第二章 第四話「湖畔の街と、開かない扉の宿」
3万G。目標の10万Gには、まだ7万Gも足りない。
ジャンクションのギルドでは、トラバーサルくまさんのような破格の依頼はそうそう現れず、わたし達の金策は完全に行き詰まっていた。
「はぁ……どうしよう……」
焦るわたしを見かねて、ギルドの受付のお姉さんが一つの提案をしてくれた。
「くろすけちゃん、少し気分転換も兼ねて、普通列車で地方に行ってみるのはどう? 湖畔の観光地『ウィローの街』にある名物宿屋が、人手不足で高給の料理人を募集してるって噂よ」
料理は得意じゃないけど、何か仕事はあるかもしれない。わたしはその提案に乗り、よもぎちゃんと共に、初めての鉄道旅に出ることにした。
ガタン、ゴトン。心地よい揺れに身を任せ、窓の外を流れていく景色を眺める。福々超特急ではないけれど、こののんびりとした旅も悪くない。つかの間の休息に、わたしとよもぎちゃんは少しだけ羽を伸ばした。
半日ほどで到着したウィローの街は、噂通りの美しい場所だった。きらきらと輝く湖を囲むように、可愛らしい建物が立ち並んでいる。
早速、お目当ての「名物宿屋」を訪ねたが、大人気で満室。人手の募集も、専門の料理人だけだった。
「どうしよう、今夜泊まる場所がない……」
がっかりして湖畔のベンチに座っていると、「お困りですか?」と人の良さそうな初老の男性が声をかけてきた。
「もし宿をお探しでしたら、私共の宿へどうぞ。少し街外れですが、静かで良いところですよ」
渡りに船、とわたしはその申し出に感謝し、「月影亭」という宿にお世話になることにした。
建物は少し古びていたが、中は綺麗に掃除されている。しかし、部屋に案内されて、わたしは首を傾げた。ドアに、内側からかける鍵やかんぬきがないのだ。
「防犯のため、鍵は私共で一括管理しておりまして」
宿主はにこやかにそう説明したが、なんだか胸騒ぎがする。夕食に出されたハーブティーは妙に苦く、よもぎちゃんは一口も飲もうとしなかった。
夜。わたしが寝ようとすると、よもぎちゃんがドアに向かって「フーッ!」と低い唸り声を上げ、しきりに威嚇を続けている。
(やっぱり、おかしい)
わたしはよもぎちゃんに「静かに待ってて」と合図し、音を立てずに部屋を抜け出した。廊下を慎重に進み、一階の厨房へと忍び込む。
そこまでは、普通の宿屋と変わらなかった。だが、厨房の奥にあった食料貯蔵庫の扉を開けた瞬間、わたしは凍り付いた。
棚に、他の宿泊客のものと思われるカバンや衣服が無造ゆさに積まれている。
そして、部屋の中央には、大きなフックに吊るされた、いくつもの巨大な肉塊。
それは、牛や豚の肉ではなかった。
「あらあら、お客さん。夜更かしは、お肌の毒ですよ」
背後から、ぬるりとした声がした。
振り返ると、昼間の人の良い笑顔は消え、氷のように冷たい無表情な宿主が立っていた。
まずい、と思った瞬間、足元の床が抜けた。
「きゃあ!」
短い悲鳴と共に、わたしは暗く、カビ臭い地下空間へと落下した。
ガチャン、と頭上で鉄格子が閉まる、冷たい音。
そこは、牢屋だった。
わたしは、この宿の、そしてこの街の、最もおぞましい秘密に触れてしまったのだ。
よもぎちゃんとも離れ離れになり、武器もない。絶体絶命の状況に、わたしは唇を噛みしめるしかなかった。