『洞窟のような用水路の入り口をのぞむ歩道』
「この街に帰ってくるとな、いっつも毎朝六時くらいに近所をうろうろ散歩すんねん」
「健康的な不審者もおるもんやな」
「アホ。だいたいその時間帯に外出歩いとるやつなんかほとんどおらんわ」
「人気のない街を、何をするでもなくたださ迷い歩く……。怪異か?」
「俺には散歩する権利すら認められんのか」
「冗談はさておき、なんでわざわざそんな鼻くそにこびりついた鼻毛みたいな話題をふってきたんや」
「もうちょい評価高くしてくれや。まあ聞けって。実はな、この前なかなか不思議というか、感動的な体験をしたんや」
「ほう。なにがあってん」
「まあそん時もな、いつものようにお決まりの散歩コースを音楽聞きながら歩いとったんや。家出て、坂道ずっと下って、田んぼがちらほら見える谷間の集落みたいなとこ歩いてな、俺が通っとった小学校の近くまで行ったんや。で、ちょっと気になって小学校が近くに見えるとこで立ち止まって、誰もおらんやろう校舎をじっと見とってん」
「昼間に同じことやっとったら、完全に不審者やな」
「朝にやっても、不審者やったわ」
「は?」
「たぶん仕事で早く来たんやろな。俺がおったんはちょうど小学校の裏門のとこで、そこに向かって車が一台走ってきてん」
「それ、学校の先生か」
「まあそうやろうな。ジャージ着とった若い男の人やったわ。俺より少し年下くらいやろな。で、その人が俺のすぐそばで車止めて、あなた何してるんですかって聞いてきてん」
「おいおい。それ事件か事案になるやつやないか」
「ああ。俺も焦ったわ。でな、即弁明してん。自分はここの卒業生で、久しぶりに実家に帰ってきたから、ちょっと懐かしくなって学校の様子を見に来たんですって」
「相手信じたんか」
「百パー疑惑の目で見とったわ」
「せやろな。いかにも犯罪者が言いそうな言い訳やからな」
「なんかもうな、通報されかねん雰囲気やったんよ。あかん。これはあかん。これが公になったら、いろんな意味でヤバい。俺の脳みそはこの危機的状況を回避するため、フル回転したんや。で、ここで質問。お前やったらどうやってこの危機を回避する?」
「僕は子どもが好きなだけなんですって誠実な眼差しで言う」
「即アウトや」
「せやけど打つ手なしやろ。小学校の卒業証書持ってくるわけにもいかんし」
「せやな。俺もそれを考えた。でも現実的に無理や。ほかに俺がこの学校の卒業生やと証明できる手段はないか、必死に考えた。それでもなんも思いつかん」
「しゃあないわな。お前を知っとる先生も、もうおらんやろし」
「万策尽き、もはやここまでかとあきらめかけた、その時、ひとすじの光が見えたんや」
「ほう」
「俺は、歌った」
「は?」
「校歌や。校歌を歌ってん。その学校におったもんなら歌える、つまり、そこにおったことの証明になる。我が母校の校歌を、その先生らしき人の前で歌ってん。しかも、一番やないで。三番や。三番を歌ってん」
「よう覚えとんな、お前」
「最初は相手も面食らっとった。せやけど、日の光を浴びて花弁を広げるがごとく、その表情にゆっくりとぬくもりが見えてきてな、相手も俺に合わせて歌ってくれてん」
「お前らなにやっとんねん」
「で、最後のフレーズを歌い終えたところで、俺とその人は固く握手を交わし、俺はその場を去った。いやあ、歌はすごいなあ。人と人を結ぶ絆になりえるんやから。そう思わんか?」
「正直な感想、言ってええか」
「どうぞどうぞ」
「現実にミュージカル的な現象が起こると、怪奇現象以外の何物でもないってことがわかったわ」
「歌は現実を忘れさせてくれるってことやな」
「お前もうちょい自分を客観視したほうがええで」
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