面影を想う
その日はとても寒い日だった。
しんしんと降る雪は幻想的でどこか儚かった。
手を伸ばし、舞い落ちた雪を一つすくう。
その雪を大切に、大切に握りしめる。
雪はすぐに溶けて無くなってしまったが、僕はずっと握りしめていた。
心の奥底にある無くしてはならない大切なものを抱えるように。
これは、神様が人間と関わっていた時代。
人間と交わることを容認されていた時代。
僕 河原慎之助は農家である両親を手伝うべく、毎日畑仕事に励んでいた。
成年していないからといって仕事は甘くならない。
手にまめができ、擦り切れてしまうほど鍬を握り、筋肉が悲鳴をあげて夕方にはほとんど動けなくなるぐらい働いていた。
僕の村では、毎日神社にいる神様に挨拶をする。
神様は姿を見せない。
すだれを通して挨拶をする。
声は中性的で、男か女かわからない。
神様はいつも「ありがとう」という。
採れたての野菜を奉納し、挨拶を交わしていることにいちいちお礼を言うなんて、律儀な神様だと感心する。
いつも通り畑仕事に行こうとすると、雪が降ってきた。
その日は朝から酷く冷えていたので、雪が降るだろうと予想はしていた。
「雪が降ってきたな...。今日は早く畑仕事を終わらせよう」
独り言を呟き、畑へ向かう。
畑へ向かう小道は基本的には僕の家族しか通らない。
今日は、僕だけが畑仕事を行う日だ。
そのはずなのに...
誰かが歩いてくる音がする。
さく、さく、さく。
誰だろう...雪が降る寒い日に...
前から歩いてくる人物が鮮明となる。
女の子だ。
歳は僕と同じくらい。髪は...銀色? 降ってきた雪と同じくらい透き通っている銀色だ。
僕は一目惚れをした。
あまりにも美しく、儚い彼女に。
鼓動が速くなる。とても寒いのに体は熱い。
その場所から動けなくなる。
その間に彼女が近づき僕に、
「いつもありがとう。」
と雪にかき消されてしまうくらい小声で言った。
なんの...ことだろうか。
「え...?」
僕は聞き返す。
彼女は「あっちにとても綺麗な場所があるから一緒に来て欲しい」
と言った。
僕は素直に従ってみることにした。
ついていかないといけない、そんな直感がしたからだ。
道中、思い切って話しかけてみた。
「君はどこからきたの?」
「私はこの近くから」
「こんなに寒い日になんで外にいるの?」
「私は雪が降る日が1番好きなの。」
「雪が降る日が1番好き?こんなに寒いのに?」
「寒くないの。世界がきらきらしているから」
「ふうん。確かに世界がきらきらして見えるよね」
他愛もない会話をしながら、彼女から指示された道へと進む。
彼女はよく笑う子だった。
僕は彼女に気付かれないように笑顔を見ていた。
彼女は、
「うさぎ!」と声をあげた。
「どこ?」
「ほら、あそこ!雪に隠れてるけどいるよ」
「どこ...?見つからない」
「あそこ!ほら!」
そう言って彼女が僕に近づいた。
とてもドキドキした反面、どこか懐かしい香りがした。
うさぎは結局僕には見つけられなかった。
...不甲斐ない。
「あのうさぎ、喜んでた」
「なんでわかるの?」
不思議に思って僕は聞き返す。
「それは秘密なの。うさぎと私の。」
なんだかよくわからないが、彼女がとても嬉しそうだったので、僕はそれ以上聞かなかった。
彼女に案内される道をひたすらに進む。
進んだ先に見えたのは、
雪に覆われた真っ白な大地に、村一帯が見渡せることができる、遠くには海も見える見晴らしのいい場所だった。
「私ね、ここから村のみんなと海を見ることが好きなの」
「大切な何かを失わない為にも、よくここに来るの」
彼女が紡ぐ言葉はなんて綺麗なのだろうか。
一つ一つの言葉が、僕の心に染み渡る。
しばらく2人とも無言で景色を眺めていた。
聞こえるのは雪が降る音と、2人の吐く息だけ。
「また...ここで会える?」
彼女が呟く。
「うん、もちろん」
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それから僕らは雪が降る日に逢瀬を重ねた。
僕は毎日彼女が来ているか確認をしていたけど、彼女が現れるのは決まって雪の日。
彼女と会っている間は、嫌なことを全て忘れることができた。
幸せだった。
ずっと一緒に話をしていたいと思った。
ある日こんなことがあった。
雪の重みに耐えきれず、潰れてしまった花があった。
元は綺麗な花だったのだろう。
しかし、今は雪が被さってしなしなになっている。
どう頑張っても生き返らせることは難しい。
「命は儚いね。雪の重みに耐えきれず、花は死んでしまった。それは、必然なのかもしれない。だけど、みる人にとっては理不尽に感じるよね。」
彼女はそう言い、花に被さっていた雪を丁寧にどけてあげる。
花は生き返らない。
死んだままだ。
だけど、少しほんの少しだけ花が嬉しそうにしたような気がした。
花を慈しむ彼女の横顔は雪に照らされて真っ白で、
とても綺麗で触れるとすぐに壊れてしまいそうなぐらい儚かった。
僕も近くに花を見つけたので、
「花が風邪をひかないように」
と、木の葉と木の枝で傘を作ってあげた。
彼女は僕の様子を見て、柔らかく微笑んだ。
――――――
いつものように畑へ向かっているとふと、春の匂いがした。
雪はまだしんしんと降っている。
だけど、春の匂いがするのは...
「もう春を迎える準備をしているのね」
彼女はそう呟いた。
彼女も春の匂いを感じ取ったのだろう。
「春が来るのは待ち遠しい?」
そう彼女に質問された。
「待ち遠しいよ。冬は寒い。作物も育たない。春になれば、暖かい陽気の中で満開の桜を見ることができるんだ。君は?」
僕はそう返答し、彼女も同じ答えだろうと期待した。
しかし、予想していなかった答えが返ってきた。
「春が来るのは悲しいの。春は私から全てを奪うから」
僕は、予想外の返答になんと返事をしてよいかわからなかった。
そのまま歩き続ける。
無言だ...
さく、さく、さく。
雪をかきわけて2人が歩く音だけが聞こえる。
僕は頭の中で彼女が言った言葉を繰り返していた。
春は...私から全てを奪う...?
どういうことだ...?
僕は我慢できずに彼女に尋ねた。
「春が奪うって、何を奪うの?」
彼女は質問から少し間をおいてぽつりと答えた。
「私を奪うの」
...私?どういうことだ...?
だって君はここにいるじゃないか...
「今日はこれでおしまい。またね。」
彼女はどこかへ去っていった。
いつもどこに帰るかは教えてくれない。
―――――――
春が本格的に近づいている。
畑へ向かう道の桜の蕾が少しふくらんできた。
その日は、雪が少しだけ降っていた。
いつものように彼女がいるか確認へ行くと、彼女はまっすぐと僕が来る方を向いて立っていた。
油断していると吸い込まれそうな瞳。
まっすぐ、意志が強い瞳。
いつもの柔らかさはない。
彼女は何かを決意している、そう感じた。
僕が彼女に近づくと
「慎之助。」
初めて名前を呼ばれた。
透き通る声だ。
顔が火照る。
嬉しい。
名前を覚えていてくれたんだ。
僕の喜びなどつゆ知らず、彼女は話を続けた。
「私の名前。ずっと言えてなかった。私はほのり。ほのりなの。」
ほのり...とても可愛い名前だ。
しかし、なぜ今になって名を告げる?
そして、何故確かめるように名前を口にするのだ...?
「...ほのり...」
僕は思わず呟いてしまった。
ほのりの周りに雪が集まる。
ほのりを包み込むように。
雪の中から現れたのは...
「私は慎太郎を愛していました。ひたむきに生きる姿。何者かもわからない私を受け入れ、愛しい目を向けてくれる。そんなあなたが大好きでした。」
雪の中から現れたほのりのような誰かが呟く。
雪が反射して、とても美しい。
「名前を伝えるということは自らの全てを明かすこと。名前を明かしてしまえば、私の本当の姿も明かすことになる。」
「慎太郎、あなたとは神と人というくくりに関わらず一緒にいたかった」
「私はずっと慎太郎と目を合わせて話をしてみたかった。すだれの向こうでそう思っていたのです」
「私は土地神。それも冬の間を司る土地神。春が来れば私はお役御免です」
僕は目の前のことに何がおきているか理解が追いつかなかった。
だけど、ただ一つだけ今、確認したいことがある。
「...ほのりとはもう会えないの...?」
なぜ、そう言ったのかはわからない。
だけど、ここで言わないともう聞けないと直感が告げていた。
ほのりは悲しげに微笑む。
そして、
「はい。私は冬の間だけの命。人が変わるように神も変わる。次の冬は私は生まれ変わります」
「...じゃあ、僕が愛しているほのりは...」
この先は聞きたくない。
お願いだからこの先は...
「...この冬だけ...なのです」
ほのりは静かに告げた。
「私は慎太郎を冬が訪れる前から知っていました。私の冬が訪れるまで、心は現世にあるのです。現世を知り、神として生きるために。そんな中、慎太郎を見つけたのです」
ほのりは話続ける。
「慎太郎。あなたは今年の春に弱った兎を助けましたか?夏には枯れそうな花に水をやりましたか?人間は生きる為には他の命を奪うもの。なのにあなたは命を繋いでいた。
そんなあなたにとても興味がわいたのです。」
「私の冬が来たら慎太郎に必ず会いたいとずっと思っておりました。心優しき少年。私のことも大切にしてくれる。そう信じて、そして、慎太郎は私に人を愛する心を与えてくれました」
「愛を知った神はより高位な存在へとなり得ます。人間を慈しみ、愛することが私たちの役目だからです」
「しかし、私は慎太郎と離れたくなかった。だから、愛を知っても気づかないふりをしていたのです。そうすれば、まだ現世にいれるから。しかし、もう春が来てしまう。春が来ると、私は消えてしまうのです」
ほのりは一呼吸おき、
「慎太郎。これでお別れです」
そう告げた。
「最後に、あなたに思いを伝えることができて満足です。私は思い残すことなく...」
「嫌だ!!」
ほのりの言葉を遮り、僕は今まで出したことのない大きな声で伝える。
「何が冬だけだよ。僕には関係ない。ずっとそばにいてほしいのに。隣で笑ってほしいのに。神様は人間の願いを聞き入れるのが仕事じゃないのか」
「ほのり、君は運命を受け入れるのか。受け入れた先に何もないというのに。僕は...」
気づいたら大粒の涙が頬を伝っていた。
「...僕は...君が優しく微笑む姿を隣で見たいだけなのに」
みっともなく泣いてしまった。
僕の行為は子供が駄々をこねるみたいだとは理解している。
だけど、感情が溢れて止まらなかった。
ほのりは静かに僕を見つめ、ぽつりと呟く。
「私も...あなたと一緒にずっといれたらと何度も思った。自身も神だけれども、神に祈るくらい。しかし、これは運命。変えることのできない理の中で私たちは生きている」
ほのりの優しい言葉は続く。
「慎太郎。私は、あなたのおかげで愛を知りました。愛を知ったことで、貴方をずっと見守ることができます。
私は、それだけで救われているのです。どうか、私の覚悟を...想ってくれると嬉しいです」
覚悟...そうだ。
ほのりは覚悟を決めたんだ。変えることのできない運命は愛を知った者に対して残酷な結末を用意する。
僕にできることは、ただ一つ。
愛を伝えることだ。ほのりの全てが僕の愛で満たされるくらいの。
「ほのり...。僕は君を愛しているよ。君が僕の側からいなくなったとしても。ずっと、ずっと」
「春が来たら、川沿いの美しい桜の花びらを僕が見に行くよ。そして、僕を通して君に見せよう。
夏が来たら、陽の光をいっぱいに浴びたひまわりを君に見せよう。
秋が来たら、足の踏み場が無くなるくらいの山のもみじを君に見せよう。
冬になって、雪が降ったら...」
一呼吸おいて、続ける。
吐く息が白い。
「君と過ごした日々を守り続けるよ」
「その為に僕はこの里を、山を守り続ける」
「ほのり、行っておいで。僕はここにいるから。ずっと。君を想いながら」
ほのりの目から大粒の涙が溢れる。
悲しいのだろうか、それとも嬉しいのだろうか。
どちらとも取れる表情でほのりは泣いていた。
「慎太郎...ありがとう。貴方と出会えて、愛を知ることができて本当に嬉しい。何度お礼を言っても足りない。足りないんです。
私も貴方を想いましょう。貴方に負けないくらい」
「慎太郎の人生に祝福を。貴方を想い、言祝ぎましょう」
ほのりは光となって空へと消えた。
僕は空が暗くなるまで、ほのりが消えた空を見つめていた。
その間、涙が止まらなかった。
――――――
何度かの冬が過ぎた。
相変わらず神様はすだれの向こうにいる。
すだれの向こうの神様も誰かと愛を育んだのだろうか。
相対する度に思う。
――――――
はらはらと雪が降ってきた。
僕は手を差し伸べて、舞い落ちた雪を大切にすくう。
雪はすぐ溶けた。
だけど、僕は長らく握りしめていた。
大切な、大切なあの人を想う。
「慎太郎!」
僕の耳から消えることのない愛しい声で名前を呼ばれた気がした。
振り返るけれども、そこには誰もいない。
しかし、雪が降っているのに暖かい風が頬を撫でた。
まるで僕の頬を手で包み込むように。
「...ほのりは、ずっとそばにいてくれるんだね」
その言葉に答えるように雪が一つ僕の掌に舞い落ちる。
ほのりと一緒に見た村を一望できる場所で、君の面影を想う。
消えることのない愛を教えてくれた君を僕は忘れない。
最後までお読みいただき、本当に感謝です!
初めて長めの小説を投稿しました。
ご感想をいただけたらとても嬉しいです!
読んでくださった皆様に、素敵なことが起こりますように...