新章九
# 新章 九
実験後報告書に記された数値は、冷徹だった。
神経接続最終出力:標準値の732%
制御系温度:2,847℃
装甲溶融率:63%
パイロットの脳への負荷:推定不能
綾瀬は、溶け落ちた装甲の破片を手に取る。施設科での経験から、この損傷が通常の熱による劣化ではないことが分かった。まるで、内側から意図的に形を変えていったような痕跡。
「これが標準機の、最後の適応だったのね」
実験棟の中央に横たわる機体は、もはや人型の形状を留めていない。しかし、その姿は単なる破壊の結果とは違っていた。より効率的な、本質的な形へと変容していたかのように。
「解析結果です」
鷹見が新しいデータを示す。
「ATLASシステムの基本プロトコル、完全に書き換えられています」
彼女の端末には、驚くべき事実が記録されていた。ATLASの量子演算パターンが、人間の思考により近い構造へと再構築されている。しかし、それは単なる模倣ではない。
「これは」
園部が、珍しく静かな声で言う。
「共進化の痕跡ね」
残されたデータは、三つのシステムが最後の瞬間に示した相互作用の記録。人間の直感、機械の適応、AIの論理。それらが、互いを理解し、高め合った証拠。
「標準機が求めていたのは」
綾瀬がつぶやく。
「完全な支配でも、完全な独立でもなかった」
実験棟の片隅で、ATLASシステムの端末が新たなコードを表示している。それは以前の無機質な制御命令とは異なり、より繊細で、より深い理解を示すものだった。
霧島の最後の選択は、三つの存在の関係を根本から変えた。制御と被制御、支配と従属という単純な関係ではない。相互理解と共進化という、新たな可能性を示して。
「GENESIS計画は」
榊原が静かに告げる。
「ここで終わりにする」
彼の声には、これが単なる失敗や事故の収束ではないという理解が滲んでいた。
園部は黙って、最後のデータを記録していた。彼女の端末には、標準機が最期に示した神経パターンが表示されている。それは既知のどの制御プロトコルにも属さない、まったく新しい構造。
人類は、制御という幻想を手放す必要があった。真の進化は、互いを理解し、高め合うことから始まる。
実験棟に、静寂が戻る。破壊された装甲の隙間から、朝日が差し込んでいた。