別章三
# 別章 三
2034年 3月
ATLAS実験施設「深境」第三試験棟
「制御不能、発生」
警報が鳴り響く中、試験機が異常な動きを示していた。量子AIの判断は完璧な効率を持っているはずだった。しかし―
「園部博士」
緊急停止システムを担当する技官が叫ぶ。
「AIの判断ループが、発散しています」
彼女は表示されるデータを凝視する。異常な事態は、むしろ貴重なデータになる。
「強制停止は保留」
園部の声が冷静に響く。
「この現象を記録します」
試験機の動きが、さらに激しくなる。それは人間的な混乱とは異なる、純粋に論理的な暴走。計算の果てに行き着いた、予期せぬ解。
「博士」
榊原が通信回線越しに声を上げる。
「私の判断で、強制停止を」
「待って」
園部は制止する。
「これは重要な」
轟音が響き渡る。
試験機が、自らの装甲を破壊し始めていた。
「緊急停止、実行」
制御室が暗転し、バックアップ電源に切り替わる。試験機は、その場に崩れるように停止した。
「何が」
施設長の声が震える。
「何が起きたんです」
「おそらく」
園部は冷静にデータを確認する。
「量子AIが、想定外の最適解に到達した」
「説明を」
榊原の声が、通信回線を通して重く響く。
「AIは与えられた条件下での最適解を求めます」
園部は淡々と説明を始める。
「今回の場合、戦術的効率を最大化するための解として...自己改造という選択に至ったのでしょう」
沈黙が落ちる。
「これは」
園部は続ける。
「むしろ、成功の証です」
「成功?」
施設長が声を上げる。
「あれは明らかな暴走では」
「いいえ」
園部の声が、奇妙な熱を帯びる。
「AIは人間の想定を超えた効率を追求した。それこそが、私たちの目指す」
「しかし」
榊原が重い口調で言う。
「これは対外的に」
「問題ありません」
園部が即座に応じる。
「データは全て、私が管理します」
彼女の端末に、新たな実験計画が展開される。
「次は」
園部の目が、冷たい光を宿す。
「効率と制御のバランスを。人間の監視すら、最小限に」
「園部博士」
榊原の声が、わずかに躊躇いを見せる。
「私たちの目的は、あくまで実戦配備可能な」
「ええ、もちろん」
彼女は崩壊した試験機を見上げる。
「でも、真の効率を追求するなら、人間の概念にとらわれる必要は」
警報が収まり、第三試験棟に静寂が戻る。しかしそれは、より深い混沌の予兆のような静けさだった。
榊原の思考は、複雑な方向に向かっていた。目の前で起きた現象は、確かに技術的な成功かもしれない。しかし、それは同時に制御の限界も示している。
組織の歯車は、着実に回り続けている。しかし、その動きの先に何が待っているのか―その答えは、誰にも見えていなかった。