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「それでは次に行きましょう」
それはまるで蘇芳エルザを講師とした授業のようだった。俺は彼女にとって、果たして良い生徒なのだろうか。廊下のビルギットはこちらを見ることなく、ずっと背中を向けている。
「世界は脳の認識によって作られる。では、脳は人の数だけあるので、世界も人の数だけ存在することになります。この時、わたしが見ている世界と信永さまが見ている世界に差はあるでしょうか?」
「ほぼ同じだが主観による差異が生まれている。そうだろう?」
「ええ。よくお分かりですね。けれどそれは微々たるもので、通常は同じ世界と考えて良いと思います」
認識によって世界を定義しているのだから、従来はA世界とB世界は同じものではないはずだが、彼女は笑みを浮かべながらそう答える。
「ここでようやく転生が出てきます。通常、人は死ぬと次の生命に生まれ変わりますが、人として生まれ変わる可能性は低いものです。多くは虫、あるいは魚、小動物のようなものに転生します。けれど稀に人から人に生まれ変わることができる、特殊な人間がいます。そういう一族を“転生族”とわたしたちは呼んでいます」
「蘇芳さんも確か転生して、ここに来たと言ったな。それなら君もその転生族になるのか?」
「厳密には違う、と言っておきます」
「それは大雑把なら転生族だと思っていいのか?」
何故か彼女は一度だけビルギットを見た。いや、それとも廊下側を気にしたのだろうか。
「わたしたちが転生族かどうか。実はそのことを確かめる術がありません」
「ならどうして君たちは転生しているんだ? ここに?」
「それは転生の仕組みの一部が解明されたからです。ただ、わたしたちは転生族ではない為、転生は魂に相当負荷がかかります。多くは一度、少なくとも十を数えることなく、魂は砕けてしまうでしょう」
魂、という言葉まで登場すると、どうにもついていけなくなる。
「魂とは、その、いわゆる魂なのか?」
「わたしたちの意識の器。それを魂と呼んでいます。これが壊れると、もうどこの世界にも二度と存在することは叶いません。完全な無になります」
「じゃあ、その魂さえ壊れなければ何度でも転生できるんだな?」
「原理的には」
蘇芳エルザは俺に何を伝えようとしているのだろう。これまでは仏教の思想をベースとした輪廻転生と、世界の認知の話だった。けれど仏教でいう生まれ変わりとは、例えば俺が死んだ時、次に人となって生まれ変わるとしても、それは凰寺信永としてではなく、どこか知らない国の誰かの子どもとして生まれ変わるということだ。
「君の言う転生は、生まれ変わりとは違う気がするんだが」
「そうです。転生とは生まれ変わることではありません。その異世界で別の生を生きるということです。つまり、今ここで信永さまが転生すると、よく似た世界で再び凰寺信永さまとして生きていくということになります」
もし今彼女が言った通りのことが起こるのだとすれば、俺の記憶の齟齬や夢として見たと思っている出来事が歴史から消されていることにも説明がつく。
「転生するには死ぬ必要がある、とも言ったね。それはつまり、俺は今までに何度も殺されている。そういうことになるんだな?」
ええ。と声を出さずに彼女は頷いた。
「例えば君が俺を殺した場合でも、転生は起こると?」
「はい」
「それじゃあ、やはり君は俺を殺したことがあるんだな」
いえ、と彼女は首を横に振り、強く否定した。
「だってそうじゃないと説明がつかない。少なくとも俺は一度君の光の剣に切られている」
「それは、違います」
「違わない。最初、君は光の中から現れた。それを俺は助けたが、あの時は確か自分の部屋で黒尽くめの奴に襲われたんだった。次は爆破事件があった教室での出来事だ。そこで君は光の剣で俺を殺した。その時確か俺にこう尋ねたんじゃなかったか? ――もし望むならまだやり直すことができる、と。それは俺が転生することでその歴史をなかったことにできる、という意味だった訳か」
蘇芳エルザは黙っている。じっと唇を噛み締め、立ち上がった俺を見つめている。
「三度目は病院だ。未央が誘拐され、ビルギットがそれを助けたが負傷し、彼女が手術を受けた。その病院で火災があり、偽看護師に連れられて危うくそこで殺されそうになった。その時は何故か君が俺を助けたんだったな。でも、助かったと思った瞬間、俺は誰かに殺されたんだ」
何故何も言わないのだろう。反論すればいい。蘇芳エルザは俺を守る為に転生してきたと言っていた。だが彼女は一度、俺を殺している。殺したいのか、守りたいのか、本心はどっちにあるのだろう。
「四度目。学校で放火魔が死体となり捕まって騒動になっていた。俺はそれまでの自分の記憶との不整合な部分が多いことに気づき、蘇芳さん。君を呼び出して話をしていたはずだ。そこを襲われ、あの時は、そうだ。あの時も君は俺を殺していないと言い張り、そこをまた黒尽くめに襲われたんだ。その女をビルギットが追いかけていったが、その後で俺は……そうだ。ビルギットに殺されたんだ」
「ビルギットが?」
「ああ。確か、姫様が殺されたから俺の力を借りたいと、そう言って」
「ビルギット」
今までに耳にしたことのない冷たい声で、彼女の名を呼んだ。
「何でしょうか、姫様」
廊下側に立つ彼女は振り返ることなく、声だけで答えた。
「先程信永さまが言われたことは本当でしょうか?」
「私には、その……記憶がありません」
「本当ですね?」
「……はい」
僅かばかりの沈黙の時間は肯定とも捉えられたが、蘇芳エルザはどうやら信じたようだ。
「ビルギットはそのようなことはしていないと申しております」
「転生前の記憶というのは、継承されるのか? 俺はある程度夢として見たという記憶があるが、全てが残っている訳じゃない」
「全てはアガスティア時空という場所に記録されています。しかし個人が思い出せる記憶には限界があり、多くは転生前の記憶というのは忘れてしまいます」
「忘れてしまう、というが、転生した後にまた凰寺信永として生きる為にはそれまでの歴史を覚えている必要があるんじゃないのか? 少なくとも俺は忘れてなんていない」
「ええ、その通りです。ですから多くは転生には耐えられません。植物状態、と呼ばれるものになるか、あるいは人としての姿形を保てず、燃えてしまうでしょう」
最初は話を聞いていると誰でも一度や二度の転生はできるのかと思ったが、どうやらそう単純なものでもないらしい。
なので、ここまで彼女の話を聞いてきて、俺は根本的な問題にぶち当たった。
――何故、俺は何度も転生できるのか?
ということだ。




