいい?」
陸、少し驚いたような表情で一瞬だけ言葉を探す。
陸「……ま、別にいいけど。俺もクラスのやつとか入れてないしな」
お互いの端末を出し、連絡先を交換するふたり。
笑顔も、特別な意味もないやりとりだった。
けれど、その光景を──
少し離れた場所で見ていた白石陽菜の心は、ざわついた。
⸻
【教室/朝のざわめき】
席に戻ってきた美音に、陽菜が近づく。
笑顔はいつものように明るい──けれど、それは仮面のように。
陽菜「おはよ、美音! さっき、相馬と何話してたの?」
なるべく軽い調子で、興味本位を装う。
美音「お父さんからスマホをもらったの。だから、相馬くんと連絡先を交換してました」
陽菜の表情が、一瞬だけ止まる。
その言葉が、ナイフのように突き刺さる。
(連絡先、交換……。私には言わなかったのに。)
胸の奥で、何かが崩れる音がした。
それは過去の記憶を呼び覚ます“音”だった。
──子役時代。
オーディションで通される台詞は、いつもモブの「はい」や「わかりました」ばかり。
陽菜(誰でもいい役、いてもいなくてもいい存在…。
あの頃の私は、そういう“代わり”でしかなかった──)
そして今、美音の中でもまた「自分はその程度なのではないか」という感覚が、こみあげてきた。
陽菜「……そうなんだ」
声が震えそうになるのを必死で抑えた。
陽菜の目が少し潤んでいる理由を、美音は“朝の乾燥のせいかもしれない”と処理し、
淡々とした口調で続ける。
美音「陽菜さんの番号も、登録していいですか?」
──“も”。
その一言が、陽菜を決定的に追い詰めた。
(……“も”?
ついでってこと?)
陽菜の胸に溜まっていた不安が、一気に溢れ出した。
視界が滲む。
陽菜「ごめん、ちょっと…トイレ行ってくるね」
とっさに微笑んで、その場を立ち去る。
その背中を、美音は静かに見送ることしかできなかった。
⸻
【廊下/女子トイレ前】
陽菜はドアを閉め、鍵をかける…
鍵をかける“カチャン”という音が、まるで自分の心に蓋をする音のように感じ
その場に崩れ落ちた。
陽菜(なんで泣いてんの、私…
友達なのに、ただの連絡先なのに…
なんでこんなに、苦しいの)
思い出すのは、あの暗い控え室の隅。
大人たちの間で名前を間違えられ、代役ばかりを押し付けられた日々。
陽菜(私はずっと、“誰かの代わり”だった。
今も…美音にとっても……)
彼女の目から、ぽろぽろと涙が落ちた。
⸻
【昼休み/教室〜廊下】
数人の生徒たちが、スマホを囲んでざわつき始める。
「え、見た? これヤバくない?」「マジで付き合ってんの?」
スマホ画面に表示されているのは──
《美音と相馬が連絡先を交換している場面を後ろから盗撮した写真》
添えられた文章は、
「美音と相馬、付き合ってる説濃厚」
出所不明の投稿だった。
ざわつきは、教室の中にじわじわと広がっていく。
そしてその数分後──
また別の投稿が、タイムラインに流れる。
「白石陽菜って昔、子役だったらしいよw」
「この名前で検索すれば写真出てくるw」
──そこには、陽菜が出演していた子供向けCMのキャプチャ画像。
芸名も、陽菜の過去も、何もかもが晒されていた。
それは、陽菜が必死に隠し続けてきた、**「本当の自分」**だった。