メサイアの慢心
「白の教会……。」
リリアの表情が憎悪に染まる。刻印を押した人物を遠隔から監視する黒魔導、烙印で見たのは、奴隷売買に立ち会う〝黒魔導師の正装をした、白魔導師〟。
『なるほど、おかしいとは思っていた。スラムの子供ですら知っている〝人攫い〟〝奴隷売買〟という悪行……、警邏隊が動いて然るべき事態だ。マフィアの巣窟に動きが無いと思ったら、奴隷売買に手を染めていたのは、国教様だったか。それは誰も取り締まれないな。』
「……これだけの非道を見て見ぬふりしているってこと!?」
『見て見ぬふりを〝している〟は正確でないな。考えても見ろ、相手は〝英雄を排出した国教〟だ。今や王族よりも権限がある団体だぞ。正義感溢れる隊員が、そんな相手を逮捕しようと動き出せばどうなる?不慮の事故死か?宗教裁判で邪教徒として火炙りか?……本当に〝手を出せない〟のだ。』
ーーーここは聖地、魔なる者に居場所など無い。
リリアは幼い頃、捨てられる直前の言葉が脳裏に去来する。何が魔なるものだ、これこそ悪魔の所業そのものではないか。
「烙印で記録したわ、記者に売り込んでやりましょう。」
『〝黒魔導師の正装〟をした人間と夜盗の人身売買の様子をか?』
「……っ。」
杜撰にもほどがあるカモフラージュだが、白の教会としてはそれで十分なのだ。幾らでも言い訳が効くし、記者も教会の声明を信じる他無いだろう。確かに記者にこの映像を渡したところで、真実が伝わるとはとても思えない。
『大きくものを考えすぎるな、自分に出来ることだけ考えてみろ。』
ヴラドは憎悪に呑み込まれかけているリリアに助言を施す。
「わたしに出来ること……?」
『教会の暗部を暴き出す……それが理想だろう。しかし一人で行うには荷が重すぎる。』
「じゃあ、わたしに何が出来るっていうのよ!」
憎悪に酔った頭で冷静な判断が出来ようはずもなく、リリアは金切り声を挙げる。
「うっさい……姉ちゃん。」
声変わりもしてない少年の微睡んだ声……レオが起き出し、リリアは一瞬心臓が止まるほどの緊迫に襲われた。今自分は〝黒魔導〟を施行している。自分が〝黒魔導司祭〟と知られれば、どんな厄災が訪れるか解ったモノでは無い。なにより……恐れられ、逃げられ、避けられるというトラウマが頭を離れない。
しかし
「へぇ、リリアってやっぱ魔導師だったんだ。」
レオは不安と憎悪で混乱するリリアを余所に、あっけらかんと言ってのけた。
「あなた……わたしが怖くないの?」
「魔導師だろ?たしか……白いのと黒いのがいるやつ。俺らみたいなスラムのガキ相手に炊き出しなんかをたまにしてくれるんだ。白い方がメシは豪華だけど、勧誘がウザイし、なんだか見下した態度が気に入らないから、俺は黒い人達の方が好きだな。……リリアはどっちなの?」
「わたしは……黒魔導師よ。今、その黒魔導……呪いとも言われるものを展開しているところ。」
リリアは自分を恐怖の存在に仕立て上げレオに伝える。……怖がらせた方が、いざ怖がられたとき、ショックがまだ柔らかいという卑屈な理由だった。しかしレオの態度は変わらない。
「へ~~!すっげぇ、これ全部透視ってやつ?リリアって凄かったんだな!」
『ああ、我が輩の主だ。これくらいは出来て貰わねば格好が付かん。』
ヴラドは両目を一本線のように閉じ、腕を組んで鼻を鳴らした。
「……なぁリリア、この黒い格好のやつと夜盗が金のやりとりしてるけれど。助けにいかないとヤバくね?」
ーーー自分に出来ることだけ考えてみろ。
レオの言葉でリリアは正気を取り戻す。そうだ、大罪は暴けなくとも、今、一人の人間を救うことは出来るのだ。
「そうね、わたし今すぐ行かないと。レオ、ありがとう!」
「お、おう。」
リリアは床に賭けた術式を消し、全身を蝙蝠へ変化させ宵闇へ消えていった。
◇ ◇ ◇
木々よりもなお月明かりに照らされる、黒光りした鉄串の森。荷馬車の馬は脳天を貫かれ動けず、夜盗たちは足を貫かれ身動きが取れなくなっていた。黒のローブを羽織った男は突如出現した鉄串の数々に混乱を隠せないでいる、手に光の剣を造りだし、辺りを見回すが、何の気配すら感じない。
「なんだ!?誰が、何処に、何故……。」
困惑する男の背後から気配を感じる、咄嗟に光の剣を振るうと、剣閃は無数の蝙蝠を切り裂いた。
「何故こんなところに蝙蝠なんかが……。」
油断したその刹那、後頭部を強烈な打撃が襲う。……〝荷物〟として納品した男が目に殺気を宿し、馬乗りとなって殴りかかってきた。
「まて、……やめろ、わたしは、白の神殿の准司祭だぞ!こんな真似をして!」
言葉で制止しようとするが、怒りと殺気に呑み込まれた男に言葉など通じない。豚に話しかけられた肉挽き器が如く、〝殴る〟という作業に忙しい様子だ。そろそろ意識が飛び、死を覚悟すらした瞬間、拳闘士はそのまま脱力して倒れた。
「……取引している夜盗の居場所を、全部吐いてくれないかしら?」
殴られすぎて目が腫れ上がり、視界もぼやける。なんとか立ち上がり、目に癒しの魔導を施す。そこには燃えるような赤い髪をした少女が佇んでいた。横には何やらぬいぐるみかマスコットのような存在を携えている。
「助けて……くれた?いや、全て貴様の仕業か?」
「物わかりがいい人は嫌いじゃないわ。全部わたしの仕業、あなたが死ぬまで殴られ続けるのを見ていたかったけれど、ちょっと取引をしたくて。」
「何が言いたい?」
「あなた達の行っていたことは、全て知っている。ああ、こんな映像も撮らせてもらったわ。」
ーーーまて、……やめろ、わたしは、白の神殿の准司祭だぞ!こんな真似をして!
男は血の気が一気に引いていく。先程拳闘士に殴られ、咄嗟に放った言葉だ。
「状況証拠としては、夜盗と〝何者か〟が人身売買の手続きをしていた。……そこに〝白の准司祭〟を名乗る者が居た。残念ながら、白の教会を揺るがせるほどの大スキャンダルにはならないわね。だって……」
男は少女の意図を理解する、自分は絶対に拒絶出来ない脅迫を受けているのだと。
「だって、これじゃあ〝勝手に白の教会を名乗った異端者〟が処刑されるだけじゃない。」
「……地図は出す、巣窟としている夜盗たちはここにいる。もう、人身売買からも手を引く。」
「共犯者は?あなただけがこの事件に手を染めていた証拠は無いの。」
それから男は舌に火がついたかのようにペラペラとしゃべり出した。その全てを烙印で記録し、嘘が一つでもあればその映像を流すとも脅した。
……翌日、ノボラの新聞に【〝修行の森〟連続失踪事件、夜盗一味を逮捕】の記事が載った。そこには呪術修行のため偶然〝修行の森〟に訪れていた黒の教会一行が、人攫いの現場を目撃し、呪術で夜盗を捕縛。逃げ惑った夜盗の内、4名は崖から落下し樹の枝に足を貫く重症を負ったという。
「しかし、いいのですか?レニ様。全く関係のない我々が手柄を独り占めなど……。」
黒の教会ノボラ支部の支部長が、新聞を手にリリアへ困惑気味に訪ねていた。自分よりも高みにいる少女がいきなり夜中に現れ、〝名前を貸して欲しい〟と言われた時は何がなんだか解らなかった。
黒の教会信徒は迫害を受けていることもあり、信徒同士の信頼は厚い。それでも少女の提案は常軌を逸脱していた。
「いいのよ、わたしが表に出る訳にはいかないし、真相はさっき話した通り。何か不都合があったら渡した映像を使って。……迂闊に使うと人が死ぬ劇薬だから取り扱いには十分注意してね。」
烙印で収めた映像は全て魔道具に記録し、ノボラ支部へ渡した。……あの准司祭は遅かれ早かれ〝始末〟されるだろう。
それでも、〝白の准司祭が黒の司祭に成りすました〟映像は切り札になりえる。……使い所を間違えれば、支部諸共消し炭になる鬼札であってもだ。
「レニ=ハウスホーファー様、感謝を申し上げます。」
深々と下げられる頭に、リリアは同じように頭を下げ教会を後にする。リリアはそのまま繁華街にある草臥れた道場を訪れる。昼間だというのに、少年が固い床で眠ったままだ。おそらく夜通し心配しまっていたのだろう。
リリアはそんなレオを愛おしげに見つめ、頭を撫でた。