第四章 第七話「生贄の祭壇と、よもぎコーラスの奇跡」
祝祭の前夜。わたし達は、街の宿屋の一室に、事実上軟禁されていた。窓の外を見れば、貼り付けた笑顔の住民たちが、逃げ出さないようにと見張っている。
「……打つ手がねえ。ここまで完璧に統制された狂気は、軍隊でも作れねえぜ」
ナイですら、弱音を吐いた。絶望的な状況。でも、わたしは諦めたくなかった。ミミちゃんとの約束も、わたしを呼ぶネオンの声も、まだ果たせていないのだから。
翌日。わたし達三人は、純白の儀式用の服を着せられた。
「トラバーサル! トラバーサル!」
住民たちの熱狂的な歓声に送られながら、わたし達は街の中央広場に設けられた、高い祭壇の上へと引きずり出された。
祭壇の上で、神父が高らかに演説を始める。
「見なさい、この穢れを知らぬ、なんとトラバーサルな魂を! この魂を我らが神に捧げることで、我々の永遠の平穏は、より強固なものとなるのです!」
その言葉に、住民たちは恍惚とした表情で、さらに大きく「トラバーサル!」と叫ぶ。
神父が、儀式用のきらびやかな短剣を、天に振り上げた。
いよいよ、その刃がわたしに振り下ろされる――その、瞬間だった。
それまで、わたしの足元でおとなしくしていたよもぎちゃんが、祭壇の中央へと躍り出た。
そして、この厳粛で狂気に満ちた儀式の場で、高らかに歌い始めたのだ。
「よもぎ~、よもぎ~♪ よもぎもぎ~♪」
意味不明な歌。くねくねとした、謎の踊り。
あまりにも場違いで、不釣り合いで、シュールなパフォーマンス。
神父も、熱狂していた住民たちも、一瞬、何が起きたのかわからずに、ピタリと動きを止めた。
「な、なんだ、この……トラバーサルではない、不敬な歌は……?」
神父が困惑の声を漏らす。
しかし、よもぎちゃんは構わない。どこまでも真剣に、どこまでもマイペースに、その魂の歌を響かせ続ける。
その、あまりに純粋で、理解不能なエネルギーに、最初に反応したのは、祭壇の前にいた一人の子供だった。
「ぷっ……」
必死に口を押さえるが、笑いは堪えきれない。
「あはは、なんだか、おかしい……!」
その素直な笑い声が、伝染した。
「本当だ、なんだか面白い……」「いや、これはトラバーサルな笑いのはずだ……」「でも、なんだろう、本当に、おかしいぞ……?」
住民たちの貼り付けたような笑顔が、一人、また一人と崩れていく。素の感情が漏れ出し、広場は「トラバーサル」では表現できない、ざわめきに包まれ始めた。
その状況に、ついに神父が激昂した。
「静まれ! この愚民どもが! 静粛にしろと言っている!!」
神父が、この町で絶対のルールである「トラバーサル」以外の言葉――純粋な『怒り』――を発してしまった、その瞬間。
住民たちの動きが、完全に、止まった。
「……あれ?」
「神父様が……怒鳴った……?」
「トラバーサルじゃ、ない……?」
何十年も続いてきた、完璧な感情の統制。その綻びから、本物の感情が溢れ出す。
狂気の仮面が、音を立てて剥がれ落ちていく。
町全体が、巨大な混乱の渦に、まさに飲み込まれようとしていた。