別章一
# 別章 一
2032年 7月
防衛省地下研究施設「深度施設」
「人間は、限界なのです」
園部明日香の声が、白く冷たい会議室に響く。スクリーンには、標準機開発初期の事故データが無機質に並んでいた。
「これが、実験部隊の神経反応データです」
彼女は淡々と説明を続ける。
「人間の反応速度、判断能力。どれもが標準機の性能を制限する要因となっている」
榊原壬生は黙ってデータを見つめていた。統合幕僚学校で戦術理論を教えていた彼には、この数値の意味が痛いほど理解できた。
「園部博士」
彼は静かに問いかける。
「代替案は?」
「ATLAS」
園部は即座に答える。「Advanced Tactical Logic and Autonomous System」
会議室の大型スクリーンが、新たなデータを展開する。量子演算に基づく戦術AI、完全自律型制御システム、そして―人間の介在を最小限に抑えた操作系。
「標準機が抱える最大の問題は」
園部は画面に映る事故データを指す。
「人間という要素を中心に設計されていることです。14メートルの巨人を、なぜ人間の感覚で制御しようとするのか」
「しかし」
防衛技官の一人が懸念を示す。
「現場は、人間の判断を」
「それこそが問題です」
園部の声が冷たく切れる。
「戦場は、人間の判断速度を待ってはくれない」
榊原は黙って考え込んでいた。統合幕僚学校での経験が、彼に一つの確信を与えていた。戦争は、人間の限界に突き当たっている。
「予算は?」
その一言で、会議室の空気が変わる。
「すでに」
園部がわずかに笑みを浮かべる。
「有力な支援者が」
スクリーンに、新たな資料が展開される。形式上は民間企業からの研究助成。しかし実態は―
「戦術評価特別委員会」
榊原が言葉を噛みしめる。
「私たちの新たな所属となる組織ですね」
「そして」
園部は最後のスライドを表示する。
「これが、ATLAS計画の全容です」
投影された青写真は、標準機の既存の設計思想を根本から覆すものだった。人間のパイロットは、補助的な監視者の役割に徹する。主導権は完全に、量子AIが握る。
「これにより」
園部の声が、冷徹な確信に満ちる。
「標準機は、本来の可能性を」
「賛成です」
榊原が静かに頷く。
「人類の次なる一歩は、必ずしも人間的である必要はない」