第二章 第八話「黒衣の潜入と、迫りくる壁」
作戦会議は、ジャンクションの裏路地にあるナイ・エージェントの隠れ家で行われた。薄暗い部屋のテーブルに、一枚の羊皮紙が広げられる。強欲貴族バートンの屋敷の見取り図だ。
「侵入経路は、警備が手薄になる裏庭の通用口から。俺が魔法錠と罠を解除する。あんたは万一に備えろ。よろしいな、相棒?」
「……はい」
ナイの「相棒」という呼び方に、まだ少し慣れない。けれど、彼の目は真剣そのものだった。これは遊びじゃない。わたしはごくりと唾を飲み込み、覚悟を決めた。
その夜。
わたしとナイは、夜の闇に溶け込むような黒い服に身を包み、バートン邸の高い塀の前に立っていた。
「いくぜ」
ナイは人間離れした身軽さで塀を乗り越え、わたしとよもぎちゃんも後に続く。
屋敷の内部は、悪趣味なほどに豪華絢爛だった。ナイは特殊な金属の棒で魔法の錠前をいじり、音もなく扉を開ける。廊下に設置された監視の魔眼は、小さな鏡の破片で光の角度をずらして欺き、音を感知する床は、その紋様から的確に見抜いて回避していく。プロの仕事だ。
(すごい……これが、裏社会の技術……)
わたしが彼のスキルに感心していると、前方を歩いていたナイが、ぴたりと動きを止めた。
廊下の角から現れたのは、二匹の獰猛な魔獣、ヘルハウンド。地獄の番犬とも呼ばれる、鋭い牙と爪を持つ厄介な相手だ。ここで騒ぎを起こせば、計画はすべて水の泡になる。
「やべえな……」
ナイが舌打ちした、その時。わたしは咄嗟に行動していた。
よもぎちゃんに目配せすると、彼女は心得たとばかりに、音もなく天井のシャンデリアまで駆け上がり、小さな音の爆発を起こした。「パン!」という乾いた音に、犬たちの注意が一瞬だけ上に向く。
その隙を、わたしは見逃さない。
音を殺した足取りで二匹の背後に回り込み、柄の底で、それぞれの急所を正確に打ち据える。ヘルハウンドは、声も出さずにその場に崩れ落ちた。
「……やるじゃねえか、嬢ちゃん」
ナイが、初めて心の底から感心したような声を漏らした。
数々の障害を乗り越え、わたし達はついに屋敷の最奥、宝物庫の重厚な扉の前にたどり着いた。
ナイが慎重に扉の複雑な罠を解除し、中へ入る。そこには金銀財宝が山と積まれ、その中央の祭壇に、禍々しい紫色のオーラを放つ『忘却の砂時計』が鎮座していた。
「あった……!」
わたしが砂時計に手を伸ばそうとした、その瞬間。
カシャン!と背後で重い音が響き、宝物庫の分厚い鉄の扉が完全に閉じてしまった。
「しまった、重量感知式のトラップか! 砂時計を取る前に、同じ重さのダミーを置かなきゃならなかったんだ!」
ナイが悪態をつく。
次の瞬間、ギギギ……という不気味な音と共に、部屋の四方の壁が、ゆっくりと、しかし確実に、わたし達を押し潰そうと迫ってきた。
出口はない。頑丈な壁は、剣や爆発で壊せるような代物ではなかった。
「ちっ、しくじったか!?」
初めて見せるナイの焦りの表情。わたし達は、豪華絢爛な宝物庫という名の、鉄の棺桶に閉じ込められてしまったのだ。