『記憶のなかの205号室』
「子どもの成長ってすごい思うわ。二年もたたんうちに一人で歩けるようになるし、言葉もしっかり覚えられるし」
「せやな。大人の二年とはえらい成長率がちがうわなあ」
「ほんまに。よくよく考えたら、俺ら中学高校と六年間も英語学んできたけど、まったく話すことできひんもん。それに比べて子どもはすごいわ」
「まあ、意思疎通ができんかったら生存に関わるからっちゅうんもあるんやろうけどな」
「そう考えると子どもの成長率のえげつなさは納得できるよな。生物学的な視点だけやのうて精神的な視点で見たら、生まれたばかりの赤ん坊は生きるために必死にならなあかんから、それに向けて成長せなあかんて思とんのやろか」
「逆に自分の生存が確保されたと思たら、成長率はがくんと下がるわな」
「あー、わかる。わかるわ」
「バトルものでようあるやろ。絶体絶命の危機的状況におちいって、力が覚醒する展開が。ようご都合主義や言われるけど、人間とことんまで追い詰められたら何かしら覚醒するもんなんやろな」
「生きる、いや、生き延びるためにやな。赤ん坊てまわりの大人にめちゃくちゃ守られとんのに、本人は生き延びるために必死で、全力で一日一日を生き抜いとんのやろなあ。なんや、えらいハードボイルドな存在に見えてきたわ」
「その赤ん坊に対してまわりの大人はアホ面全開でべったべたに甘やかしとんのやから、赤ん坊からしたら不快極まりない存在なんやろなあ」
「せやな。腹が減って生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされて思いっくそ泣いとんのに『あら~、おなかが空いちゃったのかなあ~? ママのとこ行っておっぱいくだちゃ~いっておねだりしましょうねぇ~』なんて気色の悪い猫なで声で言われたら、俺やったらそいつ殺しとるで」
「大人からしたら赤ん坊はちゃんと食事をもらえるってわかっとるけど、赤ん坊からしたらほんまに食事がもらえるかどうか、わからんもんな。赤ん坊が腹を減らして泣くっちゅうんは、俺らに置き換えたら殺人鬼に向かって必死で命乞いしとるんと同じようなもんやろうからな」
「俺らもまた、そういう経験をして、今にいたるんやなあ」
「で、この様か」
「…………」
「…………」
「あーん、あーん、あーん」
「あかん、壊れてしもた」
「ばーぶ、ばーぶ、ばーぶ」
「赤ん坊がばーぶばーぶ言うとるとこ、見たことないねんけど」
「俺も見たことないわ」
「急に正気にもどんな」
「なんやその言い方。まるで俺が普段は正気でおるみたいな言い方やないか」
「そこかい」
「まあ、なんにせよ、あれやな」
「なんや」
「いろいろあるけど、人は、生まれた以上、生きていかなあかんのやで」
「せやな」