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聖女短編シリーズ

【コミカライズ】え? 姉じゃなくて私が聖女だったんですか?

作者: 榛名丼

 


「次はバルコニーの掃除よ。さっさとしてちょうだい、ロザリンド」

「ごめんなさいお姉様! すぐ行きますから……」

「ロザリンド! 机の上に埃が残っているわ。まったく、アンタと来たら掃除も満足にできないの!?」

「お母様、申し訳ございません! やり直します!」


 その日は朝から、休む暇もなく働いていた。

 私は疲れた身体に鞭を打って、ぞうきん片手に慌ただしく移動する。そうしないと掃除が間に合わないのだ。

 でもそうすると「埃が舞うだろう!」と父に怒鳴られてしまい、それに謝っている間にまた姉や母から叱責が飛び……私の毎日は、いつもそんな風に終わっていく。



 私――伯爵令嬢ロザリンド・ウェルリーナは、平凡な人間だ。

 物心つく頃から、私は周りの人……両親や姉から、平凡でつまらない人間だと言われてきた。



「あんなに出来の悪い娘が我が家に生まれてしまうとは」

「ウェルリーナ家の人間として、恥ずかしくないのかしら」

「少しは姉の苦労も考えて欲しいものね、ロザリンド」



 使用人の中には何人か、私に優しくしてくれる人も居たけど……その人達は、私と仲良くしているのがバレるとすぐに辞めさせられてしまう。

 そして辞めた使用人の分、私が炊事や洗濯、掃除などの用を申しつけられるようになり……気がつけば私は、ウェルリーナ家の小間使いのように家族から扱われるようになっていた。


 毎日責め立てられるのは辛いけれど、仕方ないことだと分かっている。

 家族が口を揃えて言うとおり、私は容姿が大して良いわけじゃない。頬にそばかすが散っているし、鼻も低くて家族の誰にも似ていない。

 マナーや礼儀作法も、本で必死に勉強しているけれど姉にはいつも溜め息を吐かれているから、ろくなものじゃないのだろう。

 でも、そんな何の能力もない私のことを、家族は呆れながら見捨てることはせず家に置いていてくれている。


 私はそのことに感謝して、毎日精一杯働いている。




 そんな私だが、姉からは重要な役目を与えられている。

 そう、私の姉シャーロット・ウェルリーナは――この国ハウガルム王国の、"次代の聖女"と呼ばれるほど高い魔力を有している。


 聖女というのは強い魔力を持つ女性のことだ。他の国では違うらしいが、ハウガルム王国では男性より女性の方が強力な魔力を持って生まれることが多い。

 シャーロットもその一人で、生まれた当時は魔力の素養はなかったそうだが、その二年後にはあらゆる魔法を行使できるほどに成長していたのだという。

 まだその頃私は生まれたばかりだったので当然覚えていないのだが、シャーロットを可愛がる両親が何度も語っていたのだ。


 そして"次代の聖女"として周囲から持て囃される姉は、毎日欠かさず、ウェルリーナ家の蔵に置かれた水晶に向けて祈りの儀式を行わなければならない。

 水晶はウェルリーナ家の所有物ではなく、王家から一時的に預かっているものだ。

 これは聖女の素質ありと認められた者だけに国から支給される水晶玉で、一年間欠かさず祈りを捧げることが義務づけられている。

 水晶は一年後、王家の使いが持ち帰る。その後に神殿で暮らしている聖女達が魔力濃度などを測定し、そこで認められた場合に限り新たに神殿の聖女として迎え入れられる名誉を賜るのだ。



 昨年、十六歳の誕生日の翌日にシャーロットは水晶を預かっており、それから私は毎日姉の儀式に付き添うことになった。

 シャーロットはそれはもう凄まじい魔力を有しているそうだが、祈りの儀式は一日約一時間。それだけの時間魔力を注ぎ続けるのは大変疲れることらしい。

 私には魔力の素養が全く無いから、シャーロットの苦しさは分かってあげられないが……。


 私はそんなシャーロットの傍につき、彼女の額を濡れた布で拭ってあげたり、作ってきた軽い食事を口に運んであげたり、時には肩もみなんかをして、一時間ずっと近くで世話をしている。


 そんな日々が続き、気がつけば三日後にシャーロットの十七歳の誕生日――王家の使者がやって来る日が迫っていた。




 三日後の朝、私は着飾るシャーロットの手伝いをしていた。

 ドレスを着せ、顔に化粧を施して、シャーロットお気に入りのアクセサリーを用意する。

 社交界でも評判の美しさを誇るシャーロットは、十七歳になりますます美しさに磨きがかかっていた。


「本当に素敵ですわ、お姉様」


 素直な賛辞を送ると、シャーロットは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「そんなのアンタに言われるまでもないわ、不出来なロザリンド。もういいから、さっさと私の部屋から出て行って」

「はい……失礼いたします」


 私はぺこりと頭を下げ、シャーロットの部屋を出た。

 ほぼ間違いなく、シャーロットは神殿に招かれることになるだろうと私は思っていた。両親もそれを確信しているはずだ。

 なぜなら最初は鈍色だった水晶玉も、今では透き通る湖のような色合いに変わっている。それほどシャーロットの魔力が優れているということだ。

 多くの聖女候補は一度に魔力を込めすぎて水晶を割ってしまったり、一年間祈りの儀式を続けることができずに途中で諦めてしまう場合もあるという。

 でもシャーロットは、キツい性格ではあるが自分にも厳しい人だ。この一年間、必死に祈りを捧げる姿を傍で見てきた私も知っている。


 だからどうか、シャーロットが聖女の名誉を賜りますように――と私も祈らずにいられなかった。




 姉達がそわそわと待ち続けてから数時間が経った頃、王家の使者という騎士が現れた。

 王国の騎士というだけあり、輝くような金髪にエメラルドの瞳をした青年はそれは見目麗しく、門の前で彼を迎えた私はそれだけで緊張してしまった。


「君は……? 確かウェルリーナ家のご息女のはずでは……」


 彼のその言葉に私は驚いた。

 表に出すのは恥ずかしいからと言う家族の方針で、社交的な場に私はほとんど出ていない。それに騎士の知り合いなんて一人も居ないのに。


「ロザリンド・ウェルリーナと申します。騎士様、ご挨拶が遅れてしまい誠に申し訳ございません」


 侍女の格好では失礼に当たるかもしれないと思いつつ、ハウガルム王国での正式な挨拶の礼を取ると、驚いた表情だった騎士様も朗らかに応じてくれた。


「こちらこそ挨拶が遅れました。私の名は――」

「まあ、王家の使いの方ね!」


 すると騎士様の声を遮って、シャーロットの甲高い声が後ろから聞こえてきた。

 それから慌ただしく父と母も駆けつけてくる。

 私を押しのけるように前に出たシャーロットは、こちらを振り返ると、


「使いの方がいらっしゃったら、さっさと伝えに来なさいと言ったわよね!?」


 と不愉快そうに言った。


「申し訳ございません、お姉様。あの……」

「人前で私を姉と呼ばないでちょうだい。不快だから」

「……申し訳ございません、シャーロット様」


 深く頭を下げる私を放置して、シャーロットは両親と共に騎士様を連れてさっそく蔵へと向かおうとする。

 しかしそこで騎士様が立ち止まった。


「お待ちください。私には連れがいます」


 騎士様が門の外を振り返る。

 そこに停止している馬車から、ゆっくりと降りてきたのは腰の曲がった老婆だった。

 全身に長い布を巻きつけたような、不思議な格好をしている。何だかその人の周りには、清浄な空気が流れているように感じた。


 私は目が合ったときから、感動で膝が震えそうだった。

 この人がきっと――王国を悪しき者や魔物から守護する聖女。その一人なのだ。

 本来、聖女の役割は数年も務められないほど厳しいと聞くが……この女性には、今も満ち満ちるようなエネルギーがある。


「こんにちは、ウェルリーナ家の皆様。わたくしは聖女のカナンと申します」


 皺の目立つ顔に優しい笑みを浮かべ、その老婆――カナン様は小さく頭を下げた。

 お忙しい聖女の方が水晶の受け取りに同行されるなんて、聞いたことも無かった私は驚いた。それだけシャーロットが期待されているということかもしれない。


 私もカナン様に微笑み挨拶を返したが、家族は見向きもしなかった。

 父が小さく「行き遅れの婆さんが判定役か」と呟いたのが聞こえ、私は羞恥で顔が赤くなってしまった。

 聖女の婚姻は例外なく禁止されている。しかし、恐らくは七十に近いだろうカナン様が今まで聖女の役を務めてきたのは、彼女の努力と才によるものなのに。


「蔵にはカナンが同行します。よろしいですか?」

「……構いませんけど」


 騎士様の言葉に、シャーロットも一応頷く。

 そうして私達は騎士様とカナン様と共に、蔵へと赴くこととなった。


「カナン様。蔵に行くまでいくつか段差がありますので、よろしければお手をどうぞ」


 私がそう申し出ると、カナン様はゆっくりと目を細めた。


「この老体にはお構いなく。ですがロザリンド様は、とても優しい方ですね」

「いえ、そんなことは……」


 そんな風に誰かに言われたことはなかったので、照れくさくなる。

 そうしている内に、ウェルリーナ家の庭の奥に配置された蔵へと到着した。


「こちらですわ、騎士様! 私が一年間もかけて、魔力を精一杯込めた水晶です!」


 シャーロットが自信満々に水晶を指さす。

 てっきり、そのまま騎士様が水晶を回収するのかと思いきや……私の前に立っていたカナン様が、老齢の女性とは思えない軽い足取りでその水晶へと近づいた。

 カナン様が水晶を手に取り、その場でまじまじと見つめ出すと――その様子を見て、父が耐えかねたように声を上げた。


「あの、騎士様……」

「ああ、どうぞご心配なく。それではウェルリーナ伯爵、こちらで水晶は回収しますので」

「あの……私は聖女に選ばれるんですよね?」


 騎士様ののんびりとした受け答えに我慢ならなくなったのか、シャーロットが騎士様にそう迫る。

 美しいシャーロットに間近で迫られても、騎士様は肩を竦めるだけだった。


「それは私には分かりません。一週間もすれば結果はお伝えしますので、お待ちいただけますか?」

「はぁ……」


 返事か溜め息かも分からない吐息を零し、シャーロットは蔵を出て行く。

 続いて両親も出て行ってしまったので、私はどうしたものかと困った。客人である騎士様とカナン様のことを持てなしたいが、それも邪魔になりそうだ。


「それでは私もこれで……」


 失礼します、と言いかけたところで、カナン様の様子を見守っていた騎士様が振り返った。


「こうなると俺も暇なんだ。良かったら立ち話にでも付き合ってくれるかい?」




 カナン様をその場に残して蔵を出た私達は、蔵のすぐ脇で立ち話――をすることになった。


「カナンの鑑定の腕は一流だ。水晶に込められた魔力の性質を見抜き、一年間の祈りの儀式の経緯――何と、その間の術者の感情や記憶をも追うことも出来るとか」


 私と二人きりになると、騎士様は先ほどとは異なりどこか砕けたような言葉遣いとなった。

 何となく私はそれが嬉しかった。勘違いだろうけど、対等の相手として扱ってもらっているような気がしたのだ。


「私も感じました。カナン様はきっと、神殿を代表するくらい素晴らしい聖女様なのですね」


 私がそう言うと、騎士様は軽く目を瞠った。


「驚いたな。そんなことを言う人は君が初めてだよ」

「す、すみません。私、生まれつき魔力が無いのに分かったようなことを言って」

「いや、構わないよ。……ロザリンド嬢。君は、どうして小間使いのようなことをさせられているの?」

「それは……」


 私はどう答えたものか迷った。


「私が、何の取り柄もなく……不出来な人間だからです」

「でも君は、歴とした伯爵家の人間だろう。家族から君だけがそんな扱いを受けるのは、理不尽じゃないのか?」

「仰っている言葉の意味が、分かりかねます」

「君は悔しくないのか?」


 私はいつの間に伏せていた顔を上げた。

 騎士様は凛とした眼差しをして、私のことをまっすぐに見つめている。

 その瞳と向かい合っていたら……何かの間違いのように、ぽろっと言葉がこぼれ落ちた。


「もちろん……悔しいです」


 そう言葉にすると同時に、双眸から涙がぽろぽろと溢れてくる。


「何で私ばっかりこんな惨めなんだろう、こんなに駄目なんだろう、って毎日のように考えます。

 でも……そんなことばかり思ってたら、とても耐えられないもの。だから私――」


 人前で泣くなんて情けない。伯爵家の恥さらしだと、また家族に怒られてしまうかもしれない。

 そう思って服の袖で力任せに目元を拭おうとすると、その手を騎士様がそっと掴んだので私は驚いて動けなくなった。


「すまない、ロザリンド。君を傷つけたかったわけじゃないんだ」


 そう悲しげに呟いた騎士様の手が、私の目元をやさしく拭った。

 あんまり綺麗な美貌が目の前にあって、急に私の心拍数が跳ね上がってしまう。

 ああ、勘違いしてはいけないのに。この方は私を哀れに思って、こうして情をかけてくれているだけなのに……。


「……あら、お邪魔だったかしら」


 蔵の中からカナン様の声がして、私達は慌てて離れたのだった。




 それから七日後の朝――。


 私達は王都に赴き、王城の広間にて判定が下される時を待っていた。

 本来は、再び王家の使いが家にやって来るのだが……父はそれを断り、家族揃って王都まで出向くことを先方に伝えたのだ。

 姉シャーロットの身支度はすでに整えた状態で、必要な荷物もすべて荷馬車に積んできた。聖女に選ばれるのは間違いないと踏んで、そのままシャーロットは神殿に入る予定なのだ。


 私は元々、一人で留守番をする予定だったのだが、王城からの手紙には何故か「次女のロザリンドも同行するように」とわざわざ私のことが名指しで書かれていた。

 それで父達は、致し方なく私も連れてきたというわけだった。世間体を気にしてか、今日の私は貴族の娘らしくドレスを着せられている。型落ちしたものだが、それでも久々にドレスを着られて私は嬉しかった。


 広間の中央の台座には、シャーロットが魔力で磨き上げた水晶玉が置かれている。最後の祈りの儀式から数日経っても、湖のような穏やかな色はまったく歪む様子も見せていなかった。

 そして今、王城の広間には近衛騎士が数人、神殿から聖女が数人派遣され、厳粛な雰囲気に包まれている。

 その中には、カナン様や……それに、あの騎士様の姿は無かった。

 何となくガッカリしている自分がいて、急に気恥ずかしくなってくる。そもそもあの人は、もう私のような地味な娘のことは覚えてないに違いないのに。


 緊張感が漂う中、杖を片手にその場に現れたのはカナン様だった。

 彼女が現れると騎士達も聖女達も深く頭を下げ、最大限の礼の形を表したので、家族は全員驚いた様子だった。

 家族の後ろに控え、私はその瞬間を両手を組んで見守る。


 一同を見渡したカナン様は、よく響く声で告げた。


「結論から申し上げますと――――この水晶は、十分に聖女候補の資質を示していました」


 その言葉にシャーロットが飛び上がった。

 両親もすでに抱き合わんばかりに興奮している。私も思わず息を呑んだ。


 だけど……カナン様の言葉にはまだ続きがあった。

 微笑んだ彼女は、家族を通り越すようにして私を見つめていた。




「ロザリンド・ウェルリーナ様。……他でもないあなたの、聖女としての資質をです」




 …………え?


 告げられた言葉の意味が分からず、私は呆然とその場に立ち尽くす。

 両親は揃ってポカン、と口を開いている。シャーロットはといえば、目を見開いて固まっていた。


「……あの、カナン、様? 言い間違えてらっしゃるようですが、聖女候補に選ばれているのはこの私で――」

「いいえ、シャーロット・ウェルリーナ様。残念ですがあなたには聖女の才能がありません」

「はぁっ!?」


 大きな声を上げるシャーロットに、何人かの騎士と聖女が眉を寄せるものの、カナン様はまったく怯まない。


「そもそもご両親はともかく、あなた自身は最初からお気づきだったのでしょう、シャーロット様」

「何を……」

「あなたには魔力がありません。水晶に注がれた魔力は全て、妹のロザリンド様のものですね?」

「えっ……」


 思いがけない言葉に私は困惑したが、シャーロットは違った。

 ぶるぶるぶる! と肉厚な唇を震わせ、怒りのあまり目を血走らせている。


「こ、この老いぼれが……! よくもこの私にそのような暴言を!」

「――暴言を吐いたのは君の方だ、シャーロット嬢。即刻取り消してもらいたいね」


 この声は……。

 驚いて声のした方に顔を向けると、カナン様の後ろから現れたのは……一週間前に出会った騎士様だった。

 でも騎士の格好ではなく、金色の刺繍が施されたマントを靡かせ、正装姿が様になっているその姿はどう考えても――


「カナンは、この国の守護者である聖女……その頂点に立つ大聖女だ。君程度の人間が軽んじていい存在ではない」

「……っ!」


 威厳ある声を放たれ、びくっと震えるシャーロット。

 厳しい目線でそんなシャーロットを射貫いていた騎士様だったが、私が唖然としているのに気がついてか、にこりと爽やかな笑みを浮かべた。


「名乗るのが遅れたね、ロザリンド。俺の名前はアルイン・ヴェ・ハウガルム。ハウガルム王国の第六王子だ」


 ……この方が、王子様?

 第六王子が病弱だというのは国内では知られたことで、社交界にも滅多に姿を現さないと有名だ。

 だけどまさか、騎士の格好をして水晶の回収をしていたなんて。カナン様とアルイン殿下の正体を知った両親はもう、ひっくり返りそうな顔色だった。


 アルイン殿下は私からゆっくりと視線を外すと、氷のような冷たい眼差しでシャーロットを見据える。


「シャーロット・ウェルリーナ。君はロザリンドがとてつもない魔力を秘めていることに気がつき、彼女を利用した」

「な、何のことだか私にはさっぱり……」

「とぼけてもらうのは結構ですが、水晶玉はすべての真実を語ってくれましたよ」


 シャーロットの言葉を遮り微笑んだのはカナン様だ。

 カナン様が台座の上に置かれた水晶に手をかざすと……そこから帯がほどけるように、透明な波がするすると空間に広がっていく。


「たった今、わたくしはこの水晶に一年かけて注がれてきた魔力の束を外しました。役目を解かれた魔力は、本来の持ち主の元に戻るものです」


 カナン様の言葉は私にとって衝撃だった。つまりこの光景こそ、術者の努力の証。幾重にも広がる魔力の波なのだ。

 しかし、それは空間をたゆたいながら、ゆっくりとシャーロット――ではなく、その後ろに立つ私の元へと向かってきた。

 頭上からふわふわと、光る欠片が降ってきて……それを全身に受け止めながら私は、思わず目を閉じた。


(何だろう。今までずっと渇いていた喉が潤されるような……不思議な感覚)


 魔力が全て、私の元へと降り注ぐと……その場が大きくどよめいた。

 騎士達は目を見開き、聖女達は私を食い入るようにジッと見つめている。どことなくそれが尊敬の視線に感じたのは、私の気のせいだったかもしれない。


「何よ、何が起こったの? いったいさっきから何なのよ?」

「お姉様……?」


 私はその言葉に衝撃を受けた。

 もしかしてシャーロットには、今の魔力の波が見えていない? あれほど凄まじい光景だったのに?

 カナン様はふぅ、と息を吐いた。


「シャーロット・ウェルリーナ。これではっきりしましたね。あなたはそもそも、こんなに高密度の魔力でさえ目にする才能がない」

「は?」

「ロザリンドは小間使いのような役目を押しつけられていたと聞きます。あなたはきっと、祈りの儀式に集中する自分の世話をしろとでも言って、毎日ロザリンドを水晶の前につれていったのではありませんか?」


 シャーロットが「何で……」と呟く。

 私も、カナン様の言葉に驚愕していた。どうしてそんなことをカナン様が知っているのだろう?


「直接家まで赴いたのだからわたくしには分かります。この子はね、シャーロット。他でもないあなたの成功と幸福を願っていた。だからこそあなたの水晶玉に、ロザリンドの一点の曇りもない魔力が注ぎ込まれていたのです」

「黙れ! 黙れ黙れ黙れ!!」

「いいえ黙りません。ロザリンドは溢れるほどの魔力をいついかなる時もすべて、シャーロットや両親の幸運へと捧げていた。あなたたちの今日までの幸運はすべて、ロザリンドのおかげで成り立っていたのです」


 錯乱して飾りつけた髪の毛を振り乱すシャーロットに、最終通告とばかりにアルイン殿下が告げる。


「ロザリンドに謝れシャーロット。君が今まで顧みず、馬鹿にしてきたロザリンドこそが、君の幸運の女神だったんだ」


 その言葉に、シャーロットは大きく身体を仰け反らせ――


「誰が謝るもんか!」


 唾を広間に吐き捨て、嗄れた声で叫んだ。


「私は見目麗しく、聡明で、魔力の才能まであるのよ! そんな私が優遇されるのは当然のことだわ! 醜くて馬鹿でのろまなロザリンドじゃなくてね!」

「お姉様……」

「だからお姉様と呼ぶな! お前のような汚らしい娘にそう呼ばれるだけで反吐が出る!」


 私の胸元を掴もうとしたシャーロットの手が空を切る。

 彼女を取り押さえたのは、壁際に並んでいた近衛騎士達だった。


「離せ、やめろ! 私を誰だと思っている!」

「大聖女、並びに新たな聖女への暴言の罰として、シャーロット・ウェルリーナはしばらく独房に入れる」

「やめろ、やめろおおおおお!!!」


 喚いて足をばたつかせるシャーロットだったが、屈強な騎士達に取り押さえられては抵抗できず、そのまま連れていかれてしまった。


 あまりの出来事に私は放心状態だった。

 シャーロットには魔力が無かった?

 しかもシャーロットではなく、本当は私が聖女の才能を持っていた?

 考えもしなかったことが立て続けに目の前で起きて、頭がついていかない。


 しかし愛娘を目の前で連行され、取り残された両親はといえば、なぜか媚びるような笑顔を浮かべてアルイン殿下を見つめていた。


「アルイン殿下。それで、わたくしどもの娘は本日から神殿に入るのでしょうか?」

「……どういう意味だろう、ウェルリーナ伯爵」

「ですから、わたくしどもの娘――ロザリンドは、本日から神殿に召し抱えられるのですか?」


 まさか私を毛嫌いしていた父が、私のことを娘と呼ぶなんて……。

 でも、その理由も何となく分かってしまい、私はもう何も言うことができなかった。


 そんな私をちらっと見遣ってから、アルイン殿下が父に向かって答える。


「都合の良い妄言を吐くな、ウェルリーナ伯爵」

「は……っ?」

「ロザリンドが神殿に入ることになれば、確かに莫大な報賞金があなたの懐に入ることになる。博打好きで無類の色狂いであるあなたは、最近は本邸の維持費さえままならない様子だ。報賞金が欲しくて仕方ないのはよく分かるがな」


 父の顔が青を通り越して真っ白に染まっていく。母も口元を覆っていた。

 アルイン殿下は最後は吐き捨てるような口調で言った。


「ウェルリーナ伯爵。それに伯爵夫人。あなた方は家族であるロザリンドを蔑ろにし続けてきた。今後はその報いを存分に受けると良い」




 ……両親が倒れそうになりながら広間を去る間も、私はその場から動くこともできなかった。


 しかしアルイン殿下に肩をそっと叩かれ、ハッとする。

 そうだ。私もここにいつまでも留まっているわけにはいかない。


「あの、それでは私も失礼いたします」

「失礼されては困るよ、ロザリンド。これから君はカナンの元で、聖女としての修練を積むのだから」

「で、でも……私には聖女なんて大役、とても務まりません」


 思わず本音を告げると、近づいてきたカナン様がくすりと笑みを漏らす。


「あなたに務まらないなら、わたくしにも大聖女なんて無理ですよロザリンド様」

「え……?」

「あなたが一年間、魔力を注ぎ込んだ水晶ですが――実は先ほど解放した魔力でさえ、ほんの一部分に過ぎないのです」


 そう言いながらカナン様が台座を振り返る。

 そこに載せられたままの水晶玉は、確かに、以前と遜色ないほどの輝きを放っているように見える。


「もはやこの水晶が王城にある限り、あらゆる魔に属する者はこの国にはそう易々と近づけないでしょう。一生安泰で、聖女は全員お役御免です」

「おや、それはサボりたいだけの口実に聞こえるなカナン」

「もちろん、それも半分ほど含まれてますが」


 顔を見合わせて笑う二人に、私もつられて笑いかけるが……すぐに笑みの気配は引っ込んだ。

 姉のシャーロットは独房に入れられ、両親は絶望して家へと帰った。

 それは誰の所為なのか? その答えはもう分かりきっている……


「――殿下。私は幸運の女神なんかじゃありません」


 私が掠れ声でそう呟くと、アルイン殿下とカナン様は同時に私に目を向けた。

 第六王子と大聖女。そんな立派な立場である二人に見つめられると、消え入りたいような気持ちになってくる。


「私が、私こそが、家族を破滅に追いやったのです」


 目頭が熱くなる。顔を上げれば涙は落ちないかもしれないが、情けなくて深く俯くことしかできない。


「私さえ居なければ、こんなことにはならなかったのに……」

「それは違う、ロザリンド」


 でもアルイン殿下は驚くほど優しい声でそう言うと、言い聞かせるように言葉を続けた。


「君が彼らの幸運を祈らなければ――君の両親も姉も、とっくの昔に何かの悲しい事故で亡くなっていただろう。それくらい彼らは深い業を背負っていたのだから」

「ですが……」

「だからどうかそんな風に苦しまないでくれ。それとも俺の言葉は信じられない?」


 私は首を横に振った。

 出会ったときからずっと、アルイン殿下の態度も言葉も温かい。疲れ切った心身に染み込んでくるかのようだ。

 でも、正直な所、どうしてこんな風に優しくしてもらえるのか分からなかった。

 私に聖女としての才能が少しはあるからだろうか? だけどそれだけで、こんなに良くしてもらえるものなのだろうか。


「こんなに醜い私に、どうして殿下のような方が……」


 半ば独り言だったが、アルイン殿下はそれを聞き咎めたらしい。


「醜い? 誰が?」

「……それは、私がです」


「ははは」と声を上げて殿下が笑ったので、私は泣きそうになった。


「ひどいです、殿下」

「違うよロザリンド。俺は意地悪で笑ったわけじゃないんだ」

「それならどうして……」

「君ほど可愛い女の子は国中を探しても見つからないと思うよ」

「…………えっ?」


 ――今のは聞き間違い?


 でなければ幻聴かと思ったのに、アルイン殿下のエメラルドの瞳は何か大切なものを見つめるように細められていて……見つめ合った私は、何の言葉も出なくなってしまう。


「だから笑ったんだ。君があんまりおかしいことを言うから」


 私はもう、何のリアクションも出来ずにポーッとアルイン殿下の整った顔を見上げることしかできなかった。

 すると殿下は、私の髪の毛を優しく撫でてくださって、そっと抱き寄せ……耳元で艶のある声で囁いた。


「これから俺が、家族が君に押しつけてきた嘘と誤解を一つずつ解いてあげる」


 その言葉は――まるで本物の魔法だった。

 あり得ないほどの幸せに、心臓がおかしくなりそうなほど騒いでいる。

 だけど殿下は言葉を止めようとはしなかった。


「俺はずっと君の傍に居て、その大役を全うするよ。この場でそれを誓う」

「……殿……下……」

「アルでいいよ、ロザリンド」


 夢のような心地で、私はおずおずとアルイン殿下の背中に手を伸ばしかける。

 ああ、このまま時間が止まってしまったら、どんなにか素敵だろう――


「あの、アルイン殿下。騎士も聖女も周りにおりますので……」


 咳払いしたカナン様の言葉で、私達は慌てて離れた。

 気がつけば私達は注目の的だった。まじまじと私達二人を見つめていた誰もが、ごっほんごっほんと咳き込んでいる。その中には顔が赤い人も多かった。


「これは俺としたことが。ロザリンドを口説くのに夢中になりすぎていた」


 そんなことを冗談めいた口調で言うアルイン殿下。

 でも私はすぐに気がついた。

 ……アルイン殿下の、アル様の顔はそれはもう真っ赤に染まっていた。

 それに、そういえば、先ほど近くで触れあったとき――私以上に、アル様の心音がやたらと速かったような……。


 カナン様が「若いっていいですねぇ」としみじみと言う。

 私は頬を染め、立ち尽くすばかりだったが……そのときアル様が私を見つめて微笑を浮かべた。


「それで、ロザリンド。さっそく今日から神殿に来てくれるかな」

「え、えっと……」

「わたくしからも是非お願いします、ロザリンド様。この国にはあなたのような優れた聖女が必要なのです」


 アル様とカナン様が揃って、私の名前を呼ぶ。


 不出来で、愚かなロザリンド。無様で、哀れで、グズでのろまなロザリンド……。

 今まで私は、ただそう呼ばれることに慣れきっていた。どんなに辛くても、涙が溢れても、その言葉を否定できずに過ごしてきた。そうすることしか出来なかった。


 でもこれからは違う。

 私は、私の価値を認めてくれる人々の傍で――私だけに出来ることを、見つけていけるのかもしれない。



「……はい、こちらこそ。どうかこれから、宜しくお願いいたします!」



 涙をそっと拭って、精一杯の笑顔で伝える。

 それが私の――新たな聖女ロザリンドとしての日々の、始まりだった。





初めての短編小説を投稿させていただきました。楽しかったです。

現在は悪役令嬢物を連載しております。下にリンクを貼っておりますので、そちらも興味を持っていただけたらぜひ!



~以下、本編のちょっとした解説~



①この世界の聖女…聖女の役割は保っても10年、保たない人だと1~2年のお務めです。強い魔力の素質は子供にも引き継がれるとされることから、神殿を出た聖女には何人もの有力な貴族からお声掛けがあります。

シャーロットも聖女になることを結婚のための箔として認識しており、婚期を遅らせても聖女になろうとしていました。

②アルインとロザリンドの関係…アルインは以前、かなり幼い頃にパーティーでロザリンドと出会っておりそのときに彼女に一目惚れしています。病弱だったため彼女を探すこと、会いに行くことが遅れてしまいました(本文内では蛇足になるので書いていません)。

ロザリンドが聖女の役割を務め終えたその時に結婚の申し出をするつもりで、もちろん今からしっかりアピールをしています。

③シャーロットの認識…シャーロットは自分に魔力がないと知りつつそんなはずないと言い聞かせ、最近はその妄想に囚われつつありました。魔法を発動させる時に傍にロザリンドを置くのを常としていたのは、本当はロザリンドにこそ魔力があるのでは? と気がついていたためです。

自身が聖女に選ばれた後は、1年経たず神殿を出るつもりでした。

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