第三話「入門への道と、運べない丸太」
自称・未来の王のおじさんとの遭遇を経て、わたしは楽して強くなることを諦めた。地道に、一歩ずつ。今の目標は、街の人々が噂していた「道場」に入門することだ。
わたしは街の中心にある掲示板で情報を集め、道場が街の外れ、東の森の入り口にあることを突き止めた。
「よし、行ってみよう!」
石畳の街並みを抜け、少しずつ建物の数が減っていく。土の道を踏みしめて歩いていると、遠くに立派な門構えの建物が見えてきた。古びてはいるけれど、手入れが行き届いているのがわかる。門の上には「一心流道場」と書かれた、力強い文字の看板が掲げられていた。
(ここだ……!)
ごくりと唾を飲み込み、わたしは門をくぐる。道場の庭では、何人もの門下生たちが「セイヤッ!」という掛け声と共に、汗を流しながら木刀を振っていた。その気迫に、思わず足がすくむ。
「……あの、ごめんください!」
勇気を振り絞って声をかけると、一番奥で腕を組みながら弟子たちを見ていた、岩のように大きな男の人が、ゆっくりとこちらを向いた。筋骨隆々で、顔にはいくつもの傷跡がある。一目で、この道場で一番強い人だとわかった。
「なんだ、小娘。ひやかしなら帰りな」
「ち、違います! 入門させてください! わたし、強くなりたいんです!」
頭を下げて必死に頼むと、師範らしきその人は、値踏みするようにわたしを上から下まで見た。
「ほう。その錆びた剣でか。いいだろう。ただし、うちの道場に入るには、まず誠意を見せてもらう」
「誠意、ですか?」
「うむ。入門料、10,000Gだ。それが払えぬ者に、剣を教える時間はない」
じゅ、10,000G。
武器屋で見た鋼の剣と同じ値段。わたしが持っているなけなしの銅貨とは、桁が違いすぎる。
「そ、そんな大金、持ってません……」
「なら話は終わりだ。帰れ」
師範はそう言って、ぷいと顔をそむけてしまう。
諦められない。ここで引き下がったら、わたしはずっとスライム相手に苦戦するままだ。
「お金は、ありません! でも、やる気と根性だけは、誰にも負けないつもりです! お願いします、何でもしますから!」
わたしはもう一度、地面に頭がつくくらいに下げた。
しばらくの沈黙。師範は、大きなため息をついた。
「……面白いことを言う小娘だ。よかろう。金がないなら、体で払ってもらう」
師範は、道場の脇に置かれていた巨大な丸太を指さした。大人の男の人が二人でも運べるかどうか、というくらいの太さと長さだ。
「あの丸太を、日が暮れるまでに、道場の裏にある滝まで一人で運べ。それができたら、特別に入門を許してやる」
(……む、無茶苦茶だ!)
でも、他に選択肢はない。わたしは「はい!」と力強く返事をして、丸太へと向かった。
「う、ぐぐぐ……!」
重い。持ち上げることすらできない。それでも、押したり引いたり、転がしたりしながら、少しずつ、本当に少しずつ前に進めた。
手はすぐに豆だらけになり、それが潰れて血が滲む。全身は汗と泥でぐちゃぐちゃだ。何度も心が折れそうになった。
(もう、無理かも……)
空を見上げると、紫色の月が滲んで見える。太陽はもうすぐ山の向こうに沈んでしまう。
滝までは、まだ半分も進めていない。
悔しくて、涙がこぼれそうになった、その時。
「――もうよい」
不意に、師範の声が響いた。
見ると、いつの間にか師範がわたしの隣に立っていた。
「お前には無理だ。今日はもうやめろ」
「い、嫌です! まだ、諦めてません!」
わたしが食い下がると、師範は呆れたように、でも、どこか少しだけ優しい目でわたしを見た。
「小娘。お前の目は、まだ死んでおらんな」
「え……?」
「試練は不合格だ。だが、その根性は認めてやる。明日から来い。ただし、最初の仕事は便所掃除と薪割りだ。文句は言わんぞな」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
ぽかんとしているわたしを置いて、師範は「テッサイだ。師匠と呼べ」とだけ言い残し、道場の中へ戻っていく。
「……やった」
じわじわと、実感が湧いてくる。
「やったー!」
わたしは泥だらけのまま、空に向かってガッツポーズをした。
痛む体とは裏腹に、心は羽のように軽い。
こうして、わたしの過酷で、だけど希望に満ちた道場での修行生活が、幕を開けたのだった。