13
同棲――という単語を、まさか自分の身近で耳にすることになるとは思ってもみなかった。
「ど、どどどど、どーせいって、あの同棲?」
「どの同棲だよ」
「ねえ、流石に今日デートしたからって、出会ってその日に同棲はどう考えてもどうかなあ……」
未央も猛田もややパニックになっている。いや、かく言う俺自身も一瞬思考が停止してしまう程度には混乱していた。
「はい。同棲です。そのように伺っております」
「誰から?」
「凰寺さま……信永さまのお母様からです」
「俺の母親知ってるのか?」
「ええ」
蘇芳エルザの「ええ」は幾らか含みのある頷きだった。
俺の両親は二人とも役所勤めだ。詳しい仕事の話は聞いても答えてくれないが、基本定時に帰ってくる。ただ一方で謎の出張が多いのも確かだ。本人たちは本業以外にも委員会や手伝っているNPO法人の活動が忙しいと言うのだけれど、お役人は副業をやってはいけない決まりになっていたはずだ。それとも仕事ではなく、純粋にボランティアなのだろうか。
「信永の小母様って意外と顔広いのよね。でも全然知らない国の人とも交流あるってすごい」
セント・メモワールだったか。後で調べてみないとな。
「とにかく、俺は何も聞いてないからな。それにまだ母親も帰ってきてないだろう」
それでも家を見たいというので、仕方なく俺は三人を連れ、隣の自分の家の玄関のドアの前に立っていた。
鍵を開けようと鍵穴に差し込み、捻る。だが感触がない。
「あれ。開いてる」
スマートフォンで時刻を確認するとまだ三時過ぎだ。今日は土曜だが、どちらも出張で月曜の朝まで帰ってこない。明らかに誰か別の人間が中にいる。
俺は緊張感を張り付かせ、三人に待っているように言うと、一人先に玄関を潜った。
靴はない。スリッパも、玄関マットも動かされた様子はない。
俺が家を出た時のままだ。
スニーカーを脱ぐと、足音を立てないようにやや腰を落とし、足の小指側から親指にかけて着地するよう心がけ、廊下を進む。歩行法には大別すると二種類あり、足を伸ばして後ろになる側の爪先で蹴りつけて前進する洋式と、やや膝を曲げた足を前に出し、それで胴体の方を前に引っ張るように歩く和式だ。所謂“すり足”と呼ばれるものがこの和式に相当する。能や狂言などで見られるあの一種独特にも見える足の運びこそ、実は古来より日本人がやってきた歩き方なのだ。足音を立てないで歩くにはそれが一番適していた。
居間も応接間も、異常はない。
台所はどうだ?
テーブルも椅子も特に動かされた形跡はない。シンクは、少し濡れていた。
冷蔵庫を開ける。大きい新型の方は中身に変化はない。ただ小さい方、旧式のレトロ冷蔵庫の中の麦茶が半分ほどに減っていた。朝、出張に出かける前に母親が作っておいてくれたもので、それを俺が一口飲んで以降は誰も触れていないはずだ。それが半分ほどに減っている。半透明の容器にはおよそ一・五リットル入るが、流石に俺の一口でそこまでは減らない。
間違いなく侵入者がいる。
その確信を手に、俺は他にもトレイや浴室、物置きと見て回るが、誰もいない。
泥棒なら貴重品を探した形跡があるはずだが、それもない。
「ねえ、信永。まだ?」
外で未央が痺れを切らしていたが、侵入者が入った痕跡がある以上、安全確保をするまでは彼女たちを中に入れる訳にはいかない。
俺は階段を睨んだ。梯子かと思う角度のそれを上がっていく。
途中、僅かに軋む音が響く。この階段はどう頑張っても音を立てずに上がることは無理なのだ。
もし二階にその侵入者がいるなら、今の音で何か気づいたかも知れない。いや、それ以前にさっきの未央の声で家の人間が帰ってきていることには気づいているだろう。
階段を上り切った俺は自分の部屋のドアの前に立ち、軽く息を吸い込む。
そっと耳をつけ、中の様子を伺った。
――ん?
微かに何かが動く。それを耳が捉えた。
一人なら何とかできる。ただそれ以上となると逃げた方がいい。あるいは一人の場合でも銃のような危険物を持っているなら逃げるべきだ。
部屋の入口は廊下側のドアと、外側の窓。ただ窓の下は庭だ。慣れた人間でないと飛び降りる気にはならない。
俺は思案し、ドアをノックした。声色を変えて「凰寺さん、お届け物ですが」と言ってやる。
中にいた誰かは何を思ったのか、
「そこに置いていけ」
と答えた。
低いが女性の声だ。しかも、どこかで聞き覚えがある。
「あー、でもハンコをいただきたいんですが。サインでも構いません」
「はんこ? さいん?」
「名前を書いてもらえればいいですよ」
くそ、という舌打ちに続き、中からドアが開けられた。
現れたのは褐色の肌に赤茶色の髪をした女性、ビルギットだった。




