第二章 第三話「美食の街と、神出鬼没の熊」
下水道での死闘から数日。わたしは手にした1万Gを元手に、次なる金策に乗り出していた。ギルドの掲示板で、ひときわ美しいイラストが描かれた依頼書が、わたしの目を引いた。
【特別依頼:幻の食材『トラバーサルくまさんの霜降り肉』の調達】
【依頼主:三ツ星レストラン『黄金のフォーク亭』】
【報酬:20,000G】
2万G! これを達成すれば、目標金額の三分の一に到達する。わたしは受付のお姉さんから、その熊が「美食の街ポトフ」の近くの森にいるという情報を聞き出し、二つ返事で依頼を引き受けた。
合乗り馬車に揺られて半日。たどり着いたポトフの街は、香ばしいパンの匂いや、スパイシーな煮込み料理の香りで満ちていた。しかし、道行く人々の会話はどこか奇妙だった。
「昨日のディナーは、見た目のインパクトが足りなかったわ」
「希少価値こそが、美食の神髄ですよ」
この街では、ただ美味しいだけでは評価されないらしい。わたしは少し不思議な気持ちになりながら、街の猟師から情報を集め、トラバーサルくまさんが棲むという「迷いの森」へと向かった。
森の中は、その名の通り、木々の景色がどこも同じに見え、方向感覚が狂いそうだった。
しばらく進むと、ガサリ、と茂みが揺れる。いた!
そこにいたのは、普通の熊よりも一回り大きく、毛並みが虹色に輝いている不思議な熊だった。
「そこだ!」
わたしが剣を構えて駆け出すと、熊はふっと姿を消し、わたしの背後、数メートル離れた場所に再び現れた。まるで、空間を跳躍するように。
その後も、わたしの攻撃はことごとく空を切り、熊のトリッキーな動きに翻弄されて、すっかり疲れ果ててしまった。
「あーもう! どうすれば捕まえられるの!」
わたしが地面にへたり込んだ、その時。
「よぉ、また会ったな、嬢ちゃん」
頭上から、聞き覚えのある軽薄な声がした。見上げると、木の枝にナイ・エージェントが腰掛けて、にやにやとこちらを見下ろしていた。
「ナイさん! なんでここに?」
「俺はそいつの心臓が欲しい。裏の錬金術師が高い金で買ってくれるんでな。嬢ちゃんは肉が欲しいんだろ? 利害は一致してる。協力しねえか?」
わたしが頷くと、ナイは「交渉成立だ」と指を鳴らした。
彼は驚くべき手際で、森の木々に特殊なワイヤーを張り巡らせていく。
「こいつは空間固定の罠だ。これで、あいつのワープを封じる!」
ナイの言う通り、罠にかかった熊は空間跳躍ができなくなり、狼狽している。
「今だ、嬢ちゃん!」
「うん!」
わたしとよもぎちゃんが熊を追い詰め、ナイが死角から急所を突く。見事な連携で、あれほど手こずったトラバーサルくまさんを、ついに仕留めることができた。
わたしは依頼品の霜降り肉を、ナイは手際よく心臓を摘出する。
別れ際、ナイは意味深な笑みを浮かべて言った。
「福々超特急、ねぇ…。そんなもんに乗りたがるような奴は、大概がワケありだ。表の世界の人間か、裏の世界の人間か…。ま、どっちにしろ、嬢ちゃんは面白いことに首を突っ込んでるみたいだな」
ナイの言葉が、小さな棘のように心に刺さる。
わたしはレストランのシェフに肉を届け、報酬の2万Gを受け取った。所持金は、合計3万G。目標にまた一歩、大きく近づいた。
だけど、同時に感じていた。
わたしが目指す先には、ただキラキラした冒険だけじゃない、もっと深く、暗い世界の影が広がっていることを。
そして、その影の世界に、ナイさんは当たり前のように属している。
わたしは、一体どんな世界の扉を開けようとしているのだろうか。
一抹の不安を抱えながら、わたしは次の依頼を探すため、再びジャンクションの街へと戻るのだった。