八
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第四教育棟の屋上で、霧島は夜風に顔を上げていた。評価結果の通知から一時間。彼女の意識は、目の前に並ぶ標準機の存在に釘付けになっている。昼間とは異なる照明の下で、巨人たちは無機質な影を地上に落としていた。
「やっぱりここにいたのね」
振り返ると、綾瀬が缶コーヒーを差し出していた。缶から立ち上る湯気が、冷えた空気の中で白く渦を巻く。
「ありがとう」
「気にしないで。鷹見は?」
「技術資料室。情報分析の続きを」
「あの子らしいわね」
二人は黙って夜景を見つめる。遠くの演習場では、夜間整備が行われているのだろう。作業灯が、星のように明滅していた。
「実は」綾瀬が缶を握りしめる。「施設科の上司から連絡があったの。『今からでも戻ってこい』って」
「そう」
「霧島は?通信科は?」
「私の場合は」霧島は言葉を選ぶ。「むしろ推されたわ。『標準機の通信特性の解明に貢献できる』って」
綾瀬は小さく笑う。「なんだか私たち、それぞれの部署の思惑に振り回されてない?」
「そうかもしれない。でも」
霧島は標準機の巨体を指さした。「あれは、誰の思惑も超えた存在なんじゃないかな」
技術資料室から戻ってきた鷹見が、その会話に加わった。
「興味深い仮説を見つけました」
彼女の端末には、過去の実戦データが展開されている。
「標準機の特異な反応。あれ、実はパイロットの数だけパターンがあるんです。まるで...」
「まるで?」
「まるで、パイロットごとに異なる『対話』を試みているみたい」
三人は、その言葉の意味を噛みしめる。
「そう考えると」綾瀬が言う。「私たちに求められているのは、型にはまった操縦じゃないのかも」
「ええ」鷹見が頷く。「私たちの『特異性』は、むしろ必要なものだったんじゃないかって」
霧島は黙ったまま、夜空を見上げた。かつて通信科で覚えた星座の位置が、わずかにずれて見える。標準機の高さからなら、この光景はどう見えるのだろう。
「明日から」彼女は静かに言った。「本格的な訓練が始まる。基礎身体訓練、座学、そして...」
「実機との対面ね」綾瀬が言葉を継ぐ。「正直、怖いわ。でも」
「でも?」
「施設科で重機に乗ってた時も、最初は怖かった。それでも、機械って不思議なのよ。信頼関係が築けるの」
「情報分析でも同じです」鷹見がデータから目を上げる。「最初は無機質なデータの羅列に見えても、そこには必ずパターンが。そして、その向こうには...」
「意図が」霧島が言葉を継ぐ。「通信でも、ノイズの向こうには必ず、誰かの意図が」
月明かりを受けて、標準機の装甲が青く輝いた。それは脅威であり、可能性であり、そして未知との対話の手段。
技術資料室の灯りが、深夜を告げるように消えていく。明日からの訓練に向けて、休息を取らなければならない。
「おやすみ」
「また明日」
「...明日からが、本当の始まりね」
三人は別々の方向に歩き出す。しかし彼女たちの視線は、同じ場所に向けられていた。漆黒の巨人たちが、静かに彼女たちの決意を見守っている。