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短編2

私への贈り物だと言うのなら

作者: 猫宮蒼



 そういえば、とふと先程見た光景を思い出して、ジュリアンは己の婚約者であるイレネスへとその疑問を口に出した。


「先程の……? あぁ、使用人たちが片付けていたものですわね。

 あれはね、お人形です」

「人形……?」


 人形と言われてジュリアンが思い浮かべたのは幼い少女が抱きかかえられる大きさのものだ。

 しかし先程使用人たちが数名で片付けようとしていたそれは、人形が入っているにしてはやけに大きな箱だった。あの中に人形が入っているとして、どれほどの量が詰め込まれているのか……はたまた、どれほど大きなものだったのか。

 それ以前に、ジュリアンはイレネスが人形を持っているなんて知らなかった。婚約してから五年が経過し、来年にはいよいよ結婚をするのだが、その間一度もイレネスが人形を愛でる様子はついぞ見た事がない。


 もしかして、自分には見せていないだけで今まで我慢を強いていたのだろうか……?

 そんな風にも思う。


 ジュリアンはイレネスの家へ婿入りする。

 今までは令嬢として人形を愛でる事があったとしても、これからは彼女こそがこの家の当主となるのだ。お人形遊びを卒業しなければ……と思って今まで大切にしていた物を処分する事にしたのかもしれない。

 そう考えると、ジュリアンはきゅっと眉根を寄せた。


「イレネス、無理はしていないか?

 その、もしこれから先、当主となって相応しくあらねばならないと思うにしても、今までの趣味をすっぱり捨てる事はないんだ。

 外ではそう見せなければならない部分もあるとはいえ、家の中でくらいは」

「問題ありませんわ。どのみち、そろそろ捨てようと思っていたものですもの」

「そう、か……」

「えぇ。本当はもっと早くに処分するべきでした。

 そう思っていたのは本当ですのよ?」


 そうね、とイレネスは呟いて、


「あれは別段趣味ではございませんでしたが、これからは折角ジュリアン様と共に過ごすのですもの。

 どうせなら二人で楽しめるものを新たな趣味としてみるのもいいかもしれません」


 そう言ってにこりと微笑む。

 その笑みにジュリアンは思わず見惚れて、


「そうだね。それがいい。きっと、楽しめる」


 なんて。

 浮かれた気持ちのまま頷いたのだ。


 もうこの時点でジュリアンの頭からは、人形の事なんてすっかり抜け落ちていた。



 ――イレネスには前世の記憶がある。


 前世の記憶を思い出したのは、母が死んだ時の事だ。

 前世で読んだライトノベルの内容と名前に、イレネスは自分がこの先虐げられる不遇のドアマットヒロインであると知ってしまった。


 浮気をしていた父がこの先、母が死んだ後喪に服すどころかあっという間に浮気相手を新しい母として家に連れ込む。更には、その相手と作った子どもまで。


 義理の母と義理の妹はこれから数年に渡ってイレネスをいびり、虐めぬくのだ。


 この家の正当な跡取りはイレネスだというのに、入り婿の分際で何かを勘違いした父はイレネスの事などどうでもいいものとして軽んじる。


 作品の最後の方ではそんなイレネスを虐げた連中が相応の末路を迎える事になるとはいえ。


 ちょっと落ちぶれて不幸な目に遭った後死ぬ。

 まぁ、話としてはいいのかもしれない。悪党には罰を。現実では悪党なんて蔓延ってマトモに裁かれるのなんて極僅か。それもあって、創作物の中の悪党が悲惨な最期を遂げるのは多少なりとも溜飲が下がるとはいえ。


 生憎イレネスにとって今ここは現実となってしまった。


 いくら最後はイレネスを虐げた連中が惨めな末路を迎えるとしても。

 その手前で発生するイレネスへのあれこれを、イレネスは甘んじて受けるつもりはなかった。

 当然だろう。知らないままならまだしも、既に知っているのであればこれからお前はいっそ死んだほうがいいんじゃないかと思うくらいいびられるし虐められるし尊厳破壊もされるけれど、ラストは報われるから頑張れ! とか言われてはいそうですかと言えるはずもない。


 大体、不幸な目に遭ってそれを耐えなければその後幸せがやってこない、とか言われてもだ。


 別に普通に生きていくだけなら、それなりの幸せはあるはずなのだ。

 不幸な目に遭ってからじゃないとイレネスが幸せになれない、なんてあくまで話の中だけで現実でそう定められたわけでもない。


 母が死に確かに悲しい気持ちはある。

 だが、その後やって来た後妻と義妹がマトモな相手であるのなら、少しばかり悲しさを引きずっても家族仲は良好になれたかもしれないし、特大の幸せなんてものがなくたって、ありふれたごく普通の幸せを得る事はできるはずだ。


 そもそもの話、虐げられたイレネスが最後王子様に見初められてハッピーエンドを迎えるとは言っても。


 それ、本当に幸せか? と思うわけで。


 虐げられて使用人同然、いや、それ以下の奴隷のように扱き使われてマトモな教育なんて受けさせてもらえないのに、その先で王子に見初められて、それで本当に幸せになれるのか? という話である。

 勿論ストーリーとして読む分には、それくらいでないと後の幸せ成分がしょぼく感じられるかもしれない。

 だが、現実的に考えたら王子とくっついた後も地獄である。


 教育を受けていたのは、母が死ぬ直前まで。

 多少の読み書きができてもそれだけ。

 そんな状態で、自分におきた不幸を耐えてある時王子がそんな薄幸の少女を見初めたとして。

 家柄的に王子の嫁になるのは問題ないとはいえどもだ。


 王妃として相応しくあれ、となれば待っているのは地獄のお勉強ラッシュである。

 その上でどうにか王妃として相応しくなれたとして、跡取りを産まねばならないし、生まれたら生まれたでそれなりに母としての立場もあろう。


 若かりし頃の青春時代と言っても過言ではない部分を虐げられて過ごして、その後は王妃として社会的立場がしっかりと固まったにしてもだ。

 その頃にはもう自分の好きな事をするにしても見つけるにしても、王妃としての立場を考えた上で趣味を作らなくてはならない。


 一見すると華やかな世界での暮らしではあるが、見えない鎖で雁字搦めもいいところである。



 前世の記憶を思い出さないままのイレネスであったなら、それを良しとしたかもしれない。

 けれど前世の記憶を思い出したイレネスからすると、城で過ごし城で仕事をするとか完全に職場に泊まり込みした社畜でしかない。在宅勤務ですらない。

 イレネスの前世的価値観では自宅は最低限自分がリラックスできる環境であるはずなので。


 旅行でちょっと豪華なホテルに泊まってそこがお城みたいな豪華な感じだった、とかであればテンション上がるかもしれないが、イレネスにとっての城はつまり日常ではない。非日常なのである。

 そこで、寝泊まりして仕事し続けて子育てまで……? と考えた時点で冗談じゃないなと思うわけで。


 というかそれ以前に、この家の正当な後継者はイレネスなのにイレネスが王子の嫁になって王妃になったらこの家どうなるのよ、という話である。生憎原作ではそこに一切触れられていなかった。

 家はなくなったのか、それとも他の遠い親戚筋から跡取りがやってきたのか。さっぱりである。



 母が死んだ直後だ、時間はない。

 イレネスに悩む暇なんてなかった。


 これから父が義母と義妹を連れてくるのを原作知識とはいえ知ることができたのだけは僥倖である。

 中盤の虐げられるシーンは何度も読みたいものではなかったので大分読み飛ばした感があるが、どのみちその展開は始めさせるつもりがない。

 序盤の、父がイレネスに向けて義母と義妹を紹介する時のシーンだけ一致してくれさえすれば、後はもうイレネスの完全勝利である。


 幸い使用人たちは誰がこの家の主人であるかを理解している。

 この先、義母が勘違いしてこの家の女主人面をし始めた後になると追い出されたりするけれど、その展開だって始めさせるつもりはない。

 忠実に我が家に仕えてくれる使用人と、勘違いした馬鹿どもと。

 どちらを大事にするかなんて、わかりきった話だ。


 前世の記憶を思い出す前のイレネスなら、まだ幼くこんな発想になんてならなかったかもしれないが、今のイレネスは前世で割と劣悪な人間関係を目の当たりにすることもあったので。

 人間ってなろうと思えばどこまでも残酷になれちゃうのよね……とすっかり悟りを開いたみたいな顔をして、長年仕えてくれている執事のトムへとまずは話を持ち掛けたのであった。



 ――結果として、原作は崩壊した。


 途中までは原作通りだったかもしれない。

 だがそれは、父がさも娘思いの良き父親面をしてクソみたいな発言をしたところまでだ。

 母が死んで悲しみもまだ癒えぬイレネスに、突然義母と義妹を紹介したところまでだった。


「イレネス、ごらん。新しいお母さんと妹だよ。

 君へのプレゼントだ」


 足りない頭しか持ち合わせていない父親は、自分は良き父であると信じて疑っていなかったに違いない。

 母が死んで寂しい思いをしているイレネスに、新しい家族を用意してあげよう。

 そんな言い分だったのかもしれない。イレネスがこれっぽっちもそんなものを必要としていなかったとしても。


 そもそも母がいながら浮気をして挙句その相手と子を作って、それを新しい家族だなんてよくもまぁぬけぬけと言えたものだ。

 イレネスが幼いからこそそれで押し通せると思っていたのだろう。

 確かに、原作ではそうなった。なってしまった。

 けれど今のイレネスは、原作のイレネスではない。


 執事のトムですらイレネスが母の死の前後で変わったと気づいたのに父は気付きもしなかった。

 トムの場合はイレネスの母が死んだ事で、イレネス自身これからはしっかりしなければ……! と思ったのだろうという風に考えたのだろうとは思う。前世の記憶がログインしたなんてまず予想しないだろうから。

 だが父は、イレネスのそんな変化にこれっぽっちも気付かずに、これからは自分がこの家の当主だという勘違いとともに浮かれ切って愛人だった女を新たな妻にして堂々と暮らせるなどと思いこみ。

 自ら地獄への入口へ飛び込んだのである。



 イレネスが注目したのは、義母と義妹をイレネスへのプレゼントだと父が言った事である。

 原作でもそんな風に言っていた。ただ原作と違うのは、イレネスが原作通りのイレネスではなくなった事と、この時点で既にイレネスはトムを通じて使用人たちへ指示を出していた事だ。

 母が死んだ時点で、次の正当なこの家の主はイレネスである。ただイレネスの年齢がまだ当主となるには幼いために、父親が代理となっていた。それを自分がこの家の当主だと思いこめた愚かさが、ラストで見事な破滅を見せてくれる事となったのだけれど。

 生憎と家の財産を食いつぶされるわけにはいかないし、ましてやそのために数年馬鹿みたいにしなくてもいい苦労をする事もない。ついでに、王子に見初められるのもごめんである。


 使用人たちが仕えているのはあくまでもこの家であって、当主になったと勘違いして浮かれ切っている馬鹿にではない。代理が代理にもなれないくらいの無能を晒してくれたのだ。使用人たちの眼差しがとても冷たい事にも気づいていないくらいの浮かれっぷり。

 使用人たちはあくまでもこの家を守っていく相手であれば父の指示に従っただろうけれど、次の当主であるイレネスを虐げる可能性の高い女狐とその立場を奪おうとしかねない泥棒猫を招き入れた大間抜けである。


 無いとは思うけど喪に服す期間が終わる前に……とイレネスが憂いたっぷりにトムや使用人たちに相談した内容がどんぴしゃすぎたのもあって、使用人たちは準備万端だった。


「お父様、今の言葉は本当ですの?」

「何がだ?」

「私へのプレゼント、ですわ」


 きょとんとした表情で問いかけたイレネスに、父は何もわかっていないように聞き返した。そうしてイレネスの次の言葉を聞いて、破顔したのだ。


「勿論だとも。母様が死んで悲しいだろうと思ったイレネスのために用意したんだよ」


 子供だから簡単にそれでまるめこめると思ったのだろう。

 これで喜ぶと本当に思っているのであれば、頭の中身を疑う。

 義母も義母だ。もしマトモな常識と良識を持ち合わせているのなら、そもそも父のこの提案をやんわりとでも物申しただろうに。義妹に関しては義母の教育の結果だ。ある意味で被害者かもしれないが、イレネスがだからといって優しくしてやる義理はない。どうせこのままでいれば、この先この義妹はイレネスの持ち物を何もかも奪おうとしてくるのだから。


「そう。この二人は今日からわたくしの物ですのね。それじゃあ早速飾らなくっちゃ」

 言って使用人たちへ目配せすれば、皆心得たとばかりに頷いて行動に移る。

 義母と義妹は最初何をされるかわかっていないような感じであったが、イレネスの言った「飾る」という言葉で恐らくドレスに着替えさせられるとでも思ったのかもしれない。余計な抵抗はされなかった。


 使用人たちに連れられていく二人を父は最初何事かと思ったようだが、悪いようにはされないだろうと思ったのか使用人たちの行動を止めるような真似はしなかった。

 イレネスにとっては余計な邪魔をしないだけマシかもしれないが、しかし父にとってはここがある意味二人を救えるラストチャンスだったのに。


 トムへ目配せすれば、トムもまた心得たとばかりに行動に移った。

 母が死んで父があの二人を家に連れ込むまで、猶予はほとんどなかった。だからこそ慌ただしくなってしまったけれど、それでもトムはやり遂げてくれた。有能な執事である。


 こっそり事前に呼んでおいた騎士たちに、この家を乗っ取ろうとした男として父を引き渡す。

 原作で読んで知っていたため、この家の財産に勝手に手をつけて愛人に貢いでいた証拠はとっくにトムが回収してある。父はどこまでいってもこの家の入り婿で、イレネスが当主になるまでの代理人でしかない。だが当主のように振舞い挙句勝手に家の財産も我が物とするのはいただけない。あくまでも父個人の財産の中から愛人に貢ぐのであれば、何も問題はなかったのだ。貴族が愛人を持つ事など、割とよくある話なのだから。


 前世風に言うのであれば、自分の給料から金をつぎ込む分には文句を言われないけど会社の金に手を付けた時点でアウト。つまりはそういう事だ。


 トムが渡した証拠と、騎士たちからの真っ当すぎる説明でようやく父は思い出したのだろう。

 自分がこの家の当主になる事はあり得ないという事を。

 なのにそこへ愛人だった女を妻として迎え入れ、挙句その娘までをも家に連れ込んだ。

 当主の妻とその娘と勘違いした二人が、イレネスを大事に扱うだろうか? という質問には、間違いなく多くの者が否と答えるだろう。

 マトモな女性であったなら、まだ喪に服す期間だというのに再婚しようという男の誘いを受けるはずがないのだから。当主の妻となったと勘違いし、邪魔な前妻の子を虐げる。よく聞く話だ。しかも自分には既に娘がいる。なら、将来自分の娘を家の当主に、と考えたとして。

 それは立派なお家乗っ取りである。

 いくら夫になった男が当主だと思い込んでいたから、と言ったところで既に再婚し、そうして屋敷に足を踏み入れてしまった。


 まだこの時点で義母も義妹も罪を犯したと言い切るには早計かもしれないが。

 父個人の財産ではなく家の資産からドレスや宝石を与えられていたので。

 貴族の財に勝手に手を付けた、という点で言えば。

 実行犯でなくとも共犯になってしまったのだ。


 一応イレネスも、義母になった女がこちらに話しかけるくらいの間は与えたのだけれど。

 こちらを子どもと侮ってか、さぁこれからどうしてやろうか、みたいな嫌な笑顔を向けていただけなので。

 身分で言えばイレネスより後妻の方が下である。向こうがどう思っていようとも。

 なのでまずあの女はイレネスに自分から挨拶をするべきだった。本来は身分が上の者から声をかけられてから返すのが常識ではあるが、この場合はそれでもそうすべきだったのだ。

 それどころか父のプレゼントという言葉を否定もしなかった。


 父が騎士からの説明に今更のように現実に引き戻されて顔を青ざめさせているところに、凄まじい悲鳴が響き渡る。

 何事かと思った騎士たちにトムが事も無げに伝えた。


「あの二人はお嬢様へのプレゼントだ、と言いましたので」

「あぁ、つまりは罪を軽くするための」

「恐らく」


「は、何、を……」


 どうやら父はまだ理解していないようだ。


「まだ理解していらっしゃらないのね、お父様。

 先程おっしゃったでしょう? わたくしへのプレゼントだ、と。

 じゃあ、わたくしがそのプレゼントをどう扱おうと構いませんわよね?」


 そう言われて父はぎょっとした目をイレネスへ向けた。


「新しいお母様、と言われても見た目も中身も何一つとして違うまがい物ですもの。それに妹だって別に欲しいとは思っておりませんし。

 でも、新しいお人形になら、と思いましたの」

 次いで響く悲鳴、いや、絶叫だろうか。

 それが父にとっては最愛の女が産んだ娘のものであると知り、父は咄嗟にそちらへ駆け出そうとしたけれど寸前で騎士に押しとどめられた。


 既に父はこの家を乗っ取ろうとした犯罪者としか見られていない。たとえ愛する女性とその娘が心配で駆け出そうとしただけであっても、逃亡の恐れありと見なされる。


「最後の最後で我が身可愛さにあのお二人を差し出したお父様、貴方のその非情さに免じて貴方だけは命を助けてあげましょう。ですが、もう二度とこの家に足を踏み入れる事は許しませんわ。これは次期当主たるわたくしの意思です」

「イレネス! 父に向ってなんてことを! それに、私を追い出したとして当主として今すぐお前に仕事などできるはずがない。一体どうするつもりだ!?」

「それについては母の実家でもあるラインツベル家にお話しをしてありますの。相応しい中継ぎを用意する、とのお返事でしたわ」


 母の実家には、母の姉がいる。あちらの家を継いだのが母の姉で、母はあちらの家から与えられた爵位を継いだ。

 本当に、トムの働きがあってこそだ。仕事が早くて有能な執事には相応の報酬を出さねばなるまい。


 代理人としても不必要、と実の娘であったはずのイレネスに告げられて絶句しているうちに父は騎士に引っ立てられて連れられていった。


 父が作っていた愛人は平民出身で、その娘も当然平民。いくら父が貴族の血を引いていようとも、彼は入り婿でその立場にいたから貴族としてまだやっていただけに過ぎない。実家から新たな爵位を与えられて、とかですらないのだ。もし、彼自身に爵位が与えられていたのなら。

 母と離縁した後であの二人を家族として迎え入れる方法がないわけでもなかったのに。



 本人たちが知らなかったとしても貴族の家を乗っ取ろうとした平民、となればまぁ無事で済むはずがない。


 父がプレゼントとして物のように言ってしまった事で、あの二人はその瞬間そうなり下がった。父にそのつもりがなかったとしても。あの二人にだってそんなつもりがなかったとしてもだ。


 正直いらないが、それでも折角もらったプレゼントだ。それなりに大切にするつもりで、まずは勝手に動き回られないよう足の腱を切り、それから騒がしくされないよう舌を切り落とすよう命じておいた。

 それゆえだろうか。絶叫が響いたものの、それ以降特に騒がしくはなっていない。


 はてさて、父は、それから使用人たちは果たしてこんなイレネスをどう思ったのだろうか。


 貴族ゆえの傲慢さと幼さゆえの残酷なまでの無邪気さ。

 そう思われているのであれば、まぁそれはそれでいいだろう。


 余計な事ができなくなったあの二人の事は、当面ご飯を与えて綺麗な服を着せて面倒を見るつもりである。先程父に言ったお人形として。

 パーティーには参加できないけれど、それでもあの二人が当初望んだ衣食住には困らないし、綺麗なドレスも着させて宝石で飾れば義母が望んだ贅沢な暮らしは叶えられる。義妹だって、イレネスのおさがりを与えられるより自分のための新しいドレスを与えられるのだ。ただちょっと、イレネスを虐げる事ができなくなってしまっただけ。それ以外は、彼女らが望んだ生活だ。自由に身動きがとれず、会話もままならなくなってしまったが。


 貴族と平民が結婚をする際、貴族が平民になるか、平民が何らかの功績を出し王から爵位を与えられるかだ。義母は平民のまま爵位を与えられる事もなく、であれば父が再婚した時点で彼は平民となった。


 平民になってしまった以上、彼はもう実家に帰ることもできないだろう。何せ家を乗っ取ろうとした罪状がある。そんな相手をいくら血を分けた息子だからとて、向こうの家が簡単に受け入れるはずもない。


 犯罪であると気づいたが直前で共犯者を差し出し自分だけは逃げおおせた、と思われるだろう事で貴族の家も平民のところにも身を寄せる事はできない。できなくなってしまった。


 父を受け入れたとして、仮にそれが実家もしくはそれ以外の貴族の家だったとしても、その場合家を乗っ取ることを良しとしている、と思われる。平民が受け入れるにしても、何かあれば自分が助かるために売り渡されるかもしれない、となる。


 故に、父の事を誰も知らない遠い地までいかなければ、きっともうどうにもならない。罪を償い牢から出たとして、生まれ育った国を捨て出ていかねばならないのだ。そうでなければあとはもう誰からも相手にされず野垂れ死ぬしかない。


 再婚するにしても、イレネスがこどもだからと軽くみないでせめて事前にきちんと話をしてくれれば。

 事前にあの二人とも顔を合わせる機会を作ってくれていれば、イレネスだってもっと別の方法をとったのだけれど。


 どちらにしても、もう起きてしまった事だ。今から無かった事にはできない。

 義母と義妹は貴族の家を乗っ取ろうとした男に自らの罪を軽くするため差し出された生贄となってしまったけれど。


 本来ならばその時点で殺されても文句は言えないが、イレネスは折角なのであの二人が望むような、綺麗なドレスと宝石と美味しい食事を与える事にしたのである。

 嫌な言葉を吐く事も暴力を振るう事もイレネスから物を奪う事もしないのであれば、当面は世話をしてやるのも構わない。そんな気持ちで。

 それに、もしかしたらそうやって大切に扱う事で愛着がわくかもしれない。あの父が愛した女とその子供だ。あの父の血を引いている自分も、もしかしたらこの二人を好きになれるかもしれない。虐げられる事がなければ、もしかしたら。


 そんな風に考えて世話をする事数年。


 母の実家からやって来た中継ぎに教育の手配をしてもらい、イレネスはすくすくと成長した。

 原作ではこの時点でマトモな教育からは程遠くなっていたけれど、今のイレネスは違う。淑女としても、次期女当主としても着実に相応しく成長していったのである。

 そうして結ばれた婚約。

 相手は勿論原作で結ばれた王子などではなく、お互いの家の利になる家格も釣り合いがとれる家の令息だ。


 ジュリアンはイレネスに好意を持っているようだし、イレネスもジュリアンを好ましいと思っている。

 お互いの家に通いお茶をしたり、街へ出て劇を楽しんだり。そうやって交流を重ねてきた。


 たまたまイレネスの家で会う約束をした日に、義妹だったお人形が動かなくなってしまったので片付けるよう指示をだしたが、ジュリアンはそれを見ても特に何とも思っていないようだった。

 ちなみに義母だったお人形は去年処分している。


 果たしてあの二人にとって、どちらの人生がマシだったかはわからない。

 原作のようにイレネスを虐げ最後に惨めで惨たらしい破滅の時を迎えるのと、自由を奪われ人形として世話をされるだけの人生。人形として世話をされているとはいっても、イレネスの気分一つでそのままどこかに捨てられる可能性もあった。それもあってあの二人の表情はいつも助けを求めるようにくしゃくしゃだったけれど。それでも一度面倒を見始めたのだから、イレネスは最後まで世話をするつもりだったのだ。


 もしジュリアンがそれを良しとしなければ、ジュリアンの目につかない形で。


 とはいっても、ジュリアンがあの二人を見る事もなく終わってしまったが。


 まぁ、幼い頃と違ってもうじき成人女性と言われるようになる年齢だ。

 だからこそ、お人形が今ここで片付いたのは、ちょうど良かったのかもしれない。


「もし娘が生まれたなら、その時のお人形はもっと手間のかからないものにしましょうね」


 イレネスは誰にともなくそんな風に独り言ちた。

 次回短編予告

 ありがちな婚約者を蔑ろにする男たちと、そんな男たちにうんざりしている婚約者の令嬢たち。

 彼女たちはこのままでは真実の愛がどうのこうのと馬鹿みたいな茶番に巻き込まれて婚約破棄をされるだろうなと感じていた。

 そんな茶番に付き合ってなどやるものですか。えぇ、愛想は尽きているので婚約は勿論なかった事にというのは賛成しますけれど。

 っていう感じの話。

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― 新着の感想 ―
ひえぇ……
ホラー風味のざまあ 恐ろしい……
まぁ強いて言うなら即処断されずにそういう扱いになった辺りだけホラー要素という話ではあるが…… 主人公がちょっと歪んじゃったっぽい発言してるのでほんのりではないですね……
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