拳闘士の街
拳闘士の聖地とも呼ばれるノボラの街。打突術・柔術・縛法・武器術・殺人術……様々な格闘道場が街々に解放されており、戦地に赴く騎士や術師が徒手格闘を学ぶため戦時中にも重宝された街。今ノボラの街は、戦時中閉鎖されていた【拳闘場】の再開。おおよそ55年ぶりの大会準備に盛り上がっていた。
「筋肉の塊みたいな男ばっかりと思ってたけれど、そうでもないのね。」
リリアはそれまでの司祭服……赤のスカートではなく、一般の冒険者が着込むような動きやすさを重視した冒険服と皮の胸当て姿で街を巡っていた。朝軽食を頼んだら、バケツかと思うような器に肉と麦の塊を提供されたときは目を疑った。
「拳闘士の街だからね、ここでの〝普通盛り〟はこんなものさ。」
と宿屋の店主は笑っていた。全てを食べきれるはずもなく、動けなくなるほどお腹を満たし、宿代と食事代銀貨1枚と銅貨6枚を置いて宿を出たのが先程の話し。薄手の服に歴戦の傷を残す拳闘士も多くいるが、そればかりではなく、騎士や術師・商人の姿も多く見られる。
「おっと、姉ちゃんごめんよ。」
リリアがよそ見をしていると栗髪の少年がぶつかり、そのまま走り去っていった。そして少年が角を曲がると……。
「銀貨7枚に銅貨が30枚くらいか……。スラムのガキにしては中々の腕じゃない。」
少年は先程〝スリ〟を働いた相手の少女が、瞬間移動したかのように待ち伏せている光景に腰を抜かして倒れ込んだ。手には少年の〝戦利品〟である小さな麻袋が握られている。
「え、あ……。」
リリアも元はスラムでこの少年と同じ真似をして生活していたのだ。リリアは、案外こういう腕は錆びないものだなと、我ながら呆れていた。
「あなたがスッたわたしの財布返してくれないかしら?」
「わ、わかったよ。頼むから警邏のヤツラには言わないでくれ。」
「悪い事をしてる自覚はあるのね、立派だわ。」
「じゃあ……。」
「でもダメ、あなたの為にも罰は必要だわ。」
「いっ…。」
少年はそのまま一目散に逃げようとする。しかし足が鉛のように重くなりそのままぶっ倒れてしまった。
「まぁ警邏隊に突き出すのは勘弁してあげる。その代わり、ひとつ頼み事をいいかしら?」
少年はそのまま振り返り、目に恐怖を宿して首を縦に振った。
「わたしこの街を知りたいの、案内してくれるかしら?」
「そんなことでいいのか?」
「そんなことでいいわ。」
「ならお安い御用だ!だからさ、……足、元に戻してくれよ。」
少年の言葉に、リリアは苦笑しながら呪術を解いた。
◇ ◇ ◇
石造りの巨大で神気に溢れる拳闘場。全体が円筒形の柱に包まれた楕円形で、高さは見上げるほど。観客席は3層に別れており、何も無い立ち見席、木の板が並べられているだけの席、背もたれと肘掛けのある最前列の席……そして魔導硝子によって隔てられたおそらくは貴族や王族が使うであろう特別席があった。
「ノボラに来たからには、まず拳闘場を見ないとダメだろ!」
少年……レオは拳闘場に入り慣れているらしく、ただでさえ警備の厳しい隙間を縫ってリリアを連れ、あっと言う間に侵入してみせた。
「随分慣れてるわね、拳闘好きなの?」
「拳闘場ってのはね、神聖な場所だから〝土足厳禁〟なんだ。」
「ああ……なるほど。」
それだけでリリアは少年の意図を理解する。おそらくは靴をかっぱらって売りさばく、彼の〝狩り場〟なのだろう。
「あの銅像が60年まえ無敗の英雄だったマーク=アミン。土台だけのものは、これから王者になる人間の銅像が建てられる予定さ。」
「ふぅん、再開の期限はまだ決まってないのでしょう?」
「そ、今はまだ、ただの観光地。ただ色んな場所からお偉いさんが来て、今はしっちゃかめっちゃかだ。」
ピーーーーーーー!!
「この糞ガキ!まぁた来やがったのか!」
剣を持った騎士が笛を鳴らし、少年に恐ろしい速度で近づいてくる。
「やっべ!姉ちゃん、逃げるぞ!」
「ちょっと!まだわたし禄に見てないんですけど!」
「今度また見せてやるよ!」
少年に合わせて逃げ惑ったリリアは、レオの息が整うのを待ちながら木に寄りかかっていた。
「今のが拳闘場。入るには最低でも銀貨2枚掛かるんだ、得したな。」
「とても素敵なエスコートをありがとう……。」
「んじゃあ明日は、修行の森に案内するよ。」
「明日?今日じゃダメなの?」
「もう日が暮れる。夜に行っても碌なことはないさ。」
「……いいわ。案内して頂戴。」
「姉ちゃん強いのか?」
「少なくとも昼よりは夜の方が。」
レオは何かを含んだ寂しげな笑顔となる。
「わかった、じゃあ案内してやるよ。」
レオとリリアは2時間ほど掛けて、四方が崖に囲まれた滝の音が聞こえる森林に辿り着く。夜でありながら樹木から発せられる濃厚な気配は〝癒〟の効果を持ち、確かに拳闘や剣技を修行するには最適と思える場所だった。
「なるほど、確かに修行の森と言うだけあるわね。」
「ああ、……丁度何人かいるな。」
リリアが気配を探ると、森の中には何名か夜間の鍛錬に励む拳闘士の気配が感じられた。木々に荒縄を撒いて打突を繰り返しているようだ。……そこに、突如大人数の気配を感じ取る。
「夜盗!?」
いや、相手は修行に来ている拳闘士だ。ろくな金など持っていないだろう。しかし、集団は自分たちでなく、拳闘士を狙っているように見えた。
「レオ!行くわよ!」
リリアはレオの手を引っ張り、拳闘士の気配がする方向へ走り出す。
「ヴラド!夜盗の気配!」
『だろうな。』
拳闘士は木へ拳を撃ち込むことに夢中となっており、周りを囲んでいる夜盗たちに気がつかない。
「刺突!」
リリアの言葉と共に、無骨で鋭利な鉄串が地面より無数に現れる。殺す気はない、しかし足の一本でも貫いてやろうと放った一撃だったが……。その全てが避けられ、夜盗たちは一目散に逃げていった。
「な、なにが!?」
混乱した拳闘士も、事態が飲み込めず、そのまま走り去っていく。鉄串の入り交じった森の中、リリアとレオだけが残された。
「姉ちゃん、精霊使いだったのか!?」
『精霊とは失敬な。……しかし、人攫いか。健康体の男だ、製薬ギルドの被献体として売ればさぞ高値が付くだろう。』
「人攫い!?」
「そうさ、ここは〝拳闘士の街〟……。戦争で不虞になった拳闘士や騎士、場合によっちゃ現役の騎士や拳闘士様が、夜、この森で拳闘士を攫って奴隷として売り飛ばすんだ。……姉ちゃん言ってたよな、〝ノボラを案内してほしい〟って。これがノボラの街さ。」