始まり
「うーーーん」
男はそう言ってベットの上で唸った
「どうしたものかねぇ」
男の名前は只野瑞希無職である、今は少ない貯金を切り崩しながら怠惰な生活を送っていた。
「ゲームも動画も仕事してたときにはあんなにやりたかったのに、やりたい放題になると飽きちゃうもんなんだなぁ」
そう言いながらスマートフォンを気怠そうにイジり、動画配信サイトのページをスライドさせていく。
「世界の心霊現象…大物芸能人のスキャンダル…未解決事件…あなたの知らない世界…もうどれも見たことあるやつばっかだなあ」
最早ルーティンと化していた動画配信サイト閲覧によって、目新しいものも少なくなっていたが一つの動画のタイトルが目にとまる。
「あ、3億年ボタンじゃん」
3億年ボタンーーそれはインターネット上で噂されるオカルト話である。思考実験といってもいいかもしれない。3億年ボタンと呼ばれるそのボタンを押すと、300万円が手に入る。その代わりに押した人間は意識が何もない空間へと飛ばされそこで3億年の時間を過ごすことになるというもので、そこでの記憶は残らない、ボタンを押した人間はその記憶がないため、いきなり眼の前に現金が現れるというお話である。
「この話好きなんだよなー俺だったら記憶に残らないんだから何度も押しちゃうけどねー…はぁ」
瑞希はそう言って溜息をついた、そう、正直なところ彼は人生に疲れていた。
「運動も勉強も人並み以下…せっかく就いた仕事も人間関係が上手く行かずに退職…友達も彼女もいない…貯金だっていつ尽きるかわからない…やることと言えば動画を見るだけ…俺の人生…いや、俺ってなんなんだろ…」
そう言ってベットで寝返りを打つと背中に痛みが走る。
「いてっ、なんだ?」
ベットから起き上がり痛みの原因を探すとそこには見慣れないものがあった
「なんだこれ…?」
ベットの上にあったのは何かのスイッチかボタンのようなものだった。しかし、そこにあるのはスイッチと土台だけであり、起動させる何かが見当たらない
「ガチャガチャか何かのおもちゃか…?」
そう言ってそのボタンのようなものを拾い上げると、裏に何か開閉できそうな箇所があることに気づく。
「あくのか…?」
そう言って開けてみると中に折りたたまれた紙が入っていることに気づく。
「えーっとなになに?これは100万年ボタンです、押すとあなたの価値に見合った現金が出てきます。しかし!ボタンを押すとあなたの精神体は⬛⬛⬛に転移し、100万年の時間を過ごすことになります!帰って来たときその記憶は残りません。免責事項おわり…なんだコレ」
「なんか変なおもちゃだな」
そう言って手のひらの上でボタンを撫でている
「まぁ、押せば少しは気が紛れるかな」
そう言って彼はボタンを押した押してしまった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
「!?」
「なんだ?今一瞬意識が、飛んだ?」
ファサッ
「?!な…何だ」
そこには紙のようなものが落ちていた。
「1万円…?」
それは日本国紙幣の一万円であった
「え、何で?…嘘だろ?」
手触りを確かめ、透かしを確認する本物のようだ。
「え…本物なのか本当に存在したのかよ」
ボタンはまだ手元に残っている
「は…ははははは!やった!やったぞ!これでお金の心配はいらない!100万じゃなくて1万なのは残念だけど!何回も押せば関係ない!」
そういうやいなや彼はボタンを連打した
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
一体何回押したのだろうか、気がつくと部屋の床は一万円札で埋まっていた。
「はっ?!お…おお、おおおおお!やった!やったぞ!大金持ちだ!100万円以上はあるだろこれ!!!しかもこのボタンがあれば無限に出てくるんだろ!?」
そう言って手の平に握っていたはずのボタンを見る…がそこにボタンは無かった
「ん?あれ?どこへ行った?」
部屋を探すが見当たらない、3時間ほど探してはみたもののーー。
「駄目だ、どこにもない、クソッ!」
「ま、まぁ見つからないのならしょうがない、きっとどこかにあるはずなんだ、そのうちでてくるさーーそれより」
彼は1万円札の塊に目をやった
「これだけの大金だ!やりたいことなんでもできるぞ!」
「そ、そうだな、まずは美味しいものを食べよう!寿司だ!回らない寿司なんて食べたことがない!よぉーーし!行くぞ!」
そう言って鞄に1万円札を詰め込むと夜の街へと駆け出したのである
「す、すごい!カウンター席からネタが見える!」
始めての回らない寿司屋に来て瑞希は大興奮である。そんな彼を見て隣に座っていたスーツを着こなした男性とその彼女だろうか?奇麗な服を着た女性が苦笑している
「あっ、す、すみません」
サラリーマン風の男性が話しかける
「キミ、お寿司ははじめてかい?」
「え、えっと回転寿司は行ったことあるんですけど、こういうところははじめてで…」
「そうかい、寿司はイイぞ?せっかく食べるなら最高のものを食べるのがいい、それが心を豊かにしてくれる」
「は、はは…」
そう言ってチラリと女の方を覗き見る…美しい女性だ、女性に縁がない彼にとって、とても眩しく映った
「ん?なんだ、真由美が気になるのか青年」
「え?!えっと!いや!す、すみません!!」
慌てて視線を反らし謝罪する。
「ははは!しょうがないな君は!真由美が美人なのはわかるがね!人の女をジロジロと見るものではないぞ!」
「す、すみません…」
なんとも居心地悪くなり体を萎ませる。
「ははは、そうだな青年よ、女は良い、男を輝かせるのは女の愛情だ、君も愛すべき女を見つけることだな」
「女性…ですか」
わかっている、何度願ったことだろうか、恋人が欲しいと、しかし年齢=彼女居ない歴の彼にとってそれは縁遠いものだった。
「さぁ、青年よせっかく寿司屋に来ているんだ何か注文してはどうかな?」
その通りである。自分はここに寿司を食べに来たのだ。はしゃぎすぎてまだ注文すらしていなかった。
「で、では!おすすめをお願いします!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
お寿司屋さんのお寿司はとても美味しかった。同じ生魚なはずなのに回転寿司とはここまで違うのか、シャリ、ネタの大きさや鮮度、どれもが最高であった。
「ごちそうさまでした!店長!」
そう言って会計をすませているとスーツの男が声をかける
「よほど美味しかったようだな青年」
「はい!お話してくれてありがとうございました!…えっと」
「ああ、名乗っていなかったな!私は原二だ」
「あ、原二さんありがとうございました、真由美さんも、私は瑞希っていいます」
「そうか瑞希くん今日は楽しかった!もう暗いから気をつけて帰るんだぞ!夜は怖いからね」
横にいた真由美も声をかける
「またね、瑞希くん」
「はい!お二人もお気をつけて!」
「ははは!私が付いているから心配いらないよ!ではな!青年!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
「…ねぇあの子」
「あぁ分かっている。同じモノを感じる、が」
「擦り切れている」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
瑞希が外に出てスマートフォンを見れば10時を過ぎている
「ふーー…」
先程あった源二さんと真由美さんを思い出す。
「女の人…かぁ」
何度も言っているが瑞希に恋愛経験はない、学校の中のカップルを見て何度もやきもきしたものだ。あの二人を見てやはり羨ましいと思っていた
ぽつぽつと歩きながらそんなことを考えていると前から誰かが声を掛けてくる
「ハイお兄さん!これからのご予定は?」
「え、えっと…?」
「2軒目はどうですか?キャバクラとか!」
「キャ、キャバクラ?」
「ええ!安くできますよ!」
キャバクラ、女性の人とお話できる場所だ、昔の自分ではお金がなく、行くことは無いところだと思っていたところだ。しかし、今の自分にはお金がある、それにー…あの二人を見ていて自分も女性と話したいと思っていたのである
「わ…わかりました、お願いします」
「はい!じゃあこっちなんで!案内します」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「こんにちは〜!今日はよろしくお願いしま〜す!」
「こ、こんにちは…」
初めてのキャバクラ。内装は綺羅びやかで、たくさんの人が居る。眼の前には綺麗な女性。それらすべてが瑞希を緊張させるには充分だった
「お飲み物どうされますかぁ?」
「えっと…じゃあビールを下さい」
「は〜い」
さて、キャバクラに来たはいいが何を話せば良いのだろう。彼にはさっぱりわからない
「緊張してる?」
「え!?ええ…と、は、はい」
「緊張しなくて大丈夫だよ〜、ゆっくりお話しようね」
「あ、ありがとうございます」
「どんなことが好きなの〜?」
「え、えっと動画配信サイトを見るのが好きで…」
「へ〜私も結構見るよ~どういうのが好きなの?」
「オカルト系のものとか…」
「へぇ~そうなんだ〜…」
他愛のない話をしている。楽しい、楽しいはずだだが何だ?この違和感は?
「あ〜私飲みきっちゃった〜おかわりしてもいい〜?」
「あ、う、うん」
「やった~ありがとう〜優しい〜」
なんだろう…自分を見ているようで見ていない…?
まるで餌を見ているような…?この目線は?
「ほら〜全然グラスあいてないよ〜もっと飲んで〜」
「は、はい」
自分が本当に求めていたのは…女性との会話はこれだったのか?優しくしてくれるのは仕事だからじゃないか…?自分勝手な話だがそう考えてしまった瞬間何かが冷めてしまった。
「す、すみません今日はもう帰ります」
「え〜もう帰っちゃうの?」
「すみません、なんだか体調が悪くて」
「え〜わかった〜また来てね」
「お会計お願いします…」
すると厳つい見た目の男性が現れ会計札を見せる
「…なんですかこれは?」
いくら初めてキャバクラに行く自分でもわかる40万円はおかしい。…これがボッタクリってやつか
「何か問題でもある?払えないの?」
…払えはする、しかし…もうボタンも無い中40万円を失うのは痛い…
「え…えっと」
「払えねぇなら金貸してくれるとこ知ってるからさぁ、そこ行こうや」
くっ…それは面倒だ…仕方がないここは勉強料として払ってしまうか…
「わ、わかりました…払います」
そう言って鞄からお札を取り出すと
「ほぉ〜なるほどなぁ…あーー悪いな兄ちゃん勘定間違えてたわぁ」
「え…?」
「ここがこうで…これを加算するとぉ…100万だったわ!ごめんなぁ〜」
ふざけている。こいつはむしれるだけむしろうとしている。このままでは全財産もっていかれる
「ふ、ふざけないでください、もう帰ります」
「そうはいかねぇよ」
男が胸ぐらをつかむ。嫌だ、怖い、なんでこんなことになってるんだ。
「ぁ、ぐ」
「飲むだけ飲んでサヨナラ〜はないだろ有り金全部でいいからおいてけや」
「は、はな…」
「あぁ?」
「はなしてください!」
そういって片手で相手の胸元を押した、その隙に逃げようと思ったのだ、しかし
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
嫌だァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!
こここここここここここここのががががががががか
だして出してダジ手出しでダジで出して出して出して出して出して出して出して出して出してだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしてだしでしだださだだしてだしてだして
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
脳裏に何かが浮かぶ。それと同時に
ドゴォオオオオオオオオン!!!!!!!
物凄い衝撃音が鳴り響く
しかし衝撃音を気にする余裕などなかった
なぜならそのとき瑞希は
「おええええええええええええええええええ」
激しい嘔吐、顔は、涙でぐじゃぐじゃになっており失禁していた
何だ?何だ?何だ?何だ?怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
脳裏に溢れた謎の記録が心を魂を酷く痛めつける
最早たちあがることすらできない
「テメェ…覚者かよ」
先程の男が服を乱した様子で近づいてくる、まさか自分が吹き飛ばしたのか?まさか?俺はそんな力はない
霞む目で捉えたのはひっくり返ったテーブルと騒ぎ立てる従業員、そして先程の女性だった
「なんだか美味しそうだと思ったらそういうことね」
話していたときとは口調が全く違う、こっちが本性か、なんてことを考えていると、先程の男が口を開く
「ただの人間なら金を運ばせるだけ運ばせたんだがなぁ」
「こんなご馳走ならさっさと喰っちまうに限る」
男から何かが出てくる。黒く昏く深くこの世のものではないような何かが男の中から這でてくる。そしてそれは形を成し獣のような何かとなった
「こんなゲロまみれの野郎なら簡単に喰えるな」
そういうやいなやソレはまっすぐに自分に突っ込んでくる。
「う、ぐ」
辛うじて体をよじり躱すがそれ以上のことが出来ない
「まるで芋虫だなァ!丸々してて美味そうだ!」
周りを見渡す、だれか、だれかいないか、たすけて、たすけてくれ、しかしー
周りに居たのは眼の前にいる化け物と同じモノばかりだった。従業員も女性も全て。辛うじて確認出来る人間も、皆逃げ惑い、化け物に襲われていた。
「ーーーーーーーーーーだめだ」
頼れる人、助けてくれる人なんていない。それどころか助けて欲しい人がいるのだ
「わけがわからない…なんなんだよ」
そう言いながら震える足に力を込める、まだ、立てる
「俺に価値なんてない、精々が一万円だ」
吐瀉物が逆流し、涙で崩れた顔を拭う
「なら、せめてーーーーーーーーーーーーー」
もう一度足に力を込める
「一人でも逃がせる時間を作る!!!」
駆け出す
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
速い、自分はこんなに速かっただろうか、いや、今はそんなことどうでもいい、とにかく今は眼の前の怪物にーーーーー
「ドンッ」
思いっきりタックルをかました
バゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!
怪物が吹き飛びそのまま店の壁が吹き飛ぶ
「はぁはぁはぁはぁ…」
何なんだこれ…何なんだ?しかし今考えるべきことはそれではない
「あらまぁ」
女の声の化け物が近づく
「随分荒っぽいねぇ、まるで戦い方を知らないみたい」
そう言うと鋭い蹴りをかましてくる。俺はそれを避けれるはずもなくーーーー
バキッ。
何かが折れる音がした
「ーーーーーーーーーーーーぁぁぁぁぁあ!」
痛い、熱い、吐きそうだ。これまで経験したことのない痛みが走る。
「か、は」
ーーーあぁ、終わりかな。この痛みじゃ立てない
意識も飛びそうだ
お客さんは何人か逃げられたかな、可哀想にボッタクリな上に命まで危なくなるなんてーーー
俺もツイてないなぁ、美味しいお寿司を食べて帰っておけばよかったのにな、そもそもボタンを押さなければこんなところにいなかったのにーーそんなことを考えて目を瞑る。
「サヨナラ、俺の人生」
「まだサヨナラには早いぞ青年」
聞き覚えのある声がする、さっき会ったばかりの声が
「一人で怪物の巣を潰そうなんて大分無茶する」
「源二…さん?」
スーツの男源二がそこに立っていた。隣には真由美さんもいた
「なん…で」
「これが俺達の仕事だからな。大きな音がして立ち寄ってみればこれだ」
「余りおしゃべりはしていられない、まだ助けなければならない人は残っている」
そう言うと彼は拳銃のようなものを構え怪物に向ける
「成佛したまえ」
引き金が引かれると光の球が飛び怪物を撃ち抜く
一体、また一体と光球は怪物を捉え殲滅していく
「凄い…」
自分はただその様子を見つめていた
いつしかあれだけいた怪物達は居なくなり
静寂が訪れた
「あ、りがとう、ございました」
「酷い怪我だ、あまりしゃべらないほうがいい」
「病院ー、く、休、」
ーーなんだろう、よく聞き取れない
あぁ、もうー、意識がー
そうして俺は意識を手放した