「人を殺す力」
幾重にも重ねられた包みを、少年は解いていく。いたいけな小動物でもなでるように、少年の手が交差する。その度に包みの秘密は脱ぎ捨てられる。初夏の日差しが、土手に芽吹く緑を鮮やかに反射する。ゆるやかな午前の清浄さが、目に映るすべてを平和な世界化のごとく演出する。風は芝生をくすぐる。太陽はあくまでも慈悲深い。
執拗に包みの中のもの愛でる少年の仕草は、平和な風景の平和な仕草に見える。遠目には黒猫とでもじゃれているように写る。陽気な日差しを受けてさえ、冷徹に輝く銃身でさえ。
人を殺す力、少年は声に出さずにつぶやく。両手にずしりと量感をもって伝わってくる、暗く不吉な予感は、確かにその力を感じさせる。突き出した黒い銃身を猫の手のように愛でる。黒は不自然なほどに重い。頭上の陸橋を、轟音と共に私鉄が通過する。カエルが川面に飛び込む。水紋が幾重にも輪をなし、標的のように印を作る。少年は丁寧に、壊れ物でも扱うように構える。重みを味わうように緩慢な動作は、少年をより高揚させる儀式となる。
銃口を水紋の中心に据える。冷えた鋼鉄の塊が、夏の日を吸ってか、熱を帯びる。少年にはその熱が、力の脈動のように感じられる。人を殺し得る力の脈動に感じられる。再び頭上を私鉄が通過した時、水面に新たな波紋が穿たれる。
チャイムが鳴り終わるまで聞き届けて、少年は校舎に入る。廊下には同じ制服の生徒たちがあふれている。少年は匿名的空間を進む。雑多な会話と煩雑な足音の中に、少年は埋没する。少年の肩に食い込む鞄の重みが、少年の顔を否応なく上気させる。地を這うような沈黙した重みに、雑音が吸い込まれるように感じる。
少年が持つ人を殺す力が、少年に静寂をもたらす。凍てついた氷のように鋭利な沈黙の中で、少年は自分の熱だけを感じる。誰も少年に気づかない。少年も誰にも気づかない。少年には、鞄の重さだけが感じられる。
教室に入る。自席につく。遅れてきた少年に声をかける生徒はいない。足元に鞄を置く。ゴトリと不自然な音がする。少年の存在と同様、音も誰の気にも止まらない。そもそもこの世界では、誰も誰の気に止まらない。少年も誰も気にしない。誰もが、誰も気にしない。少年は、足元の鞄にだけ集中する。少年の意識は、鞄から離れない。力はまだ熱を帯びているようにも感じられる。それは少年自身の熱かもしれない事を感じる。
いくつかの日常的なイベントが無感動に過ぎ、何度目かの同じ遅刻の言い訳を告げ、常に聞き飽きている鐘の音が響くと、行き場を失った意識が出入りを繰り返すうちに、然るべき時間が経過して、然るべき手順が踏襲され、授業と学業と義務の終わりが告げられたのち、校舎から緩やかに流れ出る、下校する生徒の波に紛れるうちに、少年は自分の見分けがつかなくなる。
少年は家路につく。初夏の鮮やかな夕日が住宅街を照らす。歩を進めるごとに影が伸びる。マンション郡を通過する。無個性なドアが等間隔に並ぶ様は、少年にウェハースの菓子を想起させる。教室を思い出す。等間隔に並んだ同級生の顔は、少年のイメージの中で夕日に霞んでゆく。スーパーの前を通る。店の前に雑然と野菜が並ぶ。雑然とした広告の文字に、雑然と主婦らが群がる。授業を思い出す。詰め込まれた教師の言葉を、少年は思い出せない。
家々も影を伸ばす。狭い路地を窮屈そうに車が抜ける。アスファルトは昼に貯めた熱をなお、放射している。背中に汗をかく。少年の肩に鞄の重みがかかる。まだ夜には早い町の風景は、まるで昨日撮った写真を貼り付けただけのように、無作為に見える。少年は肩の重みを確かめる。
家に着く。建売一戸建てのドアには簡素な表札がかかる。表札の名前でかろうじて区別される、同じ型の住居が並ぶ。壁の淡い桃色が強い夕日を受けて、輪郭を失いかけている。
母親との会話はマニュアル化された肯定で完了する。意味と意義のない問いかけに、少年はすべてYESを応答する。儀式的なやり取りを終える。自室に入る。ベッドに腰掛け、鞄の上から包みを何度も確認する。幾重にも隠された秘密の奥に、隠しようのない硬い力が指に触れる。力はそこにある。形を指で辿る。重さを確かめる。確認をする。存在を。力の大きさを。
日が十分に暮れた後、父親が帰宅する。YESで完了する質疑応答が繰り返される。少年の肯定は、記号化された会話の中を埋めるピースとなる。少年は役割を認識している。そして夜が更ける。
そして、夜が更ける。川原には再び少年の姿がある。静まり返った土手に佇む。等間隔に並んだ街灯が、かえって暗がりを強調している。対岸にも並んだ街灯は、単調なメッセージの応答に見える。昼には影を、生きる命を映していた川面には、夜闇の光のみが、おぼろげに伸びている。時折水面がざわめく。噂話のように次の光、次の影へとざわめきは伝播する。昼のまぶしいまでのにぎやかな色は消えている。光の代わりに、夜の黒が隅々まで染める。昼にはなかった色で塗りつぶされる。
少年の包みを解く仕草には、昼と対照的に色がない。鋼鉄の力を手にする所作にも熱情が失われている。少年の手には人を殺す力がある。血を噴出し、骨を砕く力がある。呼吸を止める力がある。報道を騒がす力がある。圧倒的で冷徹で、無機質な暴力がある。少年は確かにその力を感じる。重さが確かな実感としてある。少年は構える。力の限り握り締める。力の熱は戻らない。
少年の手には強力な力がある。力を持った少年の日常は平坦に流れる。午後は午後として流れ、授業はわずかな変化すら忘れたように進み、家庭では昨日と同様の会話が繰り返される。夜はただ静かに更ける。力は日常を変えることはなく、時間を変えることはなく、感情にさえ変更が起こらない。少年の力には感想さえない。少年は冷えた銃身をこする。硬い輪郭を何度もなでる。力の熱を呼び戻そうとする。土手を過ぎる車が光を投げかける。愚鈍なライトに照らされて、銃口がギラリと応える。反射的に少年は怯える。力の存在に怯える。
力は確かに存在する。しかし力の存在で少年の日常が変わることはなく、その魅力は太陽と共に失せた様に感じられる。力は存在ではなく、行使によって具現化することを少年は学ぶ。引き金を引く。その力は、少年を殺す。
(完)